第26章 炎へ再び

「さて、どうやってウラニアのお城まで戻りましょう?」


「…」


 へらっと帰り方が分からないと森を出たところで口にしたアイテルに、恭一は「は?」と呆気にとられる一言が漏れそうになった。


「帰り方分かんないの?俺が意識失ってる間、君が連れてきたんでしょ」


「とりあえずその場から逃げないと事態が悪化しそうでしたので、海に飛び込みましたの。領内であるのは間違いないのですが、どの辺りなのかは分かりません」


「ちょっとは考えて飛び込んでよ」


「考えてる暇ありませんでしたもの」


「はぁ…」


「恭一さん、あの、腕に何も問題はありませんか?」


「見れば分かるでしょ」


 呪いを抑えるための銀の腕輪ももはや意味があるのかさえ分からない。昨日の夜から鉛のように腕は重かったが、痛みはなく静かだった。怒りや憎しみを増幅させる呪いを受けていると言うのに、昨日から穏やかで、嵐の前の静けさのようだ。


「そう、ですか…」


「気になることでもあるの?」


「昨夜は張り切りすぎてましたので…」


「その話はおもてでするなって何度言えば分かる??」


 浮かれた頭を何度けん制した事かと鋭い瞳で睨んだ恭一に、「違いますわ。…半分は」と何も効いていないかのように顔を赤らめながら、大事なことを全て忘れ、ほぼ勢いで一夜を過ごす前の事だと言った。


「戦われていた時とか…思ったほど呪いの影響が出ていませんでした。途中目が赤くなってたりとか、暴走気味ではありましたけれど…その後は穏やかに眠れていましたし。…ふふっ」


 アイテルの腕と胸の上で眠りについた恭一の寝顔を眺めていた時の事を思い出して、微笑ましく笑ったアイテルに、恭一は人の寝顔を眺めるなんて趣味が悪いとちょっと怒った。


「安心しましたのよ。でも、不安でもあります。なんだか、恭一さんに馴染んできているような気がしまして」


「馴染む?」


「思っていたほど、恭一さんは恭一さんの意識を維持できていらっしゃって…。もう少しこう…突然暴れたりしてもおかしくないような段階なのですけど、上手くコントロールしてると言いますでしょうか」


「…」


 多分自分がコントロールをしているというわけではない。ラミエルという守護天使の存在が自分の中にいるからなのかもしれないという事をアイテルに教えようかと口を開けたが、寝ている間にラミエルと会っていないことに気がついて口を閉じる。


 アイテルとの事があった後、必ずからかいに現れるだろうと思っていたが、幻想の世界に呼び出される事はなく、静かに自分の眠りに入っていた。何となくだが感じる違和感。からかうポイントをみすみす逃すほど、ラミエルは大人しくないことを知っていた。


 自分の中にいる天使は、呪いの影響を一切受けているような様子はない。いつもしたたかに平気な顔をしている。


 そしてアイテルの言う通り、咲や魔物を切り捨てた時、自分は呪いの誘いの声を聞きながらも、攻撃する対象を間違えていなかったし、戦う度にこの呪いが自分の力になっていくような気がしていた。



「…それでも、厄介事を呼び込むことに変わりはないでしょ。昨日も、俺が君から離れたから」


「離れていなくても、襲撃はあったかと思います。よくあることですから、それはお気になさらず。でも、もう離れないでくださいな。一人で、前に進もうとしないでください」


「しつこいよ、分かったって。行かないよ」


 腕に寄り添ってくるアイテルを安心させるように肩を抱いた所、先の茂みが動く音を察知して、警戒に入る。

 あのよく分からないパンダとは森の中で別れたが、次は何が出るのかと近づいてくる気配に注意を払っていると、そこから見覚えのある姿が影から現れた。



「探しましたよ、真王アイテル」


「…!マヤ…!」


 それなりに歳をとっているとは思えないほどの小柄で若々しい見た目、民族的な模様の刺繍がある白いサテンのワンピースのアトランティス人。皇族の一人でありながらも、一人巡礼の旅をしていると言っていたマヤが目の前にまで歩いてきた。


 彼女は行方不明だった二人の姿をあまり表情を変えないまま見つめて、今まで何処にいたの?と聞いてきた。


「心配していました。言ノ葉蝶の一羽でも飛ばしてくれてもいいでしょう??」


 真王であるアイテルの額に軽いデコピンをしたマヤに、アイテルは額を抑えながら、ごめんなさいと、恭一から見てもあまり反省してなさそうに謝った。


「状況的に、何も知らせないまま隠れていた方がいいと思って…」


「あのね。貴方に何かあったら、色んな人間の首が飛ぶの。いい加減、そういう事にも気を配っていただかないと困りますから」


 うんざりしたようにそう告げたマヤに、恭一はこのアトランティス人も、能天気なアイテルに相当苦労したに違いないと感じた。



「よくここが分かりましたのね」


「辿って来ましたから。朝まで反応がなかったから、本当に死んだものかと」


 マヤは自分の杖にはめられているオリハルコンの結晶が淡く光を帯びているところを指差し、アイテルの首にかけたペンダントも指し示した事で、アイテルも気づいたように表情がハッとした。


「まあ、でも、隠れていたのは正解でしたね。事情は守護者殿に聞かせていただきましたが、貴方方が消えてしまった後で、厄介が起こりました」


「厄介?」


「神殿だけの被害であってくれたら良かったのですが、魔物が街の方にも被害を出して大変だったんです」


「それは…」


 この呪いによるせいであるのか、咲が誘き寄せて来たことによるものなのかは分からないが、恭一とアイテルは握りあった手を見る。少なくとも、神殿の一部の者に呪いによる影響があり、暴れていた事実がある。

 恭一が神殿から離れて僅かながら影響が出てしまった事には変わりがなかった。



「この近辺でも、魔物の数が急に増えたと聞きます。貴方達は、もうここにはいない方が良いでしょう」


「そうですね。恭一さんとも話していましたの。これからウラニアに戻って、ミツキとソドムへ行っているジュドー達と合流するつもりです」


「ソドム?ソドムへ行ったと?」


ジュドー達がソドムへ行っていると聞いた時、マヤの表情が曇り、その理由を教えた。


「何日か前…ソドムで抗争があったらしく、国境が封鎖されたと聞きましたよ。あちらでは珍しい話でもなかったですから、あまり気に留めていませんでしたが」


「え!?何日か前って…ウラニアにいた時にそんな話は一度も聞くことがありませんでしたわ!」


「…」


 黙って聞いていた恭一は、弁慶から連絡が全く来てないことを今更ながら気が付くが、あれほど電波を確保できるように調整し直しとけと言ったのに、弁慶は詰めが甘かったのだろう。


「ジュドーならば心配は要らないと個人的には思いますが、貴方がウラニアからいなくなった状態で探しにも来ていないとなると、問題は起こっているように思えますね」


「……ジュドーもハルクマンも強いですし、大丈夫かとは思いますが、弁慶さんは心配です」


「多分、平気じゃない?頑丈だから」


「あら、弁慶さんをご信頼されてますのね」


「別に信頼とかじゃない。本当に頑丈だから」


 何かその根拠があるように、弁慶に対しては心配など微塵もなさそうに淡々と答えた恭一にアイテルも、「皆頑丈ですから心配ありませんわね!」とニコニコと答える。


その似たり寄ったりな二人の様子に、この二人の下にいる者は本当に苦労しているだろうとマヤは内心思った。


「原初の遺物については何か掴んでいるのですか?あまり悠長には出来ないことでしょう?」


「それが、全然何も分からないままで…ジュドー達がその遺物が何処にあるか知ってる人を探しに行っていたのですが、案外近くにおりまして。でもまたその方が何処へ行ってしまったのか、分からなくなりましたの」


「…アイテル。聞けば貴方は、守護者殿の呪いを抑えるために自らも穴を開けて、呪いを受けている状態。彼が依り代となっているのなら、本体の遺物とも縁を結んでいるという事。貴方がエバの力を持ってして縁を辿れば、見えるものではないですか?」


「それが、正直な話、何度も試したのですけど…」


 アイテルは恭一の方を気まずそうに見て、何か言いたげにしている。その様子に、恭一は何か言いたいことでもあるの?と聞き返すと、彼女は言いづらそうに口を開いた。


「何度か私、恭一さんの寝ている間、夢に潜ったことがありますの。一度遭遇したのでご存知かと思いますが…」


「…黙って何度もやってたの。あれ」


 あからさまに不愉快だという表情になった恭一に、赤い瞳の視線を下に反らしながら、あくまでも呪いの事をよく知るためだったと告げた。


「許可を取るべき事と思いましたけれど、逆にそれで意識されては、見るべきものから遠ざかってしまうこともありましたので、あえて言いませんでしたの」


「人の脳に土足で踏みいってくる無粋な事しておいて、収穫は?あったの??」


「怒らないでくださいな。いつ如何なる時も、備えておくことは必要でしょう?恭一さんが私を守ってくださるように、私も守っていただけ」


 だからお願い、怒らないで。


 許しを乞うように言うアイテルに最初沈黙して目を逸らしたが、ある程度彼女に対して甘さと許容が出ている恭一は「次黙ってやったら怒るから」と淡々と言うと、続きを話すように促した。


「恭一さん、かなり幼い頃の出来事がトラウマになっていらっしゃってるようで…あの炎の中の夢の先を拒んでいて、先に進めませんの。意識の奥に…」


「俺のせい?」


「違いますのよ。貴方があの先に辿り着かないように、怖いものをわざわざ呪いが置いているようなものでして。あれは貴方の中の世界です。恭一さんがその先へ行くことを望まない限り、私も進めませんの」


「あの夢の…記憶の先に、遺物の場所があるってどうして分かるの?」


「繋がっていますから。少しずつ少しずつ、貴方に力を移すため、操るため、線を張っているのです。それを辿れば、本体が何処から繋がりを結んでいるのかを知ることが出来るかと」



「…そう。ならば、その方法が手っ取り早いことかもしれませんね」



話を聞いていたマヤは、持っていた杖を動かし、自分達の周りに結界を張った。



「原初の子宮の力で、守護者殿の魂に繋がった呪いのよすがを辿る。強引な方法になりますが、そのトラウマとなる障害を破る必要がありますね」



「マヤ?彼の精神とも呼べる大事な場所に直結してますのよ。…恭一さんが壊れてしまうかもしれません。障壁となっているのは」


 他ならない原初エバである者。

憎しみを生む呪いを生み出し、過去に存在していた全能なるものという災厄そのものである。


 マヤはそれと対峙することがどんなに危険かを分かっていたが、例え記憶の中の幻想であっても、ここで呪いに、エバに刃向かう覚悟でなくては呪いなど打ち消すことは出来ないと促す。


「どうですか、少しでも手がかりを得る方法がこれだと言うのなら、やるだけの価値はあります。このまま闇雲に探していて、向こうから出てくるのを待つより、よいかと思いますが。真王陛下、その守護者殿?」


「……そう。そういう事なら俺に異存はない」


 恭一は意味を理解し、それで遺物の場所が分かる可能性があるのであればと了承した。例え、あの日の炎の中に、沢山の死と、絶望の中に呼び戻されても。


 どうせ、ここに来てから何度も夢に出ている。赤い瞳の存在は、再び自分を殺そうと様子を伺っているのだ。弱かったあの頃の自分を見るのと、何も変わっていない目で、自分を見ていることに腹が立っていた。


 ここで一度、けじめをつける時なのかもしれないと恭一は覚悟を決めたが、アイテルは不安を見せて、恭一の手を握った。


「どういう事か、お分かりですか?貴方は、意識と記憶の中の世界で、赤い瞳を持つ…貴方のトラウマの中の原初エバを倒さなくてはなりません。国一つ焼き尽くし、多くの人を殺した者…どれほど強いのか、私にも分かりません」



 貴方はきっと、何度も殺されるでしょう。精神である貴方は死を迎えてもまた同じく目覚めるだけ。でも、生きながら壊れてしまう可能性がある。それでも、やるつもりなのか。


 相手が相手なだけに、この方法は取りたくないと気が進まないアイテルに、恭一は彼女の握る手をそっと撫でて、静かに答えた。



「何も出来なかった分、返してやるいい機会だよ。もう、死体と瓦礫の下でうずくまっている夢を見るのは御免だ」


「貴方は…何も悪くありませんわ。そうなってしまった事も、無力であったことも、当然でしたもの」


「君、俺が今でも無力だと思ってるの??」


「そういう意味では…」


「だったら黙って見てて。相手がなんでも、俺は負けるつもりないから」


 どうせ来るなと言っても入り込んで来るのだから黙って見ておけと、恭一はアイテルに告げる。その裏の意味では、大丈夫だから不安になる必要はないと、彼女に促すもの。


 その意味を少し呆然としてから悟ったアイテルは、不安ながらも無理矢理口元を緩ませて、恭一に微笑みかけ、瞳は慈しむかのように優しげだった。



「マヤ。オネイロイの助力を請いましょう。私も共に介入しやすくなります」


「…承知しました、真王陛下。守護者殿、横になり、真王に頭をお預けください」


 マヤの作った結界の中で、草の上に座ったアイテルが手を広げて恭一を待つ。恭一は横になって彼女の膝に頭を預けると、マヤの招霊の呪文が耳に入る。


 不可視の世界より、感じたことのある何者かを呼び出していることを感じ取りながら、暖かな膝の上、アイテルの手が頬を撫でて、眠りの中に誘われようとしていた。


「私は、ずっとお傍におりますわ。共にいることを、忘れないでいて」


【貴方は我が内に、抱かれていることを】


アイテルの言葉と、その中の母なる者の抱擁に抱かれ、恭一はその意識を閉ざした。


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