第9章 災いの種はいずこに

 アイテルの公務に警護が必要でない時、彼女がいる近くの他の場所で、恭一は暇を潰して、柱に寄りかかり外を眺めていた。本でもあれば読んでいられるものだが、なければ別の事を考える。頭の中の天使とお喋りをする気はないらしい。


「若、よろしいですか」


「何?」


暇を潰すのにちょうどいいと言う所で、恭一の忠臣である弁慶がやって来た。彼は会釈すると、恭一の傍に寄って口を開いた。


らうについて、俺が思い出せる限りいくつか名前を思い出しました。劉晋ラウシン劉李ラウリー劉金炎ジンイェン劉累明ラウルイメイ…」


「多い。俺が言った人相とその人物のデータからして一番近いのは誰?」


「……全員外見年齢上での年齢層は上で……でも、劉累明ラウルイメイは、外見の詳しい情報や写真などはなかったと」


「プロファイルされていない人物ってこと?何処で聞いた?」


「以前担当していたエージェントから引き継いだ組織名簿の一番端の方に載っていたと思います」


「……組織と提携する弁護士枠か、交渉人の枠か」


「あぁ!それです!確か、交渉人の方だった!」


記憶が曖昧ながらも、ワードを出すとすぐに思い出す弁慶は、性別すらも定かではないその名前は、組織が他勢力や政府などに対して取引の交渉などで派遣する交渉人という立場の人間の事であると確証する。


 交渉人という立場であるなら、いくら組織の入りたてでも、弁が良く交渉術に長けているなら、政府の要人も参加していたあの場にいてもおかしくないということだ。

確かに流暢な日本語と、何処か柔らかく達者な言葉選びをするような男だった事を思い出す。



「引っかかるね…。それなら、乗船名簿に載っててもおかしくないはずだけど」


「急遽、乗船をすることになったとか?」


「交渉人を入れるなら、最初から入れてないとおかしい」


あの場所には、政財関係者も多くいたのだ。最初から交渉人の乗船の予定がない方が不自然だ。商談も必ず起こる場所だというのに。

恭一が遺物を奪い、クラーケンが船を襲うことをまるで予期してたかのように彼は現れた。


自然なようで不自然な、素朴な青年の顔に張り付いた微笑みは、今思い出しても気味が悪いようにも思えていた。



_貴方は"生贄"だ。だから、簡単には殺せない。


光のない虚無を表す瞳が、じっと恭一を見つめてそう告げた、ラウ


「生贄……彼には、遺物の使い方が分かっていた…」


恭一にこの呪いを施した、何かの目的があるのではないか?

そう推察していた時、廊下の向こうから足音が響く。弁慶と共にその方向を向き、こちらに近づいてくるジュドーの姿を見た。


源氏みなもとうじ、一緒に来い」


「仕事かい」


「いや、別の用件だ。そこの高倉という奴は置いていけ」


 そう告げたジュドーに、恭一はまた後で話すと目線で弁慶に伝えると、弁慶は意向を汲み取り、「いってらっしゃいませ」と軽く会釈して見送った。


 アイテルに強力な磁石でもつけてるのかと思うぐらいベッタリと常に一緒にいる執事が、わざわざ自分を連れて何処かへ行こうとしている事に、恭一は身構える。


 明らかに自分に対して悪意がある。守護者になった最初の夜、アイテルに強制的に誘われた晩餐の時に、ダイオウグソクムシのステーキなんてゲテモノ料理を中心に、まさかの深海魚珍味で構成された晩餐で、もてなしをしてきたこの男には、不信感しか抱かない。


結果的に言えば、味は見た目とは裏腹に美味しかった。だが、ダイオウグソクムシが好きな食べ物の一つだと語ったアイテルにドン引きした思い出である。


「……どうせ長く歩くなら用件を先に聞いてもいいかい?」


「貴様に改めてもらう品が届いた。アイテル様には先に拝見していただき、処理も済んでいる」


「処理って?」


「"浄化"だ。下の墓所での騒ぎの時に、ヘレルサハルの刺客の懐から見つけたものと同じことを」


先を歩くジュドーの言葉に、なんの事かが検討がつき、恭一の鋭い瞳が光った。


「見つかったのかい?」


「それを今から確認してもらう」



 ジュドーが連れてきたのは、何やらブツブツと何かの詠唱が聞こえ、暗く、明らかに普段いる場所と隔離されたような古い廊下。


その一室の扉の前には、祈り柱のパテマが1人祈っており、その周りに数名の神官らしき女性達が一緒にいた。


「祈り柱パテマ様、連れて参りました」


ジュドーが声をかけると、パテマの被る白い角隠しが振り返り、青い肌をした顔が影を帯びてこちらを振り向き、膝を折って恭しく挨拶をした。


「今し方、鎮めの儀が終わりました。今は無害なものとなっておりますが、拝見の際はどうか、礼節を御守り下さい」


「かしこまりました」


パテマとの挨拶の後、控えていた神官の女性達が、扉の施錠を解き、封印を解く。

恭一の勘に、また引っかかるような感覚を覚える。開かれた扉の向こうから、不快な生ぬるい風と臭いが恭一を包む。


…血のこびりついた臭い。聞こえるささやかな悲鳴が、誰もいないこの部屋の中に渦巻いていた。


松明がひとりでに灯る。部屋の中心を照らすように灯されたそこには、はがねの箱が一つあった。



「大変だったのよ。それをここまで運搬するのに、術者と祈り柱が共同して慎重に運ばざるおえなかった」


 ジュドーと恭一が入った後ろから、いつから背後にいたのか、アミュダラが三ツ又の槍のような杖を床について入ってきた。それを見て、ジュドーが「これはこれは」と会釈をし、ただ彼女を見る恭一は、自分を通り過ぎて箱の前へと立つアミュダラを見送った。


「貴方に覚えのあるものであると良いけれど」


 アミュダラが広間の中心に置かれている箱に対して、槍の先を向けて何か唱える。

言霊の後、その箱は開かれ、浮き出すように中身が宙へと浮いた。



「っ!!」


 恭一が一目見て何かと分かったもの。それは、恭一が独眼竜ドゥイェンロンから回収したアタッシュケースだった。



「見覚えはあるか?」


「…これだよ。俺が持っていた遺物を入れたケース」


海に落ちた時も握っていたはずのもの。海に落ちたというのに、自分が肩から流した血の跡がこびりついている状態である。


「中身を確認しろ」


やがて箱の上にゆっくりと落ちたそのケースを、ジュドーは静かに確認するように指示する。

恭一はすぐに中身を確認しようと靴音を鳴らして近づき、ケースに触れた。


 かけられた電子ロックを解除しようとしたが、その試みをする前にそのロックを一目見て、全て察し、諦めた。


 ロックはかけられていない状態、誰かが開けたのだろう。中を開けると当然、何も入っていなかった。


 何かそれなりに大きいものが入っていたということは大きさから分かるが、内側にも、血の痕跡がベッタリとついているのが確認できる。



「…無くなってる」


「そうだろうな、最初から空いた状態だった」


「空いた状態だった?…誰が、電子ロックを開けたと?」


「知らん。それを見つけた人間はもういない」


「イブリシール諸国、レイジ領とグリード領の境にあるとある村で発見されたそうです」



 ある村で発見されたその時から、中身はない状態だった。見つけた住民が珍しい物として村に持ち帰った所、1日もしないうちに、村は"壊滅した"。

 ケースのせいでそうなったと言うことは普通誰も気がつかない。このケースに含まれている恭一の血に、強い呪いが施されているものと知らなければ。



源氏みなもとうじ殿の血がついていた事で、呪いの依り代になっていたわ。ケースの発見者から次々と、住民が正気を失い、人を殺し、殺しあったと。…生き残って他の村に助けを求めた住人も呪い効果が発動して………まるで感染症ね」


「何人もの人間が死に、ケースに含まれた災いを抑えるのに、術者が10人がかりだったと言う報告も受けている。祈り柱でさえも、この狂気に飲まれかけた」



 思っていたより酷いことになっていた事を知り、恭一も今自分がここにいて、エバであるアイテルに保護されていなければ、どうなっていたことかと想定し、改めてとんでもない呪いだと言うことを知らしめられる。


 連鎖は、エバの力と繋がる現地の祈り柱の介入によって抑えられたものの、血のついたケースだけで村が何ヵ所も壊滅したとなると、遺物である呪いの根元は、どんな威力があるか分かったものではない。



「中身の…他の情報は?」


「今のところは、ありません。本当に中身を知らずに持っていたのですか?」


「回収して確認する前だったからね。こんな物だと分かっていたら、最初から手を出さなかった事だ」


「…そうですか」


アミュダラは恭一を疑うような目で見ていたが、読み取れたように恭一はその疑念を否定した。


 結局中身のないケースが手元に帰ってきた事を見てますます抱えていた疑念を膨らませる。俺が持っていた中身とは一体、そして、遺物を持ち去ったのは、一体誰なのか。


想定できる人物がただ一人いたが、納得が出来ず、その男の事を口には出来なかった。



「レイジ領と言えば、ヘレルサハル帝国が治めている領域になる。やはり何らかの関連性があると見て調べているところだ」


「なら、その国に現物がある可能性だって十分ある。刺客の懐から出てきたものを見ただろう、その国の何処かにある」



その国に直接向かって探し出すと言う恭一に、ジュドーは首を横に振った。



「もしそうだとしたら、とっくに国が壊滅している報せが届いているはずだ。あの国に関しては、願ってもない事だが」


「口を慎みなさい。真王の娘、シャヘル様の生国しょうごくになるのですよ」


「…これは、失言を」


 アミュダラの強い口調での注意に、一応は謝る姿勢を見せるジュドーだが、本心はそうなって欲しいぐらいだと思っていることに変わりはないのだろう。


 村を滅ぼすなから、国だって滅ぼしかねない感染症のような遺物。もう既に何処かへ移動していてもおかしくないのだから、今更行ったところで無駄足を踏むだけだというジュドーの話には、納得せざるおえなかった。




「そういえば最初に会った時に、一緒に落ちた中国人の男を探しているとも言っていたな。何か関係があるのか?」


「この遺物を所持していた組織の一員だと思われる男だ。歳は20代前半、前髪が片側だけ少し長い。色々聞き出す前に、君らのイカに邪魔された」


「…中国人…」


 ジュドーは何か考え込むように顎に手を当てる。恭一以外の生存者は弁慶しか見つかっていないが、逆に弁慶が無事であるならば、らうだって生きている可能性がある。

しかし、無事に流される人間は少なく、弁慶もラミエルの干渉によって救われた。可能性はごく僅かだろう。


ジュドーは考え込んだ後、やがて口を開いた。



「その男が所属していたと言う組織の名は?」


独眼竜ドゥイェンロン。上海マフィアだけど、元は香港から来た黒社会の残党だよ」


「…隻眼の怪物、か。こちらでも、その組織の名は有名だ」


「?こちら側の世界にいる組織だ、なんで君達が知ってる?」


「エンヴィー領という領域に、オラトと繋がりのある特殊な龍脈のある場所がある。奴らのボスはそこの出身だ。外じゃ生きられないろくでなしが集まる、掃き溜めだ」



 そこで、独眼竜ドゥイェンロン。一つ目の怪物が産まれた。耳を疑った話だ、事実とは近くも遠く、誰も顔も名前も知らない彼らのボスは、この世界に産まれていたのだと。正確には、オラトとウラノスの境とも言えるべき場所ではあるが。


 その組織の男が生きていたとして、向かう先は産まれた巣穴ではないかと、ジュドーは予測した。



「会えずとも、この遺物に関して何か情報があるやもしれない。行くには少々手続きは必要だが、そう時間のかかることでもない」


「待ちなさい、彼をこの城から出すのですか?呪いに蓋をしているだけであって、既に依り代となっているのですよ」


アミュダラは、恭一がこの城から出ることに反対したが、ジュドーは澄ました顔でこう答えた。


「もし蓋が外れることになれば、殺します。私はアイテル様さえ助かればそれでいいので」


「…」


 やはり、この男のトゲのある発言には悪意がある。と、恭一は額に青筋を立てながら思う。


「そういう事だ、けして貴様の為ではない。遺物を見つけ、破壊し、アイテル様を呪いから解放するが為に俺は動いているだけだ」


「じゃあ、早く見つけることだね。俺の道連れになる前に」


 ジュドーの言葉に淡々と切り返した恭一の首を素早く強い力で押さえつけ、壁に恭一の体を強く叩きつける。


「アイテル様の命は、人間一人の命と同等ではない」


息苦しさを感じながらも、顔色一つ変えない彼に、不思議な瞳の色を光らせ、綺麗に整った顔が尚更一層敵意と圧力を発していた。



「もしそうなったら、てめぇを永久にハデスの血の池から這い上がれないようにしてやる。覚悟しておけ」


これは脅しではなく、本気だ。

そう告げたジュドーは、主人が気にかけている男の姿を恨めしく、今にも首をへし折りそうな程きつく力を込めてから、手を離した。



「危険だわ。貴方が言う場所が予想の通りなら、アイテルが足を運ぶような所ではない。真王の干渉すら拒む治外法権よ」


「しかし、残念ながらどちらか片方が離れるわけにもいかないでしょう。丁度、エンヴィー領での祭事がございます。新たな祈り柱の任命と龍脈の調律、そろそろ始めなくてはなりません」


 結局はアイテルの公務のついでと言うわけだが、遺物に、追っている男と組織についての情報がありそうな場所へと連れて行ってくれると言うのだから文句はない。


 アミュダラは不満げにジュドーに何か言っていたが、ジュドーはアイテル様だけは絶対に守るので大丈夫だと自信満々に言っている。守護者も一応、もう一人増えている事ですしと、ついでのように恭一の存在にも言及する。



「…で?その情報源というのは何処なんだい?」


「エンヴィー領、九龍城塞クーロンフロント。首都、紅嵐こうらん国からそう離れてはいない。向こうの祭事の手配は済んでいる。アイテル様の準備が整い次第、明日にでも出発する。守護者としての、責務は果たせ」


「言われなくても分かってるけど、真王もそこに連れていくの?聞いてる感じ、ろくな場所じゃなさそうだけど」


「どうせ、九龍クーロンの中まで入ることは出来ない。九龍と紅嵐の境で、会うことになるだろう」


「入ることが出来ない?行くには手続きが必要だけど、そう時間はかからないって言ってなかった?」


「細かい事をいちいち突っ込む奴だな。九龍城塞クーロンフロントに入るとまでは言ってない。俺が取るのは、アポイントメントだ」


 アポだと?向こうから来させないでわざわざこちらから出向くことになるの?という疑問を再び恭一がぶつけると、めんどくさそうな顔をあからさまに見せながら「向こうからは絶対に来ないからだ」とジュドーは答えた。



「あのクソみてぇなゴミ溜めの城を、支配している奴に会う。あの野郎、イブリシール公だろうがアイテル様であろうが、九龍クーロンへ絶対に入らせない。呼び出しても絶対来ないから、仕方なく、こちらから出向くしかない」


「へぇ。権力に媚びない者がいたものだね」


「やろうと思えばあんな地区ごと木っ端微塵に出来るが、色々と、政治的に面倒なことが絡んでいて出来ないのが残念でしょうがない。とにかく、そういう事だ。準備しておけ」


「…はぁ、仕方ないわね。源氏みなもとうじ殿、後で装具にかけた術を確かめますので、私の元へ来てください。…近頃痛みますか?」


 諦めたようにアミュダラは恭一のつけている銀でできたブレスレットの事を指しながら、最近の調子を聞く。恭一は、あまり痛まなくなったと言うと、アミュダラは彼の腕のブレスレットに触れながら、そう。と答えた。



「…貴方とアイテルは、繋がっている。貴方の痛みは、アイテルの痛み。逆もまた然り。道中、互いを気にかけてください」


「言われなくても守ってあげてる」


「職務のことを言っているのではないのですよ」


 顔をあげ、金色の瞳が真っ直ぐ恭一を見て言う。


「あの子、昔から無茶し過ぎるの。するなと言ってもするから、よく見ておいてください。貴方とアイテルの、バランスを崩さないように…アイテルにも分かるように、貴方にも分かるわ」



今の恭一には、言われても意味が分からない言葉を告げて、アミュダラはそっとブレスレットから手を離した。

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