第6話
「頭を、上げてください。……その、まだ訊きたいことがあるので。しゃべりづらいでしょう」
幾度か頭を上げるよう言ってもどれだけ待っても深々と下げた頭を上げてくれなかったバージルさんだったが、そう言ってみたところ、なんとかゆっくりと頭を上げてくれた。
元の腕組みの体勢に戻った彼は、ふむ、と呟き首を傾げる。
「事情を聞いた以上、地に額を擦り付け続けろと言って良い程だろうに。まあ、疑問はいくらでもあるか。何が訊きたい?」
「えっと、魔王のこと、とか?」
とかって言っちゃった。そこまでどうしても今魔王の事を知りたかったわけでもないしな。
私のテキトーな問いかけに、こちらはえらく真剣な表情でふむと頷いたバージルさんは、考えながらという様子で口を開く。
「魔王、か……。とりあえず、世界最強、だな」
「せかいさいきょう」
なんだろう、そのにわかには信じがたい称号。
思わずオウム返しにしてしまったところ、バージルさんはものすごく恥ずかしそうに頬をかく。
「ああ。ひどく馬鹿っぽい表現で申し訳ないんだが、困ったことに、これが事実だから他に言い様がない。伝承によれば、その時代、この世界の中で、1番強い生き物が魔王に変じるんだそうだ。つまり、この世界の外にしか、魔王よりも強い存在はいないとも言える」
ああ。それもあっての異世界からの聖女召喚なのか。
ふんふんと頷いた私に少しほっとしたように息を吐いてから、バージルさんは続ける。
「【魔王の核】というものが、100年周期で現れ、世界で1番強い奴の心臓に宿る。そして徐々に宿主を浸食して宿主と融合していって、そいつを魔王に変えていく。その浸食の過程で、【淀み】が発生する時があるようだ」
「【淀み】……、そこから魔物が出てくるって、さっき言っていたやつですね」
「そうだ。【淀み】の出現箇所から魔王のなりかけの居場所を突き止めた例もあるが、なりかけの段階では比較的温厚な生き物でも、皆魔王となった途端に暴れ出したそうだ。生きとし生けるものを殺し尽くさんという勢いで。しかも、元より数段強くなっていたと記録に残っている」
「タチが悪いですね……」
私の率直な感想に、バージルさんはふっと笑った。
「ああ、本当にな。なりかけを魔王となる前に殺した例もある。すると、【魔王の核】が2位だった別の世界最強格に宿ったのだろう。後に全く別のところから魔王が出現したそうだ。世界1位と2位にさほど力の差はなかったのだろうな。後の魔王討伐はなりかけのそれよりよほど大変だったようだ」
「本当にタチが悪い……! とんだ害悪じゃないですか【魔王の核】! それだけをどうにか砕けたりしないんですか!?」
あまりの事に叫んでしまった私に対し、バージルさんはどこまでも冷静な表情で首を横に振る。
「心臓に宿っているからな。心臓を潰したところでなりかけが死ぬだけだろうし、砕ける物でもないらしい。というのも、【魔王の核】には実体がなく、あらゆる魔法もなりかけ本体にしか影響しなかったと、記録に残っている」
「そんな呪いみたいなもの、それこそ聖女なら解呪できたりとか……、しない、ものなんですか?」
問われたバージルさんは、困ったように、聞き分けの悪い子どもに向けるような苦笑いを浮かべる。
「残念ながら、これまでにそんなことに成功した話はない。ありとあらゆる魔法を試した上でだ。別に、今まで同様、きちんと魔王となってから殺せばいいだけだろ。そうすれば、魔王ごと魔王に融合しきった核も消えるんだから」
「いや、でも、魔王になりかけている世界最強さんって、何も悪くなくてただ強いだけなのに……。強すぎて魔王になっちゃったから殺すって、なんか、どうかと。いや暴れ始めたら殺してでも止めざるを得ないんでしょうけど、でもそれは【魔王の核】とやらのせいなわけで……」
考え込んでしまう。
私が魔王に対抗できる聖女とやらなら、どうにかできないものだろうか。
これは平和ボケしきった現代日本人の甘っちょろい考えだろうか。
うーむ。元々魔王になる前から手の付けられない人食い暴れ竜だった、とかなら良いのに。魔王予定の世界最強とやら。
むむむと悩むうちによほど変な顔をしていたのだろうか。
バージルさんは、私の顔を見てくすくすと笑った。
「魔王まで救おうと考えるとは、どこまでお人好しなんだか。人類、いや、全ての生物の敵となり果てた奴なんか、世界のためにもそいつのためにも、早く殺してやる方が良い。きっと魔王もそう望む。そんなことより、タチの悪さで言えば、【淀み】もなかなかのものだぞ」
「魔物が発生し人々を襲う……、だけじゃないんですか?」
「凶悪な魔物が、だ。【淀み】から生じた魔物は、自然に居るそれより格段に強く、格段に殺意が高い」
「なにそれこわい」
「しかも、どうにか魔物を討伐しきったとしても、【穢れ】が残ってその場所を腐らせるんだ。腐った大地では、植物は死に絶え動物は病に侵されこちらもやはりやがて死ぬ。魔物の討伐は俺たちでできるんだが、その【穢れ】を浄化することは聖女にしかできない」
バージルさんが明かした新たな情報に、先ほどまでの悩みとは別にまた1つ心配事が去来する。
「浄化、ですか。それも、めちゃくちゃ責任重大ですね。……わ、私にできるかなぁ」
「もうしたぞ?」
「へ」
あっさり言われた言葉に、ぽかんと間抜け面を晒してしまった。
バージルさんはつい、と指で地面を指し示す。
「ここ。この、草原な。正に【淀み】のど真ん中だったんだよ。ああ、魔物は俺が殺し尽くした。そして、俺の魔法と魔物の残滓で穢れ切ったこの場から、俺は天に向かって【穴】をあけた。そうすると、世界が、この世界に無くてこの世界に必要な存在を引きずり降ろしてくれるんだよ。穢れをどうにかできる唯一の存在、異世界からの聖女を」
「……聖女召喚って、そうやってするんですね」
「ああ。この場はそれはもう穢れに穢れきっていたから、良い引力になったんだろう。お前はそうしてこの場に舞い降りて、そして降り立っただけで、ここを浄化し尽くした。お前の足元から次々に穢れが消え去り草花が息を吹き返し、それはもう、見るだけで天に召されそうなくらい、あまりに美しい奇跡だったな……」
ほう、とため息交じりに、彼はそう締めくくった。
こんな爽やかで綺麗で清浄な気配さえする草原が、【淀み】だの【穢れ】だのに侵されていたなんて。
にわかには信じがたいが、バージルさんの言葉を否定する材料もない。
実際、私はここに召喚されたわけだし。
ただそこに行くだけでできる仕事がとりあえず1つはあるらしいことに、少し安堵を覚えた。
「さて、魔王については、このくらいか? ああ、ちょうど、迎えがこっちに来ているな」
そう言ったバージルさんの視線の先、草原の向こうから、3台くらい、だろうか。複数の馬車とそれを護るように囲む騎馬の一団が連なってこちらに向かってくるのが見える。
おお。遠くて気づかなかったけど、馬車の向こうには街っぽいものもあるな。
「他に気になることがあれば、あいつらに訊くと良い。聖女サマは、こんな死刑囚なんかと、これ以上関わらない方が良いからな」
え。
でもそうか。そうじゃん。
他の異世界人が来たら、この聖女召喚を行った魔法使いのお兄さん、捕まっちゃうってことだよね。
というか、本人捕まる気満々だよね。
「そんな……!」
「お前が気にすることじゃない。いいかリア、お前は聖女だ。この世界の誰よりも尊くて偉い。どうも多少この顔が気に入ったようだが、そんなのでこんな無礼な男にほだされるな。もっときちんとお前を敬い、大切にし、正しく尽くす奴がいくらでもいる」
ぴしゃりと冷たく、バージルさんは言い切った。
いやうん、顔が良いなとは、ずっと思っているし最初に言っちゃったし、バージルさんの顔面に魅力を感じているのは事実なんだけど。
だからあなたの死刑に反対しているわけじゃなくてですね。
色々話して、バージルさんの高潔さとか優しさとかとか、中身にも惚れ込みつつあるけれど、好きとか嫌いとかの問題でもなくて。
世界のために聖女を呼んだ人が、全ての罪を1人で背負って死ななくてはいけないなんておかしいと、純粋にそう思うわけでして。
聖女召喚が重犯罪だと定めたのが先代ならば、今代の聖女として、さすがに死刑というのはなしとしたいという次第でして。
「あ、あの、その……」
色々と言いたいことはあるのに、すっかり覚悟をキメた様子のバージルさんよりあの馬車の人たちに訴えた方が良いのかなとか、馬車がここに着く前に逃げないのかなとか。同時に他の事も色々浮かんでしまって、うまく言葉にできない。
すっかり固まってしまった私に、バージルさんはどこか吹っ切れたような笑顔を向ける。
「本当に、お前が気にすることじゃない。改めて言おう」
整った美形の整い過ぎた笑顔には、妙な気迫があるななんて考えたのは、たぶん現実逃避。
「聖女召喚は重罪だ。お前をこちらの世界へ攫ってきた憎き敵である俺は、死刑が確定している。お前に聖女なんていう重すぎる運命を背負わせた俺は、必ず遠からず死ぬ。好きなだけ憎め。心行くまで罵れ。できる限りの苦痛を与えたいと望むならそれも受け入れよう。俺が死んだ暁には、ざまあみろと笑うといい。その程度は覚悟して、俺はお前を呼び出した」
そう言って彼は、凄絶に嫣然と笑った。
その笑顔と声音のあまりの晴れやかさと美しさと、だからこそ際立つあまりに物騒な発言。
混乱と困惑で固まる私に、彼は更に一歩、ずいと迫って、どこか恍惚と告げる。
「――ようこそ、聖女サマ。この世界の全てはお前を歓迎し、祝福し、敬愛し、感謝を捧げるだろう。俺の命と引き換えに、どうかこの世界を救ってくれ」
異世界人覚悟ガンギマリ過ぎてこわい。
思い浮かんだのは、召喚されたことへの恨みなんてものではなく、聖女と見出されたことへの歓喜でもなく、これだけだった。
後に師匠と仰ぐことになる偉大な魔法使い、それはもう聖女召喚なんていうとんでもない魔法をたった1人で成し遂げた程偉大な魔法使いバージル・ザヴィアーとのファーストインプレッション。
私はただただ、彼のあまりの覚悟キマリっぷりへの恐怖で、カタカタと震えることしかできなかった。
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