第25章 たとえ結ばれなくても


「…クシュッ」


「ほら、引いたでしょ風邪」


「恭一さんだって、さっきお咳が出てました」


「うるさい。また私が治すとか言ったら、口利かないからね」


「何故ですの?そこまで私に治療されたくないって仰るのは恭一さんぐらいですわ。皆、列を為してあれこれを治してほしいとお願いして来られますのよ」


「免疫でどうにかなる事まで君に治してほしいと思わない。治療しなくていいって言ってるんだからしないでよね」


 自分のジャケットをアイテルに掛けながらもひねくれた事を言う恭一にアイテルは、可愛げがないひねくれ加減よりも、強がって体調が悪化しないかを心配していた。


「…お辛くなりましたらすぐに仰ってくださいな」


「君に言われたくないよ」


「私の前では、甘えていらして。治療が嫌ならしません」


「甘える?なんで俺が君に」


「お膝やお胸、好きな場所いつでも御貸ししますのよ。ご希望なら、頭を撫でても子守唄も耳掻きもして差し上げます」


「……何それ」


 繋いだ手とは別のもう片方の手を広げて自信満々なアイテルに、意外にはしたなさの目立つこんな子の何処が、聖母なのかと呆れたように恭一は鼻で笑うが、内心悪い気はしていなかった。



 甘える場所など、何処にも在りはしなかった。甘えてはいけない、甘えることは許されないと教えられてきた彼にとって、その方法は今になってようやく分かった程だ。



「恭一さん。お話は変わりますが、遺物の事でちょっと気が付いた事がありますの」



 湖畔の森を抜け戻る最中、離れないよう手を繋いでいたアイテルが恭一にそう切り出した。


「発言してもよろしくて?」


「いいけど」


「私達の追い掛けている遺物は、そこにあるだけで人の持つ憎しみや怒りを増幅させ、乱心させてしまうでしょう?」


「よく分かってるね」


「まっ!意地悪ですのね」


 恭一の意地の悪い返しにも、頬を膨らませながら楽しんでいるかのように返すアイテルは、分かってますのよと恭一の右手をツンツンと突っつきながら言った。


「今まで襲ってきた刺客の方に、遺物の一部と思われるものが仕込んでありました。爪のひと欠片、たったそれだけでも効果を及ぼす程。恭一さんだって、一度私のしている蓋が取れてしまったら、ウラニアのように影響がありますわ。でも本体の方は何故静かなのでしょう。あるだけで影響が出るようなものなのに」


「……そうだね」


 そういうものが隠されているなら、隠されている場所には影響が出て、騒ぎになっていてもおかしくない。アタッシュケースだけが見つかった時のように、とても分かりやすい目印になると言うのに何故なのかと、アイテルは首を傾げた。


「あの銀色のお箱に入っていた時も、遺物は大人しかったのでしょう?思いましたのですけど、遺物単体では特に害のないものだったり…特定の条件で、呪いが発動するようなものだと思いますのよ」


「…特定の条件」


「心当たりはございませんか?」


 恭一は任務中の出来事を最初から最後まで記憶を再生した。乗船客に紛れて潜入し、裏オークションとパーティーに参加するふりをして遺物の入ったケースを確保、ジュンフェイへの連絡、逃走ルートへ移行からのらうとの接触。



「…肩を撃たれた」



『貴方は生贄だ。だから、簡単には殺せない』


 らうはそう言って恭一の肩を撃った。血が流れケースの表面に流れるように付着した時、アタッシュケースの中身が独りでに動いたことを思い出す。


 その事をアイテルに話すと、アイテルも肩のケガの事は覚えていたようで、そっと右肩に手を添えて優しく撫でた。


「それは、とても痛かったでしょう?」


「痛いに決まってるでしょ」


「きっとそれですわね。この呪いは、血に飢えていますもの。怒りと憎しみ、全てを滅ぼさんとする意志。あの方の言うとおり、貴方は生け贄にされた。再び遺物を動かすための依り代として。それまでずっと眠っていたのでしょう」


「そして俺が、起爆スイッチって言うわけだね。呪いに身体も理性も奪われた後で、…君を、確実に殺すための」



 遺物を壊すためにアイテルが力を貸しても、時間切れで恭一が呪いに取り込まれても、らうは望み通りの結末に辿り着く。


 アイテルを殺すこと。それが何のためなのかは分からないが、らうはその為に恭一という生け贄を見つけ、アイテルに接触させた。彼女は弱っている。殺すなら絶好の機会と考えたのだろう。

 まさか、自分がその片棒を担がされることになるとは思っていなかったと、恭一は森の出口が見えてきた先で一度立ち止まった。



「どうするつもりだい?」


「ジュドー達が、きっといい知らせを持って来て帰ってきます。私達も出来るだけの事を致しましょう?」


「それもあるけど」


アイテルを自分の方に身体を向かせ、お互い向き合う状態で恭一は口を開いた。


「ここから先は、守護者と雇い主って関係で、いいの?」


 まだ手と手はしっかりと握りあっている状態でそう聞いてきた恭一に、ぽかんとした顔でアイテルは少し考えるように首をかしげた後、ニコッとしてこう返した。


「恭一さんはどうしたいですか?」


「君に聞いてるんだけど」


「私は…そうですわね…」


 その答えを言いたくても、言いづらそうに頬を赤らめ、恭一をチラチラと見ながら口ごもった。彼女の答えはきっと自分が考えている事と同じだろうと察しがついていながら、うじうじしてる暇ないんだからさっさと言ってと急かした恭一に、アイテルは困ったように眉を下げて答えた。


「守護者としての…責務を与えたのは私ですから、当然その関係は崩すものではありません。…でも、個人的には……それ以上、いえ、それ以外の感情も執着も御座いますので、もっと親密になりたいかと」


「…で?」


「どうしたらよろしいのでしょう?ずぅっーーと考えておりましたの。でも、良い答えが出なくて」


 自分には政治的なものとはいえ、夫はいるしその子供もいる。相手には自分以外にも既に妻がいる者もいるが、子供にとっては自分が唯一の母親。

 私的な恋人は作らないつもりだったが、恭一が目の前に出てきてしまった事でそうもいかなくなってしまったということを正直に語るアイテルの話を、恭一は黙って否定も肯定もせずに聞いていた。



「貴方は、私と私的な関係になるつもりはないって、仰ってましたし…。その、どう処理したら良いものかと。それなのに、ばっちり関係は持っちゃいましたし…」


「まぁ、俺は気が変わったから。君からしてみれば、これは不貞行為って事になるね」


「だって、離婚は出来ませんもの。…私の意思だけでは。それなのに、私にだけ自分で選んだ相手がいないなんて、不公平です」



 それが分かってて理性を働かせずに関係を持ったのは何処のどいつらだと突っ込まざる負えない恭一の発言だが、次のアイテルのぶっちゃけた問題発言で、対極と思われるこの二人は案外似た者同士なのかもしれないと天使に思わせた。



「許されなくても、私は恭一さんを愛したいんです。…恋人、とか愛人とか…出来れば、その上以上に…心だけでも、貴方のものになりたいんですの」


「…へえ」


 おずおずとしたアイテルの本音でもある告白に、嬉しそうに口元に笑みを浮かべた恭一に、守護天使は思わずその滅多にというか初めてみた顔に寒気がしていた。


 こんなに表情が緩んだのはいつぶりなのかと記憶を探っている最中に、恭一は僅かに見せた柔らかさを引っ込めた顔でアイテルに近づいた。


「一度決めたら二度と戻れないよ。それでも君、俺がいい?」



 一度決めたらもう戻れない覚悟で、愛したい。俺はそういう愛し方しか、きっと出来ない。愛することも、愛されることも、何一つ理解出来ずにここまで生きてきた。

 いざ死ぬと分かって、初めて誰かを愛しいと言う感情が芽生えた時、気が付いた。


 大事なもの、手離したくない、遥か深い海の底で見つけた、けして全ては手に入らない人だったとしても、自分から関心が離れないように縛っていたい。

 愛してみたい。君が俺を愛したいというように。


そう心の中で想いながら彼女の顔を眺める恭一は、柔らかく包容のある笑みを返して答えるアイテルの答えを聞く。


「…いいですわ。私はこのような身の上ですから、全て渡すことは出来ませんけれど。それでも…貴方に差し出せるものは全部、差し上げます」


「俺が死んでも、変わらない?」


「貴方は死なせない。たとえ結ばれなくても。貴方は、守ってくれますか?」


「……いいよ。その言葉、忘れないでね」



 憎しみも怒りも殺意も忘れ、二人は抱きしめ合う。


「嘘だったら承知しないからね」


「嘘なんてついてませんわ。だから…出来れば、私以外と浮気しないでくださいな」


「身勝手だね、君」


「恭一さんほどじゃありませんわ」


 森を一歩出れば、この時間はあまり長く持てないだろうということを分かって惜しむように長く触れあうのだった。


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