間章 あなたが隣に

 その夜、外は騒がしかった。

真王が離宮で倒れたという情報がすぐに広まっり、エサを求めて群がるアリのように、暗殺者の影が集まった。


 外で見張りをしていたジュドー、ハルクマン、ミツキという少人数精鋭が敵を片付ける音が、雨が降りしきる雑踏の中、寝台の傍で寝ずの番をする恭一の耳にも入る。


 部屋の隅の椅子の上で既に寝息を立ててしまっている弁慶は、もはやその音に気がつかないようだ。


 アイテルのいる部屋まで暗殺者がたどり着く様子はなく、雨の音に紛れ、音も最小限に抑えられているというところから、3人の手際が良く、慣れていることが分かった。


「…」


 外の喧騒に、呪いが反応して痛みを増し、手を強く握り締めた。もしや、この夜の騒動はまたこの呪いが引き寄せているものかと考える。

血に染まるかのように瞳を赤く濁らせ、今ジュドー達を襲っているのは、呪いが起こす災いなのではないかと。


 寝台のアイテルの様子を伺うと、長い髪と後ろ姿が上下に揺れているのが確認できる。


女の泣き顔を見ただけで心臓が少しはね上がって、身体の温度が高くなったのはなんで?


そう頭の中で、アイテルの背中に恭一は問いかける。


 こんなことは一度だってなかった。

自分の母親が、家を出て勝手に外国に行く息子を捕まえようと泣き叫んでいるのを見た時ですら、何も感じなかった。

一体俺に何をしたのか。呪いを抑える以外に、身体に何か仕掛けたのか?


 そう聞きたくなると同時に、またもさっきの泣きそうな顔で痛くしないで欲しいと懇願するアイテルを思い出して、胸が疼き、喉が渇く。


 冷めきった心臓、人への関心など一生持つことも無縁だと思っていた彼には、これがどういう感情なのか分からなかったが、少し気を緩めた隙に、呪いが侵食した右腕が急に動き出し、腰に差していた警棒を掴もうとする。


【殺せ】


【この女を、殺せ】


【憎しみをたぎらせ、委ねよ】



 あろうことか、目の前のアイテルを殺すように頭の内から命令される。

 恭一は左手で右手を強く抑え込んだが、右手から出る腕力は抗おうとする。


「っ…動く……な」


【どうして?お前にとって価値などない女だろう】


【殺せ】


【抗うことも、逃げることも出来ぬ。強さを手にしたいのだろう?】


「っ…ぐっ…!」



その時、アイテルがこの事に気がついて起き上がり布団を払いのけてすぐに、警棒を手にする恭一の右手を掴んだ。


「私を見て、大丈夫」


 落ち着くようにと恭一の顔にも触れて、アイテルの顔とほのかな香水の香りが近づいた。アイテルの手が恭一の右手を掴み続け、青いペンダントの鉱石の淡い光と共に、ブツブツと何か唱え続けていると、恭一を蝕むような声も痛みも遠のいた。



「ジュドー達は大丈夫です。外は任せておきましょう」


「…」


「ね?」


「離れて」


「落ち着いて。手を握っていてください。こうしていれば、大丈夫ですから」


 手を振り払おうと拒否するも、アイテルは頑なに手を解こうとはしない。


 アイテルがそのまま手を引き、再び寝台の方へ恭一を連れていく。また布団の中へと潜り、寝台に腰掛けた恭一と手を繋いだまま枕に頭をつけた彼女は、この状態が恭一にとってどんなに不快で、危険なものなのかを知らないようだ。


弁慶が側で寝ているとはいえ、男女が二人で寝台の上にいるというのは、何が起こってもおかしくはないことだ。情事に興味のない恭一でさえ、本能的にそれが分かっていた。


「もういいでしょ、ほっといてよ」


「嫌です。握っててください」


ムッと頬を膨らませながらぎゅっと恭一の手を握り締めるアイテルに、恭一はあからさまにため息を吐く。


「君、状況分かっててやってる?」


「状況ですか?」


「わざと言ってる?俺に言わせないでよ、わざわざ」


「だって、やっぱり心配です。お城の外だと、勝手が利きませんから」


「そういう意味じゃない」


「では、何ですか?」


 また一度起き上がり、恭一の背中のすぐ傍までアイテルは近づいた。


「私と一緒の寝室に居ることがですか?」


 分かってるじゃないか。

そしてその寝台の上で二人して手を繋いでいると言う状態。誰かに見られたら、勘違いされてもおかしくないだろう。


 鈍感なふりしてとぼけるなと恭一は頭の中で思っていたが、ほのかに香る花の匂いの香水とアイテルが僅かに動く度に擦れるシーツの音が胸の中を曇らせた。そして、後ろから顔を覗き込まれ、顔を逸らした。


「抵抗ないの?」


「抵抗とは?」


「寝てる側で、男がいたら気になるでしょ普通」


「あら、そのご心配でしたか」


 まるで何も分かっていなかったという呑気な様子で、アイテルは小さく微笑みながら恭一の顔を覗き込みながら答える。


「お城に来た頃は、寝る前もよくジュドーが傍についていてくれたもので、いつの間にかそういうものだと思ってましたわ」


「執事と俺は違うだろう」


「えぇ、違いますわね」


「何されても良いってわけ?」


「…内容にもよりますけど…」


"内容"とは?

ふざけてからかっているのかと思い、恭一はアイテルの方に視線を戻してみると、アイテルはただじっと上目遣いで、恭一が苦手な赤い瞳で見つめてきていた。


「恭一さんは、嫌がる事しないでしょう?」


「するって答えたら?」


「…私でよろしいのでしたら」


「っ…。バカじゃないの」


 ちょっと満更でもなさそうに返してきたアイテルの言葉が本気か否か。しかも、既婚者で子供も何人かいるのだろう。


掴もうとしても煙のように手から抜けていくこの掴み所がないこの対応に、恭一は思わず頭を抱えたが、その様子に笑って肩を叩き、冗談ですわとアイテルは言った。


「でも、手をお離しになったら、またさっきのようになってしまうかもしれませんよ。お外も騒がしいこと。こうしてる方がお互い安心ではないですか?弁慶さんも傍にいることですし」


 もはや存在を忘れていた弁慶が部屋の隅で、完全に寝ていることを思い出させる。だから二人きりでいるわけではないでしょう?とアイテルは言うも、むしろ男二人と一緒の中で平然と寝ていた事にもますます呑気だと思える。


もし何かされたとしたら、あの執事が黙っていない自信があるのだろう。


「ねえ恭一さん、私、気になっていた事があるのですけれど」


「…何?」


「恭一さんがお話されていた、母親代わりだった方って、どんな方でしたの?」


「どんなって。別に普通だよ。君が知ったってどうしようもないことでしょ」


「知りたいだけですわ」


 また恭一の事が知りたいだけだと言って、話して欲しいと催促してくるアイテル。

 恭一は彼女の話題についてはふと口にしてしまったものの、あまり触れられたくない話だ。



「…喧しくない、賢い人。うちでは母親が子供の世話をする事はない。だから俺の世話役で彼女が家に来た。それ以上は話したくない」


「どうしてです?」


「話したくない事もある」


 そこまで言いながら横目で睨んだ恭一の話を、右手と左手を繋いだまま、アイテルは少し寂しげに微笑みながら、そうですか。と呟き、こう言った。


「大切な方でしたのね」


「さあね」


「貴方がそうやって大切に想われていた方だったという事は、それほど深い愛情を注いでくれていたのですね。ご立派に成長なされて、その方もお喜びでしょう」


「…かもね。そういう人だったから」


 自分を庇って死んだのも、それほどの覚悟がなければ出来なかったはずだ。しばらく幻影がつきまとって離れなかったけどいつしか彼女の事は記憶の何処かに消えていた。


自分の命を今に繋いでくれた人。本当の家族よりも、親しい存在である事は間違いない。


 父親は普段たまに顔を合わせても、思い通りの息子でなければ機嫌を悪くし、今に至るところでも親子らしい会話などしたことがない。


 母親は常に家の品格というものだけを気にしているような人物だ。親戚も、同じようなもの。今はもう廃れていくだけの権力と金に寄り付き、常に本家の跡取り息子がいつ転ぶかを眺めている。


まるで、檻に入れたサーカスの小猿みたいに。しつけて転がして、そのうち檻の中でも忠実になるよう諦めがつくように。


『坊っちゃんは、坊っちゃんでよろしいのです。他の人がどのように思われても、私は、ありのままの貴方が好きです』


 その檻の外で咲が告げた言葉は、どんな声をしていたのかわからない無音のままで、記憶に残っていた。


 あの頃は年がいくつも離れていた。生きていたとしたらもう何処かに嫁に行って、子供もいたかもしれないが、咲はいつまでも結婚しないままで、恭一と同じところにいたかもしれない。何気なくいつまでも、傍にいたのかもしれないと。


 口には出さなかったものの、恭一の伏せた睫毛と瞳を見て、アイテルは心中を察していた。最後、その女性がどうなったのかも。


「…寂しい、ですか?」


「何?」


「そう見えますから」


「……寂しくはない。ただ」


「ただ?」


「弱かった自分に、腹が立つだけ」


 今だったら、あの時瓦礫が降ってきても自分でなんとか出来た。子供で未熟だった、思い出すのも嫌なぐらい、雑魚だった自分に、ムカついているのだ。


それを聞いたアイテルは、首を横に降り、握っていない方の手で、恭一の顔の横をそっと撫でた。


「弱くありません、貴方は強い人です。人を思いやれる優しい方。そうやって自分をお責めにならないで」


「…それが強さだって言うなら、俺は弱いね。人を思いやるなんて無駄なことはしてない」


「していますわ。今、お話を聞いてそう感じましたもの。無力さを悔いて、貴方はここまで強くなられたのでしょう?貴方の強さは、貴方だけのものなのですか?」


「…」


 何のために強くなられたいのでしょう?

咲にも聞かれた同じ質問に同じように答えようと思ったが、あの時自分の答えた答えと今の答えが一致しているのか分からず、黙っていた。



『坊っちゃん、覚えておいてください。本当に、強い人というのは…』


 あの言葉の先が思い出せない。咲が自分に遺して、命を散らした直前の最後の言葉を、恭一はまだ思い出せなかった。


「疲れましたわね。もう休みましょう?」


アイテルは恭一の顔から手を離すと、左手は繋いだまま布団の中へ戻る。

いつの間にか外の騒がしさは止み、雨の音だけが静かに響いていた。



「お眠りになりたいのでしたら、どうぞ。私の隣が空いておりますわ」


「…既婚者の言う台詞なの?」


「夫の中には、他に奥様がおられる方もいますもの。むしろ私より前に」


「本気で言ってるならノーだからね。君に興味ない。むしろ、イラつく」


 無愛想に突き放した恭一だったが、恭一自身も自覚なく、耳の後ろが赤くなっていたのにアイテルは気がついていた。


「可愛い人」


「今なんて言った?」


「このままで居てくださいねと言ったんですのよ」


「…へぇ?」



 絶対嘘だと恭一は分かっていたが、アイテルは安心したように目を瞑り、長い髪と共に枕に身を委ねた。

不安な夜はいつも、誰かに手を握って貰っていたものだと懐かしさを感じながら。



____


「ったく、なんだこりゃ。潜り込ませたって数じゃねーぞ」


 外では、雨の中でハルクマンが、さすがに来すぎじゃないか?と地面と水溜まりの上に落ちている亡骸の数々を見て、その多さに驚いた。理由はそれだけではなく、ジュドーが一人一人の頭を掴んで顔を覗き込んでいた理由もあった。


「…全員赤目だな」


「アイテルと祈り柱が総出で結界張ってるんだぞ。呪いは収まってるんじゃねぇのか!?」


「だから外からじゃねぇ。内部に潜り込んでた刺客に作用したんだろ。だが、アクロポリスとは違って、無関係らしい人間もいない…」


 アクロポリスの守護神達が呪いに含まれる原初エバの畏れに、存在が不安定になってしまった時のように、何物にも呪いの方が強すぎる。

ジュドーはふと思い出し、死体の身につけているものをまさぐると、想像していた通りの物が出てきた。


黒ずんだ和紙の中に、人間の切った爪がコロンと転がっている。あまりに小さい物のため、効力は衰えていたが、やはりかとジュドーは勘づいた。



「…来ると分かって仕込んでいたか」


「何が?」


「俺達をつけている奴がいる。注意しろ。何処にも、安全な所はないと思え。例え、アクロポリスであってもだ」


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