第2話 平手打ち

 高校生のうちはまだ万引きは許されるやろな。あまねはそう思った。あまねは玄関のドアを開けたら、リビングから中学一年の弟の丈一郎の笑い声が聞こえてきた。またあいつあれやっとるんか。丈一郎はピン芸人を目指しており、ひとりで漫談の脚本を書いているのだった。丈一郎はそれを書きながら自分で笑う癖がある。いかんせん変わったやつだった。


 「丈一郎、ただいま」


 あまねは丈一郎をナメクジのような目で見ながら言った。


 「お姉ちゃん、めっちゃ濡れてるやん」

 丈一郎はからかうような目をあまねに向けた。あまねはその目がが気に入らなく、テーブルの向こう側にいる丈一郎に巨体に似つかわしくない俊敏な動きで近づき、問答無用と言わんばかりの平手打ちを、丈一郎の左頬に打ち込んだ。

 「何すんねんっ」

 丈一郎は爆発するように叫んだ。


 「あんたお姉ちゃんからかったやろ」


 あまねは乱れた呼吸を隠すように鼻で息をした。


 「からかってへんよ」


 丈一郎は無抵抗だった。


 二人の間には沈黙が漂った。時計の秒針がなる音がリビングにこだまする。夕立はまだ激しく振り続けており、いっこうに止む気配はない。


 丈一郎は首の後ろをかきながら、首の角度を何度も変え、不満げだ。あまねの呼吸も落ち着いてきた。

 二人の気まずい空気を破るように、ピンポーンとインターホンがなった。


 あまねは丈一郎の前から移動してモニターを見にいった。田中裕二がそこにいた。あまねは通話ボタンを押さずに玄関を開けに行った。リビングから出るとき、丈一郎が「姉ちゃん精神科行ったほうがいいんちゃん」とつぶやいた。あまねは聞こえていないふりをした。ふと玄関を開けるとき、自分の制服がびしょびしょなことに気づいた。あまねは自分の下着が透けていることに気づいたが、着替えようとは思わなかった。別に見られてもいいじゃないかと思った。だって田中やし。


 あまねは笑顔で玄関を開けた。さっき丈一郎をぶったとは思えないぐらいの晴れた笑顔だった。


 「なんや田中ぁ、あたし見たで〜、あんたの万引き」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

も〜うっ!えらいこっちゃ! 久石あまね @amane11

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ