第22章 癒せぬ怒り

【罪を背負うたか。哀れで、愚かで、何と、因果な事か】


「……私に、何を求めると言うのですか?貴方は、何者ですか?」


 究極の選択を迫られる悪夢の中で、アイテルは深淵の闇より首を締め付けられながら、憎悪に満ちた赤い瞳をした何かの存在に、もがきながら問い掛ける。


 その者はアイテルの首から手を離し、地に落とす。どこまでも漆黒の闇と深い霧の続くなかで、存在の見えない何かにアイテルは喉を刺された。


しかし血潮が飛ぶことはなく、喉を貫く痛みに倒れた。


【お前は自ら私を受け入れた。全てを手に入れ、裏切ってもなお、ただ一つを手に入れたいがために。…なんと強欲な事か。子宮よ】


「っ…。っ…!!っーー!!」


 アイテルの声は失われた。喉から声帯を取り除かれたように音を失い、自らの首に手を掛ける。


【富、権力、信仰、血を分けた子、伴侶、忠実なるしもべ、全てを手に入れてながらも、まだ欲しがる。…お前のような強欲者に、我が憎しみを癒せると?片腹痛いわ】


「っ…」


【せいぜい苦しむがよい。求めるものは手に入れられぬ、お前が欲する者。生まれ落ちてこの時より求め、手に入れたいと思った者がお前をまことに求めぬ限り、その声は戻ることはない。ずっと、この先も、お前は我が器であり続けるのだ】


 赤い瞳は更に赤い新月の如く光を増す。その者はアイテルにただならぬ憎しみを込めた瞳で、この呪いを枷した。

アイテルはこの言葉の意味を理解し、はっと目を見開き、悔しくも悲しくもある表情で、その者を見つめ返した。


【たとえ…叶ったとしても、お前は永遠にこの罪を背負う事になろう。我が子をも裏切っても手に入れたいと願うなら、そうするがよい。だが、長くは続かぬ………あの男は死ぬのだから】


 ___アイテルは胸元に隠しているオリハルコンのペンダントを触り、一人思う。機嫌の悪そうな背中を見て歩きながら、思ったよりも酷い疲労感に襲われていたが、恭一がそれに気がつくことはない。アイテルはうまく隠していた。


 祭りを満喫していたせいですっかり辺りが暗くなっていたため、元の場所へ戻るどころでも無くなってしまい、この後どうするかと恭一は悩ませられながら、服を取りに服屋へ戻った。


「あら〜お帰りなさいませ。お洋服の修繕出来ていますよ。ずいぶん遅いお戻りで。お祭りは楽しめました?」


 赤い肌をした亜種人種の店主が出迎えて、戻ってきた二人を見ると、恭一は不機嫌そうに顔を背けているのに対し、後ろのアイテルの顔色が悪いことに気がつく。


「?奥様、どうなされました?」


「…」


「奥様!?」


 アイテルは自分が見た目でわかるほど酷い顔なのかと思ったが、店主に向けて慌てて大丈夫だと手を振ろうと腕を上げた瞬間によろめいた。そのまま床へ落ちるかと思ったが、力強く硬い腕が彼女を受け止めた。


「…君」


 ようやくアイテルの異常に気がついた恭一の手がアイテルの額に触れ、熱を確かめる。買い食いの時に悪い物を食べたのか、それとも呪いの負荷が大きくなってアイテルに影響が出たのか。

 どちらとも取れるが、アイテルの意識が朦朧としており、右手の本来あるべき痛みが戻ってきている事を感じ取ると、背後の店主に聞く。


「この近く、祈り柱がいるような場所はある?」


「はい?柱様ですか?…街の西門から出て少し先に、キュテラ神殿があります。そこにいらっしゃいますけど…治癒師をお呼びになるのが先では?」


 そもそもアイテルの正体を知らない店主はごく当たり前の事を言うが、恭一は何も事情は言わず、アイテルの体を抱いて再び言った。


「代金なら後から支払う。キュテラ神殿って場所に医者呼んでおいてくれない?腕が信頼できる人で」


「構いませんが……柱様に御目通りするおつもりですか?私達が会えるようなお相手ではありませんけど」


「構わない」


 そう一言置いてすぐに店から出て西門を目指し走り出した恭一は、さっきまで元気そうにしていたアイテルの顔を時々確かめるように目を配らせた。一度倒れた時よりも具合が悪そうだ。


「ぐっ…」


 早く連れて街を離れなければ。これ以上、呪いが自らの肉体から出てきてしまう前に。


 もう既に何処かで影響が出てしまっているかもしれない。そう考えつつもなんとか街を出てすぐに分かった神殿へ飛び込むように駆け込む。ギリシア建築の神殿で、入ろうと思えば誰でも侵入出来そうな開かれた中へ入ると、松明に灯された礼拝堂にいた数名の聖職者が気づいた。


アイテルを抱えながら、息を切らしている恭一を見て驚いたように近付いてくるが、恭一から呪いの痕跡の気配を感じ取り、距離を取るように立ち止まる。


「あなた、一体どうされたのです?何か、災いを受けているように見受けます」


「祈り柱に会わせて。すぐに」


「何を仰られますか。祈り柱様にお会いになるなど…ましてや穢れをお持ちの方には会わせられません。司祭はこちらにおられます」


「祈り柱でないとダメだ。死人が出る前に早くして」


 恭一の腕も限界だ。首を絞めろ殺せとまた頭に囁きが聞こえた。最初は痛み、次は理性と徐々に自分を見失っていくだろう。この声には抗えない。


 アイテルの意識も薄れつつある。その前に祈り柱の助力がなければ、この街も自分達も終わり、誰も止めてくれるものはないだろう。


しかし事情を知らない巫女達は恭一の言葉に怪訝な顔をして取り計らおうとはしない。


「何事ですか?」


「あっ…マヤ様。この方々が祈り柱様に会わせて欲しいと。様子がおかしいので、司祭を呼びに行こうと」


 騒ぎを聞き付けて白いサテンのワンピースを着た小柄で青肌のアトランティス人の女性が現れた。巫女から事情を聞き、何処かで見覚えのある金色の瞳が、膝をついた恭一を見下ろし、彼が大事に抱えているアイテルの顔を覗き込んで、驚いたように目と口を見開いた。



「…この方達は私が対応します。皆に伝えて。神殿を全て閉じよと」


「マヤ様?いかがなされたのです?」


「分からないのですか。すぐに閉じなさい!!」



 困惑する巫女に一喝したマヤと呼ばれるアトランティス人は、来なさいと恭一に呼び掛けて踵を返す。艶やかな黒髪の頭に付けた金色の装飾を揺らす小さな後ろ姿に、恭一も立ち上がって重い体を奮い立たせながら追いかけた。



____



 神殿の奥へと案内された恭一は、既に来訪を分かっていたように待っていた祈り柱の助力を受け、後一歩というところで呪いを抑えられた。


 アイテルは到着した医者と祈り柱に任せ、恭一はマヤに別室で尋問を受けるかの如く色々と聞かれたが、やがて事情を理解したマヤは、呪いが進み、皮膚がもう普通の色をしていない恭一の右腕を祈り柱が手を当てて祈っている姿を見ながら口を開いた。



「私は、女神プサマテが守護神、マヤ・ケルト=ポセイドニア。アミュダラの3番目の妹にあたる者です」


「アミュダラ皇女の?」


 アクロポリスから離れてそんなに経っていないが、マヤと似た金色の瞳、銀髪で三ツ又の杖を持った見た目より長寿で神秘的な雰囲気を持つアトランティス人の皇女の事を思い出す。


 遠征に出す時も、片時もアイテルから離れてはいけないと念を押して送り出してくれた。確かアイテルの話では、彼女の縁戚の者はほとんど死別していると言っていたが、全員ではなかったようだ。


 目元が特に彼女と似ており、雰囲気もアミュダラと同様、見た目より大人びたものがあり、賢さが見えた。

マヤは恭一を疑いの目で見ていたが、事情と彼が守護者だと知ると、少し警戒は解いたようで、大変でしたねとねぎらいの言葉を掛ける。



「あんな風に抱えられて来たから何事かと驚きました。まさかそんな事情があったとは」


「君はどうしてここに?」


「今は皇族としての責務もなく。故郷を離れ、巡礼の旅に出ていました。姉様あねさまはお変わりありませんか?」


「俺が会った時は別に」


「そうですか」


 マヤは安心したように息をついたが、すぐに恭一の腕に視線を移し、眉を潜めた。


「…原初エバの遺物ですか。恭一殿の呪いを解くために、アイテルは探しに出てきたのですね。…どうですか、祈り柱ヤンディラ」


「…恐れながら」


 恭一の腕を診ていた祈り柱が手を止め、マヤの方に向き直って頭を下げ、恭一の方を一瞬チラッと見て口ごもっていたが、言葉を告げた。



「既に肉体は依り代となっております。後は、守護者殿の人としての理性がどれほど持たれるか…。真王陛下のお身体にも影響が出ていた程です。もはや祈りで癒し鎮めるのは…」



 それは今に始まった事ではない死の宣告。だがいよいよ時間切れが迫ってしまっているようだ。

 らうのちょっかいのせいで大幅に進んでしまったのだろうと予測がつく。

 恭一は黙って祈り柱の言葉を聞きながらも冷静に、もう何も出来ることはないと諦めがついた。そこに悲しみも恐怖もなかった。



「…残念です。エバの呪いは簡単に貴方を手放さないし、仮に放されても、五体満足に解放される事もないでしょう」


「言われなくても分かってる」


「せめて、遺物の手がかりはこちらでも探っておきます。それと、ウラニアとアクロポリス双方に連絡します。迎えが来るまで、貴方達はここにいてください」


「…俺は出ていく」


 これ以上ここで時間を潰すことは出来ないと恭一は、アイテルに黙って出ていこうとした。マヤは何処へ行くつもりかと恭一を止める。



「いつ呪いの依り代になるか分からない者を、行かせるわけには行きません。犠牲となるなら我々だけで十分。ここにいてください」


「じゃあ黙ってこのままここで、君たちと死ねって?そんな気はない。エバの所に行けばすぐに見つかると思ってたけど、肝心のアイテルは、これのせいで話せなくなったし、あぁやって倒れるせいで足引っ張る。そんなことを気にして足を止めて…これじゃいつまで経っても見つかるわけがない」



 そうしているうちに、彼女まで死ぬことになったら。その考えが一瞬恭一の頭を過って揉み消した。


「…貴方は、自分一人で物事が簡単に片付くとお考えなのですね。事情を聞く限り、もはや貴方一人の問題ではない。アイテルもただ、貴方とのお喋りやお出掛けに興じていたわけでもないでしょう」


「頼っても役に立たないなら、さっさと切り捨てた方が効率がいいってだけだよ」


「陛下を侮辱されますか!!」


 聞いていた祈り柱が激昂し、恭一にそう叫ぶように怒鳴り付けたが、マヤは表情こそ変えたものの、黙って彼女を制して下がらせた。


「声が出せなくなったのも、何度か倒れたのも、貴方が負うべきだった痛みも苦しみも、全て肩代わりしているのでしょう。それで済んでいるのは、アイテルがエバという存在だからです。他の者がどうなったか、ご覧になったのでは?それなのに、役立たずと切り捨てるのは何様のつもりですか??」


「頼んでない」


「エバに救いたもえとここへ来たのは貴方。結局それも要らずと立ち去るならば、アイテルに礼を尽くしてから出ていきなさい」


「…」


 言葉少なく素っ気ない言葉を突き返して、マヤに説教された恭一は立ち上がって踵を返し部屋を出た。


「…ラミエル」



恭一は呼び掛ける。身の内にある天使の名を。



__「君にしては諦めが早いですね」


 ラミエルは姿を見せないまま恭一にそう告げた。恭一の機嫌がいかに悪くとも、挑発的な言葉を述べる。


__「難題だと言うことははじめから突きつけていたでしょう。何を怒って自暴自棄になっているんですか?何も学んでないようだね、君も」


らうがいた時、何故羽を出さなかった?」


__「頼みもしないのに早々貸せるわけないでしょう」


「取り逃がした。あそこで捕らえて吐かせていたら」


__「不意打ちとはいえ、昔の女の生き姿見せられて、動揺しっぱなしの君に何が出来たのサ?」


 図星な部分を的確に指摘してくる天使に苛立ちが募り、手に血が滲むほど強く握られる。


「俺にどうして欲しいって言うの?咲が死んでからすぐに君が現れた。君は、何もかも知ってたんじゃないの。知ってるくせに、何も知らないって顔して、俺が転げ回るのを楽しみにしてる」


__「恭一が転げ回る??それは確かに見応えありますねぇ。最初に言ったはずだよ。天使はあくまで傍観者、悪魔もしかり。君の命は重要じゃない。死ぬ前に遺物を破壊してもらうって。了承したのは君だよ?あれー、命が惜しくなった?」


 恭一はようやく気がついた。天使には最初から恭一の命を助ける前提で話はしていなかったと。そもそも、破壊するためにエバを探せと言ったのだ。


 天使には見えない、まるで悪魔のようだ。こんな腹立たしい奴を長年飼っていたことに今更ながら怒りが沸き上がる。



__「心配しないでよ。君が死んでも、ちゃんと安らかな場所に送ったげるからサ。長い付き合いだし」


「……だったら、彼女は巻き込むな」


__「どっちの事?」


「どっちも何もない」


アイテルの事だ。

天使はそれを分かっているかのように言った。


__「…君の魂をかけて、ですか?」


「元からそういうことでしょ」


__「じゃあ、彼女に面と向かって嫌いって言えたら、私と二人で遺物探し続行、天国巡りの旅に出ようか?」


「…何それ。ふざけてるでしょ」


__「言えるでしょ??君なら~ナチュラルに女を袖にしてきたプロだし。ほら、言っておいで。お前の事が死ぬほど嫌いです。役立たずだし、一緒にいても利益がないから出ていきまーすって」


「そのかわり、もうふざけた言動は最期までなしだから」


__「いいよ?」



 天使との約束通り、恭一はそんなことこの苛立ちと焦りの勢いで簡単に言えると思っていた。

アイテルが運ばれた部屋へ向かい、無断で部屋の扉を開ける。医者や祈り柱達の姿は既になく、アイテルは一人で小窓の外をベッドに横たわりながら眺めていた。

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