第10.5章 煩わしい感情



 魔物の鎮圧が完了し、ジュドーが戻ってから再び出発した馬車の中で、アイテルにチェスを教えながら時間を潰す恭一は、頭の中の天使に呼び掛けていたが、反応がない。


先ほど襲ってきた魔物と呪いの関連について聞き出そうとしていたが、天使は恭一の側にはいないらしい。


 先ほどよりは形にはなってきたチェス盤を見ながら、アイテルを観察する。


 本当に、あの執事から何を教わったのか。もしくは、教えたがあまりに才能がなかったから何気なく見放したのか。そんなレベルの遊戯だったが、何ゲームか重ねていたら、だいぶ上達していた。教え込めばそれなりに出来るタイプなのかもしれない。


それでも、絶対にキングは取らせないという恭一の初心者相手にも邪魔なプライドで、彼女が一勝取ることはなかった。



「ご覧になりまして??私初めてお駒がこんなに残ってます!」


 それでも嬉しそうに上達を喜ぶアイテルは、盤上の絶対に勝つことのない布石を置いている恭一の手腕に気づいていない様子で楽しんでいる。魔物の事も呪いの事も、まるで忘れているかのように。

それでも、いざと言う時に、魔物を一掃できるほどの力が彼女にはあると分かって、一応真王であり、エバと呼ばれる者であると言うことを恭一は実感した。


 あまり顔色が良くない。額には汗が滲み、時折駒を動かす手がぶれる。そして、左手は全くテーブルの下から動かさずにいる。


「…アイテル」


「?はい」


 真王、君、という呼び名ではなく、ふと名前で呼んでしまった恭一に、アイテルは盤上を見ていた顔を上げて、ふと嬉しそうに微笑みながら恭一を見る。

恭一はアイテルの手を目線で指し示しながら言った。


「見せて」


「何を?……お手ですか?」


「そっちじゃない。左の方」


 チェスを動かしていた右手を見たアイテルにすかさずそう言うと、アイテルは一瞬動きが止まり考える表情を見せた後、テーブルの下から左手を上げて、恭一に差し出す。

それを恭一は掴むとぐっと手のひらを上に返す。

線が細く長い指先の手のひらの中、治りかけていたが、恭一と同じ十字の傷が口を開くかのように開いていて、血がまだ残っていた。


「…これはどういう傷?」


「呪いが、私の邪魔を振り払うように抵抗してる証拠です」


「魔物と何か関係がある?」


「関係があるという意味では、この呪いは災いを呼びます。魔物は災いと同じです。魔物には命も理解もありません。深淵と呼ばれる、罪が重過ぎる魂の堕ちる場所から産まれた魔物は、ただ災いを生むだけの存在」


それ故、恭一さんの呪いに引き寄せられて来たのでしょうと言いつつも、アイテルが感じ取った森の奥にいた何らかの存在が、干渉してきた可能性もあると言った。


「誰か思い当たるところは?」


「考えられるとすれば、"サネクソス"かと。今の人類が産まれる以前より昔、エバによって深淵に追いやられた者達です。サネクソスの意味は、『冒涜者』『赦されざる者』」



 かつて私が王になる以前より、深淵よりこの世界を支配しようとしていた闇の者達だとアイテルは語る。


 その罪の重さ故に本来深淵からウラノスの世界にまで存在を維持できるほど干渉することは出来なかったが、近年エバの力が衰えた事によって、彼らを率いる妖王によって、侵略してきたのだ。深淵に潜むものである故か、彼らは魔物を意のままに操ることが出来たという。


しかしアイテルの統治となりエバの力が回復した事で、彼等は深淵から出てくることはなく、力のあるサネクソスはほとんど戦争で打ち倒した。可能性はあっても、低い。


それは悪魔か何かかと聞いた恭一に、悪魔と言われる定義はあるものの、実際は同じ人間である。


「真王の馬車だって言うことももう既に分かっていたようだね」


「そうですわね。もうこういう事には慣れております」


「で、この傷についてだけど、今だけこうなってるわけじゃないんだろう?…また、変なお節介かけてるんじゃないだろうね?」


 傷ついてまだ血が滲んでいるアイテルの手を握りながら、恭一は彼女を睨むように聞くと、アイテルは安心させるように微笑みながら答えた。



「貴方が私を守ってくださるように、私もこの呪いから貴方を遠ざけてるだけです」


「……」


「大丈夫ですのよ。ね?」


「…余計なことしないで」


 アイテルの手を渋々放しながら、恭一は言いたいことの大半を全て飲み込み、一言だけ告げながら腕を組んで、そっぽを向く。


「俺は子供じゃない」


「まっ。子供だなんて。そんなこと思ってません。怒らないでくださいな」


「別に怒ってない」


嘘くさい笑顔と言葉だ。まるで誰かと同じように。恭一はアイテルの顔を見てそう思いながら馬車の揺れに身を任せた。



____



 エンヴィー領首国、紅嵐こうらんへ到着し、アイテルは静かに出迎えられた。


 紅嵐を治める皇帝エンヴィー公がいる本宮ではなく離宮であるが、立派な敷地と赤い瓦屋根が特徴のまるで古代中国の宮廷の雅な門構えだ。アクロポリスの神秘的な雰囲気とは違い、華やかさがありながら歴史の古さを感じられる。


「真王陛下のお目にかかります」


 アイテルの馬車の前に整列して地面に膝をついた漢服の人間達が出迎える。けして誰も頭を上げずにいる中、立ち上がり、両手を前で組んだままアイテルが降りる馬車の前へ来ると、ジュドーが扉を開け、支えられながらアイテルが降りた。その後ろから恭一も降りて、この場所の情景を確認する。


「お待ちしておりました。我らの地にエバの祝福をお与えください」


「御苦労様です、竜師りゅうし殿。此度の急な見立ての準備は大変だった事でしょう」


 竜師りゅうしと言われるのは、祈り柱の世話人であり、柱が育成される『塔』と呼ばれる場所から派遣された高位の神官である。


 柱の役目を担うことはないが、祈り柱の見立てを行い、ナーガラージャの意識との交信が出来る者。あくまでもメッセンジャーかその中継地点のようなもので、柱のように深くエバの繋がりを持つことは出来ない。


アイテルからの労いの言葉に、壮年の竜師である男は深く頭を下げ、丁重に厚意を受け取った。


「こちらの準備はもう整って御座います。時間がかかる事で御座いますので、道中のお疲れを癒されてからでよろしゅうございますか?」


「いいえ、お気遣いなく。そちらがよろしいのでしたら」


 アイテルはすぐに儀式を始めようと言った後、思い出したように隣にいたジュドーに何か言葉を告げた。

恭一はそれを少し離れた後ろで、周囲を伺いながら見ていると、ジュドーが恭一の方を振り向き、こっちへこいと顎を動かした為、恭一は側に近づいた。


「陛下の儀式が終わるまで、近くで俺と待機だ。手洗いに行きたいなら今のうちにとアイテル様は仰ってるが、どうする?」


「どれぐらいかかるの?」


「数時間から半日はかかる」


「…行く」


「行かれるそうです」


 この至近距離なのにわざわざ耳打ちする必要があるのかと恭一は思ったが、アイテルは竜師りゅうしに、御手洗いをお借りできますか?と代わりに聞くと、竜師は勿論ですと了承し、あちらの建物にありますと指し示したのを見て、恭一はさりげなくアイテルの腕を掴む。


その意味を分かっているアイテルは、笑顔で返事をしてジュドーの手から離れる。その後ろをジュドーは恭一の背中を睨み付けながらついていった。



途中でアイテルと別れて用を済ませた後、戻る前に一度、右手の手袋を外す。


 呪いの侵食が進み、十字の傷を中心とした皮膚が鬱血したように変色し、手首にまで伸びているのを確認した。先程呪いに喰われたかと恭一は考える。


試しに自分の力で抑えてみようかと思ったが、頭の中に潜む天使に止められた。


_「無駄だよ恭一」


「呼んでもいない時に出てくるね、君」


_「祓おうとしても逆手に取られるだけ。相手は悪魔でも悪霊でもないのだから」


「魔物が出てきた時、何やってたの?腕が勝手に、周囲の人間まで撃ち殺そうとした」


_「もうこの呪いは、恭一の手を支配している。君の意思は関係ない、そういう呪いなんだよ、これは」


衝動的な殺意、憎悪、闘争心を駆り立てる。依り代となってしまった君を乗っ取るには、最高の誘惑だろうと、天使は嘲笑うように言った。


「今後、俺は誰かを無差別に殺すようになるか。魔物というものまで、呼び寄せてるような話も聞いていたけど」


_「最初からだよ。その呪いが、魔物を呼んでいる。魔物だけじゃない、あらゆる災いをだ。だから、君にはずっと祈り柱がついていたし、真王も夢の中まで追いかけてきたぐらい君を気にしていたってわけさ。子守りされてる気分にもなるよね」


「…もう既になっているというわけか」


 恭一は少しため息をつきそうになるも、鏡の向こうに見える自分の顔と、その後ろから肩に触れているラミエルの姿を見つけた。


_「まだ正気な分マシと言うものだよ。けど増えるだろうね、そういう事は」


現実の世界には出てこない幻想の世界の天使は、恭一の横顔に白くも金髪の混じった髪と顔を横に近づけて、ニヤリと笑う。



_「でも、さっきのはわざとけしかけられたものだね。君を呪いに喰わせるために、無理矢理接近させた」


「誰がやった?」


_「さあね。エバが言った通り、いずれ何処かで会えると思いますよ?」


「…役に立たないね。本当に」


_「エバの言っていることが信じられないと?」


「神とか何かを盲信するほど俺は愚かじゃないし…彼女の口先は、特に信用出来ない」


天使が傍にいるのに信じられないとは、おかしなものだとラミエルは首を傾げた。

しかし恭一は、アイテルの言葉の端々には嘘が透けて見えていると答えた。元々バカ正直な癖に、それを見せないようにうまく言葉と態度を選んでいるのが見ていて分かると。


本音をぶつけることができず、柔らかい表現で避けるような文化のある地域で育って来たから、余計に分かるのだと。



_「…そんなの、君達人間は、同じじゃない?くだらない見栄や尊厳、全てにおいて腹の探りあいをするんだから」


「だから信用出来ない。俺を助けた理由も、必要以上に俺に構ってくる理由も分からないし。…本当は我慢して嘘ついて誤魔化してまで、俺を呪いから庇ってる事も」



 恭一の言葉を聞いたラミエルは何処か呆れたような顔をして、まるで哀れだと言ってるような表情で見つめていることに、恭一は眉を潜めた。


「なに、その顔」


_「…子供の時から色々乏しいなって思ってたんだけど、君にもそうやって人の心配が出来るようになったんだと思うと、感慨深くてね」


「心配??俺が言いたいのは、どうしてそこまで俺に尽くそうとするのかって事だよ。弁慶じゃあるまいし」


_「だから、心配しているじゃないですか?他人や弁慶にすら、そこまで気にかけてたことはなかったでしょう?それに、チェスも丁寧に教えていた。めんどくさい、勝手にやれと放り投げずに」


「…君までなんなの」


 とことん人には無関心だった恭一を知る天使は、恭一自身よりも恭一の事を知っていた。唯一無関心の内側にいた女性を亡くした時から、天使は恭一の傍にいたからだ。


「それが心配という事だったとして、何が言いたいの?」


_「別に何も。まぁでも、今の君にはまだ、真王の真意に気付くのは、無理かもしれないね。彼女は真王である以上、言葉は慎重に選ぶ。それが自分の本心でなくとも、言わなければいけないこと、望んでもないのにやらなければいけないこともあるだろう。でも、君への態度はまるで特別扱いだ。とても分かりやすい理由ではないのかな??」


 返答が自分をまるでバカにでもしているのかと思うようなもので睨み付けた恭一は、声を低くして天使に言った。


「君さ、昔からそうだけど、いい加減答えを知ってるのなら、謎掛けなんかしないでさっさと答えて。時間の無駄だ」


_「このぐらいの事、自分で気付きなさいよ。鈍感坊主」


 恭一は殴れないと分かっていながらも、背後に向かって拳を振り上げた。

天使の姿は現実には現れておらず、自分一人だけの空間だった。



「………」


心配なんかしていない。煩わしいだけだと言うのに、これが心配だと?彼女を気に掛けていると?そんなんじゃない。どうして俺が。


 ラミエルの最後に言い残した言葉が頭に突き刺さり、モヤモヤしながらも恭一は再び手袋をはめ、トイレから出てアイテルとの待ち合わせる場所まで戻った。


そこにはアイテルとジュドーが先に待っていたが、何故か傍に弁慶もいて、何やらアイテルは彼と談笑しているようだ。楽しげに弁慶と話すアイテルの姿に、恭一に僅かな苛立ちを覚えさせた。


「そうですのね、お二人はその、京都という地域の御出身ですのね。どのような所なのでしょうか?」


「ハハッ…元々日本の一番お偉いみかどすんどった古い都なんです。今はその御所を初めとした、風情の残る観光街って所ですかね。秋は紅葉が綺麗なんですよ」


「まあ、是非見てみたいわ!ジュドーは知っていますか?その京都という場所の事を」


「えぇ、存じておりますよ。由緒正しき、帝のおられていた貴族のみやこ。格式高い場所の為か、の者には少々敷居が高く難しい場所です」


「いや、そないややこしくは…」


「京都民は、言ってる事と思ってる事が真逆という暗号を用いて会話をいたすとの事、その暗号を解読する事は非常に困難でございますので、意味を汲み取ることが出来なければ無粋と見なされ、牛で市中引き回しにされます。後、たみは顔が白塗りで狩衣かりぎぬを着て外を練り歩いているとか」


「半分正解ではありますけど間違ってます!!それに最後の情報はいつの時代の話してます!?」


ジュドーの偏見混じった説明に慌てて弁慶が違うと言うも、アイテルは説明に「白塗りに…?なんてコミュニケーションが難しい場所なの…」と信じかけていた。

どうやら弁慶はまた、ベラベラと余計なことを話していたらしい。


恭一が三人に近づいていくと、弁慶は「若!若からもなんとか言ってください!」と巻き込んでくる。


「あら、恭一さん。今、恭一さんと弁慶さんの御出身地のお話を聞かせていただいてましたの。本音をお話にならず、真逆の事を仰る不思議なコミュニケーションをされますとか」



「…白塗りじゃないし狩衣かりぎぬなんか着ない」


「若、突っ込むところはそこだけですか」


「何でそんなくだらない話してるの?」


「いや、俺も便所行こうかと思って探してたら、陛下とお会いしまして」


 すぐ追いかけてきたのにちょっと迷ってしまったという弁慶に、あっちだと指で示す。一礼して離れた弁慶を見送った。


「君はお喋りしてないと落ち着かない体質なの?」


「新しいお話を聞くのは何だって楽しいですわ。ね、ジュドー」


「最近、陛下はオラトの事について深く関心をお持ちでいらっしゃいますね」


「恭一さん達がいらっしゃるもの。聞いてみたいじゃない?」


 また余計なことをベラベラと弁慶が話さないように一度釘を刺していたが、今度は何だ?自分の出身地の事だけならまだいいが。


「弁慶に変な探り入れないで。どうせ聞くなら俺に直接聞いたらいいでしょ」


「え?だって恭一さん、なかなか教えてくださらないんですもの」


「そんなに聞きたい話なの?」


「もちろん!」



弁慶と話している内容も、オラトの事というより、自分の身の回りの事を探っているようにしか思えない。その事への煩わしさとも取れるが、弁慶と親しげに話している様子を見た時、不快感に似た感情を抱いたのもまた事実だった。


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