第21章 光と花の園にて

 この街が何故賑わっているのかは聞かなくても分かった。美神の膝元である首都ウラニアの郊外にあるらしい街で、アプロディーテの饗宴きょうえんを祝う庶民的な祭だ。


 魔法使いのサーカスや催し、活気づく市場には、アプロディーテの象徴であるアネモネの花と泡を表すエンブレムが刺繍された旗がそこかしこになびいている。



 アイテルは恭一から離れないよう腕に手を回し密着して歩く。繕ってばかりの近寄りがたい微笑を崩し、銘々とした明るい表情で興味津々に屋台や演し物を見ていた。


一方、恭一は変わらぬ無表情で、普通の原理では説明できない力で浮いている物や人をただ眺めたり、人混みが多くて歩きづらいとかそんなことを考えながら、たまにチラッと隣のアイテルに視線を流す。


「…!…!!」


「…?何?食べたいの?」


アイテルが立ち止まり、屋台の方を指差して恭一に訴える。見ると、ケバブのような食べ物を売っている事が分かり、恭一は食べたいと訴えるアイテルに1つ買ってあげることにした。


「これ1つください」


「ありがとうございます!マチャフお1つでいいんですか?」


「あぁ。……マチャフって何?」


「マフティンっていう、牛に翼が生えた動物の睾丸を、ソースと一緒に生地に包んだものです。美味しいですよ」


「…………」


 またそんなゲテモノを食べたいと言ってたのかと、恭一は口に出さないながらもニコニコで受け取るアイテルを横目に少し引いた。

 いくら食文化が違うと言えど、ダイオウグソクムシに加え、動物の睾丸。更にはそれを美味しそうに頬張って食べるのだから。


「…!」


「俺はいらない。ほら、ねぇ、ソースついてる。拭いてちゃんと」


 恭一の右手をぎゅっと握ったまま食べてるアイテルの代わりに、恭一は仕方なく露店のカウンターにあるティッシュを取って口元を拭いてあげた。なんで俺がこんな世話を焼かなきゃいけないんだという文句はありながらも、モリモリと美味しそうに食べているアイテルの顔をまるで、昔学校で飼育されていたハムスターみたいだなと思ったりもした。

 食べているのがタネではなく、動物の睾丸なのだが。


「~!」


「分かった…行くよ…」


 アイテルが食べ終わると、また再び二人で露店を見て回り、アイテルが気になった店には必ず足を止めた。食べたいものは買ってあげ、射的やルーレットがやりたいと言えば付き合い、まるで執事のジュドーのような立場になった気がしたが、実際はそれとは全く違っていた。



「…さっきから食べてばっかりだね、君…」


 祭りの露店を回るだけでも子供のように目を輝かせ、声が出ないのにも関わらず忙しなく恭一を連れ回しては買い食いをして、最終的にデザートのスフレパンケーキを食べながらようやく広場の段差に座ってくれたアイテルに、恭一は真顔ながら疲労を感じさせる表情でそう呟く。


「…?」


「別に、少し疲れただけ」


 顔を傾けてきょとんとしたアイテルの様子を見て、なんとなく言いたいことが分かってそう答えた。手軽なジャンクフードとはいえ、よくもまぁそこまで次々に腹に入るものだと恭一は思う。


 腰を落ち着けて休みながらも、周りの警戒は解かずに怪しい気配がないかを気にし続ける。それには慣れているが、手の呪いがいつまた開くかも分からない。早くこの人混みから遠ざからなければならないが、アイテルが満足するまでは付き合おうと思ったのだ。


「っ!っ!」


「今度は何?」


 アイテルは近くの広場にある露店を指差し、恭一に何かを訴える。小物を売っているお店のようで、とりあえずアイテルを連れて近づいてみると、簡易的なテーブルの上に石で出来た彫刻の置物があった。


 それは、この祭りにも深く関わる夫婦円満のご利益を込めた物であり、真王であるアイテルを象った女性と隣にそれぞれ違う男性が二人一組になって置かれている。


「いらっしゃいませ。お客様もどうですか?近くのキュテラ神殿で、真王陛下のご加護を賜りながら彫られた夫婦石です。かのイブリシール閣下と真王陛下のように、末長く円満に仲が続く御守りのようなものです」


「…ふぅん」


 恭一は視線を隣でその置物を眺めているアイテルの方に向ける。

いつもなら微笑で取り繕っていただろうが、明らかに口をへの字にして不満そうな顔をしていた。これを見て確実に、この置物に加護もご利益などないのだと言うことを確信する。


「一つ買って行けば??効果あるかどうか確かめるのに」


「っ~!!」


 恭一があえて意地悪な提案をしてみたら、アイテルは本気で嫌がっている。これが本音かと恭一の口元が少し緩む。

 が、その隣の方にあった娘達の姿を象った置物を見ると、表情が柔らかくなり、可愛い可愛いとアイテルは愛でるように眺める。夫の方はともかく、子供に対しての愛情があることは確実に示していた。


「そちらは子守り石です。お子様が健やかに育ちますようご加護を賜わっています」


「ここには良縁と子守り関係しかないの??」


「愛の女神アプロディーテ様のお祭りですから。ちなみに、旦那様にはこちらの石が…」


「いらない」


 店主の老婆の勧めてきたものが明らかに男性のを象った物だった為即断った恭一。アイテルにまでこんなものを見せられる前にさっさと離れた。


「はぁ…全く」


「…?…??」


「俺?別に見たいものとかないけど」


 アイテルが恭一に気になったお店はないかと指し示して聞いていると思った恭一はそう答える。しいて言うならこの人の多い場所から離れて休みたいと思い言おうした所、すぐ下の広場で音楽と喧騒が始まり、アイテルは気になってそちらを見下ろした後、恭一を引っ張って広場まで下った。


今度は何だと恭一は引っ張られるがまま階段を下った先の広場で何が起きているのかを見る。


 花のアーチが並ぶ下を、白い服と花冠をつけた男女が仲睦まじく、陽気な音楽に合わせて踊る様子。その中心には、生きた原初の子宮を現す女性像があり、供物が備えられていた。女性像は丸い玉のような物を目を閉じて慈しむように抱えている。アイテルを象った偶像であった。


 ジュドーの話では、アイテルを偶像にして崇拝することは禁止していると言うことを恭一は思い出す。原初は、あらゆる姿形をとり、一つに限らないからだ。

 だからあれは限りなく本人には離れた姿だが、何処と無くアイテルの面影があると恭一は感じた。


 これは貴族階級でも催されていた新婚の男女のダンスなのだろう。特権階級は真王の見ている前で踊り、一般庶民は偶像の下で踊る。


恭一はくだらなそうに鼻で笑って、冷たい目で彼らを眺めた。たとえ真王を前にしていても、豪華な食事や衣装、階級があってもなかろうと、願いが叶うかは分からないものだというのに。


「…結婚なんてくだらないね」


立ち寄った夫婦石の店の事も思い出し、ぽろっと口から出た恭一の言葉に、アイテルは恭一の方をきょとんとした表情で振り向き、眉にシワを寄せてダンスの光景を眺める恭一を見た。



「散々見合い話を親に持ってこられたことはあったけど、妻とか子供とか、いても邪魔なだけだし。俺のやることに不満たらたら言われたり、手を焼かされるだけなのに…まず、わざわざ一緒の家で暮らす必要あるのかって思うんだけど」


「!!」


 アイテルは色んな意味でショックを受けたが、恭一は何食わぬ顔で彼女を見つめ返す。


「…何、その信じられないって顔。悪い?だって一人で十分なのに、わざわざ生活の中に他人なんか入れる必要ないからね」


「っ…っ…」


 ちょっと悲しそうな表情のアイテルは何か伝えようと口をパクパクしてるが、相変わらず声が出せない彼女が何を言っているのか恭一には伝わらない。


「…縛られるのが嫌なだけだよ。好きでもないものにとか、特に。仕事の関係上、家には全く帰れないし、家庭があると不都合が出るから」


「っ!」


「というか全く結婚は視野に入れてないけど。そもそも、そういうことに興味ない」


 そっぽを向いて追加で答えた恭一の言葉に、アイテルは意味がわかったかのように表情が明るくなり、へらへらと満足した笑みを見せた。

一体何なのその顔はと恭一はわけが分からなかったが、アイテルは嬉しそうにしていた。



「そろそろ満足した?もう行こう」


「…!っ!」


「は?っ…待って。やめて。それは絶対付き合わないから」


 恭一がもう祭りはいいだろうと離れようとしたが、アイテルはニコニコとそのままダンスに混ざろうと腕を引っ張って行く。


嫌だ、止めろと拒絶したが、アイテルはお構い無しに男女のダンスの輪へ混じり、向き合った恭一の手を腰に添え、そのままゆっくりと恭一をリードするように動き始めた。


 社交ダンスなど死んでも嫌だ、生涯絶対やることなどないという恭一はあからさまにアイテルを睨みながらぎこちなく、というより、嫌々ながらステップについていく。ちょうど曲は、ゆったりとしたバラードへ変わった所だった。


 こんなところを弁慶に見られれば、後に語られる滑稽なエピソードとして残され、ジュンフェイや部下には嫌というほどからかわれるというものである。


「~!」


「…もう君とは口利かない」


 怒りながらそう宣言するも、アイテルは声なき声で曲に耳を傾けながら鼻歌を歌う。まるで子守唄のようで、荒ぶる心も感情も落ち着かせるような、微笑みで恭一と向き合う。


 怒りも焦りも、なだらかな波風のように包み込み、静けさに身を任せているように落ち着いている恭一がいた。共に、この呪いを分かち合う事を許したアイテルは、どうしてここまで俺にするのかと、やはり答えが知りたくなった。


 恭一は今はっきりと鮮明に思い出す。この世界へ落ち、憎しみの呪いと共に、あの暗い海の中でただ沈んでいく自分を抱き止め、水面の上へ引っ張りあげてくれた事を。


 どうして、見ず知らずの男にそんなことをしたのか。しかも、殺すべきである厄介事の種を持ち込んだ男を。…どうして??


 どうして、俺に構い続けるのか。どうしていつも、俺を見て幸せそうに笑っているのか。…忌々しい、あの赤い瞳を持っているくせに。殺戮に身を宿した、血の色。呪われた瞳の色。


 どうしてこんなにも、一緒にいて安らぐのだろうかと。自分の命が死に向かうまでそんなに遠くもない。今更安らぎなど必要ない。でも、それを彼女は与える。頼んでもいないのに、与え続ける。


一生、自分の力では手に出来ないだろうと思っていたものを。



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