第5章 祈りはいつか、露となる


「おはようございます、源氏様」


 翌朝、ミツキが恭一の部屋へノックして入ってきた。

 恭一は元の部屋に戻された部屋で、寝る気にもなれず、朝まで開かない窓辺に座り、外を眺めて過ごしていた。


「眠れましたか?」


 ミツキは一言社交辞令のように聞きながら、いつもの朝食の乗った膳を近くのテーブルに置くと食事の用意をして、珈琲を淹れた。


 そろそろ和食が恋しいと思いながらも、珈琲の匂いとオムレツとベーコンサラダの美味しそうな匂いに、恭一は窓辺から腰を上げて、ソファーへと移動した。


「パンはいくつご用意しましょうか?」


「一つ」


「かしこまりました、お食事が済みましたら、声をかけてください」


「ねぇ、聞きたいんだけど」


 ミツキが下がろうとした背後から恭一が呼び止める。恐る恐ると言った様子で、ミツキが振り返る。ミツキは、何処か威圧感を感じる感情の読み取れない無表情の恭一に返事を返して立ち止まった。


「なんでしょうか?」


「……」


恭一はただ黙ってミツキを睨むような目付きで見つめ、聞きたいことの一文字も発する事なく、ミツキは徐々に嫌な汗をかき始める。


「あの…なんでしょうか?」


声を振り絞ってミツキからそう聞くと、恭一はしばらくして、やっぱりいい。と朝食の方に目を移した。


 あの時、庭園で急に立ち止まって何処かに行ったのは、ミツキはアイテルに頼まれたからそうしたのだろう。

 そう察しがついてその時の事を聞こうとしていたが、わざわざ聞くことでもないと思い直し、恭一はオムレツを食べ始める。しかし恭一の心情が分からないミツキは、もしかして怒ってる?一体自分が何かしでかしたか?と勘違いし、ただ固まっていた。



「…何してるの?行っていいよ」


「へ…はい!失礼しましたっ!」


ミツキは汗をかきながら部屋の外へ出た。

昨日よりも強靭な肉体を持ってる兵士により、扉が施錠されて外に出たミツキは、恭一の雰囲気から逃げ出せてようやくため息をついた。


「なんだったんだろう…何か怒らせた?あの人、執事長と別の意味で威圧感あるって言うか…なんだか緊張してくるし…猛獣にずっと睨まれて狙われてるような気がして…」


「ブツブツ独り言がうるせぇぞ。何時も気を緩めるなとあれほど教えたはずだ」


「っ!?執事長!?」


独り言を呟いて恭一の部屋の前で待機しているミツキの目の前に、いつの間にか勲章付きの背広を着たジュドーが立っているのに気づて、ミツキはびっくりして転けそうになるも、背筋を伸ばして、ジュドーに向き直った。



「お、おはようございます…」


「さっきも聞いた挨拶だろうが?二度もいらん」


「すいません…」


別に何度挨拶したっていいじゃないですか、どうしてここにと言いたくなる口を閉ざし、ミツキは謝ると、ジュドーは険しい顔を恭一の部屋の方に向けた。


「客の様子はどうだ?」


「今食事を運びましたが、問題はなかったと思います」


「朝食後、あの男を祭壇の間に連れてこい。アイテル様がご公務の間、会われる方がいる」


「朝食後、すぐにですか?しかし、部屋から出たらまた昨日みたいな事が…」


「祈り柱様達がここに来る。全く、ウラシマモノ一人に柱様に時間をかけさせるなどあってはならんが。分かったか?」


「かしこまりました」


_____



朝食の後、膳を下げに来たミツキと一緒に、白無垢の女性達が恭一の部屋に入って来る。


「ご健勝で何よりでございます。源氏みなもとうじ様」


 古風な挨拶をして会釈した祈り柱は、恭一が目覚めた時に側にいた青い肌の女性だった。それに気づいた恭一は、じっと彼女の事を見つめながら口を開く。


「あの時の、祈り柱?」


「左様です、名を申し遅れました。パテマと申します。お側にて、呪いをお鎮めなさいますよう祈る役となっておりました」



 パテマという青肌の祈り柱はそう言うと、私達と共に外へ出てくださいと丁寧に恭一に告げた。


「本物の方の真王が、君達を寄越したの?」


「真王陛下はご公務にて、別のところへお出でになられております。私どもは、筆頭柱様のアミュダラ様の元へお連れするべく参りました」


「…また新しい名前が出てきたものだね。誰?」


 朝から真王アイテルから呼び出しかと思えば、また別の人物だった事に眉を潜める。それはまた一体誰なのかも分からず、単純に誰なのかと聞くと、パテマは静かに答えた。


「私達祈り柱の筆頭でございます。また、このアクロポリスの前身、アトランティス帝国時代末より生きられておられる皇女様です」


「…アトランティス帝国の時代から生きてるって?」


 少なくともアトランティスの伝説が本当であるならば、存在したのは今から一万年以上も前だ。

 その頃から生きているとは、普通にあり得ないし、信じることも容易ではない話であった。

パテマと同じように青い肌をしたアトランティス人であることは確かだが、パテマはまだ18才から20代の年齢であるように見える為、最近の人物であるように見えていたが、自らその答えを言った。



「アトランティス人は、初代真王によって建国され、産み出された種族。太古の昔、献身的に仕えた功績から、エバの血肉を与えられ、長い寿命と若々しさを手に入れました。私も、アトランティス帝国がこの地に流れた後に産まれましたが、今よりも大昔の話になります」


「…信じる気はないよ。年齢に興味はない」


「お任せ致します。ただし、アミュダラ皇女様には敬意を持って接してください。我ら種族を導いてくださったお方でございます」


恭一の意見を尊重したように、彼女はそれ以上言う事はなかった。恭一は黙ってソファーから立ち上がる。


「こちらへどうぞ」


 数名の白無垢の女性達に囲まれ、ミツキが蚊帳の外からついてくるような形で何処かに連れ出されると、見覚えのある道順を辿り、ある部屋に辿り着く。


 祈り柱達は外で待つつもりのようで、恭一に扉を開けて入るようにと勧める。恭一とミツキが一緒にその扉の先へ入ると、昨日、偶然立ちよった祭壇と巨像がある部屋だと言うことに気づかされた。


「ミツキ。ここは何?」


「古い祭事の間です。アトランティス皇室の巫女がここで、エバに仕え、そのお声を賜る場所だったと」


「エバは人の姿をして降りてくるんだろう?地上に」


_「そうとも限らないわ。上の者よ」


奥から反響するように聞こえてきた声に向かって、ミツキはその場で深く頭を下げた。恭一は、祭壇の側にある柱の側から歩み出てきた人影を見る。


 三ツ又の槍か杖のような物を手にした、白無垢姿の祈り柱。角隠しの下から流れる銀色の髪と、金色の瞳。パテマよりも浅黒く青い肌をした小柄の女性だ。


 一万年の彼方の時より生きてきたというには若すぎても、そう言われて納得が出来てしまいそうな神秘的な雰囲気を纏い、堂々とした物静かな佇まいで、気品の良さを醸し出していた。


源氏みなもとうじ殿。私は、女神メティスが守護神、アミュダラ・ドパメ=ポセイドニア。今は皇女ではなく、『原初の足』ナーガラージャの宿る龍脈に仕える者です」


「なんだか知らないけど、要するに巫女のようなものだろう?筆頭柱とか言ったね、巫女の中でも偉い立場だと見受けられる」


「げ、源氏げんじ様っ!アトランティス皇室の皇女様です!元はアトランティスの王となられる方だった皇女様にその様な言動はちょっと…」


「失礼なこと何も言ってないけど」


「敬語を!!敬語を使ってください!!」


いのです、ミツキ」



 敬語もへりくだる態度も一切しない恭一がアイテル所かアミュダラ皇女にもぶれない態度で接する為、ミツキは慌てて敬語だけでも使うようにとたしなめると、アミュダラは静かにそれを断った。



「貴方なりの礼儀なのでしょう?アイテルにもその様な態度を崩さなかったと聞いたわ。真王であるということを知ってもね」


「崩す必要ある?」


「ないわ。私が貴方に施すのは礼儀作法ではなく、"祈り"よ。早く、こちらに来なさい」


 アミュダラは杖を下の絨毯に突きながら、こちらにと恭一を奥の祭壇に招いた。

 祭壇からはうっすらと暗闇に見える巨像が不気味にそこに鎮座しており、今にも動いて顔を覗き込んできそうな不気味な巨像がある。


「昨日もここへ来ましたね。必要な香炉を取ってくる間に、貴方はここでエバの御神体を表す巨像を眺めていたわ。…何を視たの?」


「…」


 見たものを簡単に言葉に表すことは難しかった。様々なものが縦横無尽に流れてきて、特定にこれと言えないものであった為、正確に何を見たとは言えなかったが、これだけは口にした。


「原初の子宮。呪いを解くために、そのエバに会えと。幻視の中で、老婆に言われた。それ以外は覚えてないけど、ここに呼ばれたことだけは分かる」


「……そう」


老婆と聞いた瞬間、アミュダラの目の奥が少し揺らめいたが、彼女もまたあまり表情を変えることなく口を開いた。



「貴方に霊力インドラがあるのは知っています。祈り柱と同じ力、エバにより、授けられたものです」


「俺はエバと関わったことも授かった記憶もない。生まれつきでもないけど、君達と同じ力だとどうして言えるんだい?」


「…では、試してみますか?」


アミュダラは恭一の前に出て、彼に握っていた手を開いて見せた。

青い手には、一欠片ほどの小さな青い水晶のような鉱石が転がっていた。


「オリハルコンと呼ばれる石です。我が国の土地のみで採れる鉱石。この一粒の石にも、膨大なエネルギーが宿ります」


「…これが?」


「アトランティスは、この一粒の石によって高度な文明を持ち、栄えました。エバの恩恵によるこの石は、災いの種にもなる危険な物。今は真王とその血族の者、古きアトランティス皇家、祈り柱にのみ所持することは許されていません」


そしてこの石は、エバと繋がりを持つ者。すなわち祈り柱のように、霊力インドラという力の適正がある者にのみ反応するという。


アミュダラは恭一に一粒の石を差し出し、触れてみるように告げる。恭一はその一粒の石に、指先をつけた。



「………」


 しばらくは何も起きなかった。何もないことを確認して指を離そうとすると、石に、妖しい光が宿った。石は色とりどりの泡のような光を放ち、鼓動を刻むかのように瞬く。

 恭一の意識は、滝の濁流に巻き込まれていくかのように流れの激しい水の中を駆け巡る、『竜』の姿を見る。


 忘れ去られた深い年月を思わせる黒い鱗は剥がれ、激しい濁流の中に流れる。恭一の眼下を通りすぎる長く黒い身体は、蛇のようにしなやかで、強靭な肉体をしていた。


 世界が創造されて、初めて『原初の足』と成った双竜は、大地の血管を巡り続け、この星の循環を保ち続けている。


名を、『ナーガラージャ』。

中国の伝説では、陰陽を司る双竜が存在し、自然界の全てを支配し、どちらかが崩れればこの世は崩壊するとされる。時には、権力の象徴として数多の権力者がその姿を絵や旗に描かせた。


 竜の姿を見た恭一に、アミュダラもその光景を共に見たかのようにそう説明した。恭一が見た竜は、黒い鱗に覆われたものであったことから、ラージャと呼ばれる竜であると言う。


「人とは限らない。エバはあらゆる姿を借りてこの星に現れる。時には現れぬこともない時代もあった。ナーガラージャは、思念としてこの星を巡り続けている。

 しかし思念となった今や、永遠にエネルギーを産み出すことは出来ない。私達祈り柱は、かの竜の力を賜り、柱として、巡り続ける為のエネルギーを捧げる為の存在。命を削り、最後は龍脈と一つとなります」


「人柱と言われていたのはそういう理由かい。最後は、死ぬための存在」


「今は、違います。あくまでも柱の意思によりますが、役目としての寿命が迫った者達は皆、輿入れ先を見つけて嫁がせています。それも、真王アイテルの時代となってからですが」


 祈り花嫁。年端のいかない女子が主に選ば、二十歳越える時まで生きられない場合が殆ど。しかしアイテルの時代となった時、制度が見直されたと言う。


それでも消耗された身体。健やかに嫁ぎ先で過ごせるかどうかは分からないものだとアミュダラは語り、欠片を再び手の中に握って恭一の視界から消す。


「貴方は、ナーガラージャの竜に選ばれたわけではない。少なからず、何処かでエバに干渉されたのでしょう。覚えはある?」


「…分からない」


 分からないのは本当だったが、覚えがないわけではなかった。

この力を自覚する前の時、記憶はまだ、恭一の肌に炎の熱がじりじりと纏わりついている。


その熱さと、恐怖と、死の淵に立たされて、残火の残る暗闇の中で、その後ろ姿を眺めていた時の事を。


アミュダラは静かに恭一の手を取り、生々しい傷を見据えて、恭一に告げた。



「この呪いは、増幅する。昨晩、貴方が部屋から出てしまった時に鎮めの結界が破れてしまいました。この神殿にいれば、アイテルの力と共に抑えられると思っていたのですが、強すぎて」


「何が起きた?」


「アイテルが貴方を見つけた時にはもう始まっていました。神殿を守護する神々が姿を消し、護りの術に穴を開けた。この世界には、魔物が存在します。

結界が薄れた今、国の近辺で発見されるようになり、一時的に兵士が出ているところで、貴方が部屋から脱け出した。そして、この隙をついて城に入った者達と共に呪いの影響に晒されたのが、貴方が倒した者達」



____憎悪の増殖。


 恭一を依り代とした呪いは、人が必ず持つ負の種を増殖し、やがて理性を殺す。


それは制裁であり、止まることを知らず、憎しみの果てに、他の事など考えられない狂人と成り果てるだろう。

そして人は争い、終わらない憎しみに身を焦がす。


「それが、貴方が触れてしまった禁忌」


「いつか俺は、それに殺される」


「今はまだ。しかしいつかは。この呪いで貴方を縛り付けた遺物は、かつてエバが産み出したものに間違いない。それを破壊しなければ、貴方は死ぬ」



「言われなくとも探してる。そんなことをわざわざ言うために呼び出したの?」



「これからすべき事を告げます。…これより私の権限で、貴方を真王の守護者に任命します」



「……………………………………は?」


 意味が分からない。と、アミュダラの口から突然、真王の守護者になれと、勝手に任命されたことに、恭一は不満を露にする。



「ちょっと待ってくれる?何それ?守護者?どうしてそうなるの?」


「守護者と言うのは、真王の傍で常に警護に当たる者です。今はジュドーとミツキ、他数名の者がおりますが、訳あって空席があります。ジュドーとミツキに関してはあくまでも身の回りの世話をする者で、業務過多ですから、役目は不十分ですし」


「そういう事を説明しろって言ってるんじゃないんだけど。やるわけないでしょ、そんなの」


 全く持って自分は興味もなければやりたくもない。どうして呪いの根元を探しに来た先でそんなものに任命されなければいけないのかと言うことを恭一は不満たっぷりに伝えると、後ろで控えていたミツキも、恐れながらと口を挟んだ。


「アミュダラ様、その決定は、ジュドー執事長には既にお話になられたのですよね…?」


「いいえ。私とアイテルで決めたこと。ジュドーが口を挟む事ではないわ」


「い……いや、そうですが…。アイテル様のお側につく守護者ともなりますと、執事長がなんと申しますか…」


「どうでもいいけど、勝手に決めないでくれる?ていうか、あの女王も一緒になって決めたってどういう事?」


「貴方は、たいした武器も持たずにうちの兵士や刺客を倒してしまったのでしょう?それも一人で。あのジュドーの蹴りも素手で受け止め牽制けんせいしたとか」


「だから??俺はあの子の部下になる気はさらさらない。あの時は襲ってきたから返り討ちにしただけで、護ろうとしてたわけじゃない。むしろ、"邪魔"以外の何者でもなかった」


「…ジュドーがこの場にいなくて正解ね」


 この国の王、真王アイテルを「邪魔」とはっきり言い切った恭一に、アミュダラとミツキは、今この場に忠誠と腹黒の塊である執事のジュドーがいたら、この男は飛び蹴りでは済まないだろうと同じことを思う。



「ちょっと本人と話させてくれる?君が通そうとするなら、上であるアイテル女王に直接断るから」


「落ち着きなさい。理由はそれだけではないのですよ。貴方がこの世界で好きに行動するのに必要だから、守護者に任命するの」


「へぇ。どういう理由?」


もう既に不機嫌モードになり、腕を組んでアミュダラを睨むように見つめる恭一に、後ろから慌てたミツキが、「敬意!!敬意を!!」とこそこそ呼び掛けるも、無視される。

アミュダラは威圧的な睨みに引けを取ることなく、冷静に理由を説明し始めた。

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