第3章 憎悪と苦痛に身を焦がされて
「……」
恭一は自分の寝室を与えられた。部屋は客用の部屋らしく、質素ながらも整えられたベッドと家具などの調度品、意外にも水洗で設備もしっかりしたトイレや浴室があった。
見張られている立場ではあるものの、一応客人扱いらしい。当然ながら、外に出る事は禁じられた。外ではあの青い肌をした兵士達と、時折食事や必要なものを持ってくるミツキに見張られながら一人過ごす。
まるで囚人か捕虜のようだが、窮屈ながらも、毎日仕事に追われて寝る暇も食べる余裕もなかった恭一にはいい機会ではあった。
しかし、3日も経ってもこれと言って何もする事がないと落ち着かない。
ダブルサイズのベッドの上に寝転がり、何もない天井を見つめる。
このまま居眠りでもしようかと思っていた矢先、外からこちらに向かってくる気配を察知し、恭一は閉じかけた目を開いた。
ノックもなしに扉が開いた。
入ってきたのは、男性にしては線の細さがある美形の端正な顔立ちをしている長髪の男。しかし、口の悪さが全てを台無しにしている
彼は部屋に入ってくると、恭一の寝っ転がっているベッドの真っ正面にスッと立ち、まるで高みから見下しているような目で、恭一を睨んだ。
「…この世界に来てあまりにも落ち着いているな、
「…」
恭一は、いきなり部屋に入ってきて何の用だと無言でジュドーをベッドに横たわりながら見つめる。その微動だにしない態度が気にくわないのか、ジュドーは女王の前とは打って変わって傲慢な態度で話し続けた。
「ただのクソアホなら今すぐ叩き出して何処へなりとも行かせてやる。だが、貴様は別だ。一体ここに何しに来た、自由の国とやらの、犬が」
ジュドーは恭一の顔の真横に叩きつけるように何かを投げた。
恭一が所属している組織のアクセスカード等が入った手帳だった。着ていたコートの裏に隠していたのを見つけたらしい。自分が諜報機関の人間だと知って、警戒するのも不自然な話ではない。
「まるで幼稚なファンタジー世界の人間が、どうしてこのカードの意味を知ってるの?不思議だね、アメリカを知ってるなんて」
「お前達からは俺達の世界が見えることはないが、こちらからはよく見えるものだ。それに、オラトの世界地図程度、知っていなくて陛下のお側にいられるか」
「…たいした自信だね。少しは謙虚になった方が、品がよく見えるよ」
「あぁ!この通り俺は、自信に満ち溢れている。本当の事を誤魔化して、無能の機嫌を伺うような日陰者にはなりたくないのでね」
バチバチと二人の間の視線が火花を帯びてぶつかり合う。一見表情は変わらないようにも見える恭一の眉間にはシワができ、今まで自分を苛立たせてきた誰とも違うタイプに、苛立たしさというより、癪に触ってくるウザさの方が気持ちが上回っていた。
「それで?ここへ何をしに来た?」
「好きでここに来たわけじゃないんだけど。話したことは全部、本当の事しか言ってない」
「スパイだって事は、一切聞いていないが?」
「聞かれてないから」
「屁理屈言ってんじゃねぇぞ」
「自分が他国の諜報活動を行っている人間だと、他人に聞かれて素直に言うなんて馬鹿いるの?」
苛立つジュドーに恭一は天井を見上げながら、感情に動かされることのなく静かに答えた。
「本国は、この世界について知らない。知っていたらもっと大々的に調査してるだろうけど、噂の域を超えず、すぐに打ち切りだろう」
「貴様の仕事は船の上でのみだったと?」
「ある組織を追っていてね。担当してたエージェントがいたけど、全員殺されて出てきたから、俺が行った」
「それで、その右手になったというわけか。不幸な男だな」
フンッと鼻をならして笑い、恭一の右手に目を向けたジュドーに、恭一は瞳をますます尖らせて睨んだ。
「祈り柱じゃなんともならないしつこい呪いの力が、右手にへばりついている。その状態で、平気そうな顔をよくしていられるな?」
「祈り柱って何?」
「お前を介抱していた花嫁衣装姿の者達の事だ。別名、祈りの花嫁。偉大なるエバに仕える、人柱。彼女達は、呪いを何とかしようとしていたみたいだが駄目だった」
あの意味不明な呪文を唱えていたりしていたのはそれか。と、恭一は察しがついた。
白無垢の女性、祈りの花嫁は、自分と恭一は似たようなものを持っていると言っていたが、何処かこの世界の空気に馴染んでいない、今にも消え入りそうな希薄さがあったが、自分と同じものを持っているようには感じられなかった。
人柱であるというのがどういう意味かまだ分からなかったが、ここではまだそこまで考えることはできない。
「呪いがどういうものか、彼女達は言っていたかい?あれだけ近くにいたら気がついたはずさ。ただの、呪いじゃないのかもしれないと」
恭一の自らの右手を広げて見せた。平手についた十字に割れてまだ塞がっていない傷を見て、黙って口を閉ざすジュドーにこう追求する。
「それとも、君が何か知っている?」
「分かるとすれば、そのままだといずれくたばると言うことだな」
「ああ、天使にもそう言われたよ」
「おや、天使?御大層なものがついているようには見えないが」
「天使と名乗ってるだけだから、本当は悪魔かもしれないけれどね。まぁ今も悪い夢に取り憑かれてるだけだと思うから言うけど、そういう存在が視える。生まれつきかは忘れたけど」
どうせ、信じないかもしれないが、信じなくても別にいい。
恭一は、普段は人には話すことのない自分の特異的な能力のことを話したが、ジュドーの反応は、あっさりとしたものだった。
「ほう。それは珍しい。諜報員に加え、霊能者というわけですか」
「霊能者はやめて。インチキ連中の仲間と思われたくない」
それに好きでこの力を使った仕事を請け負っているわけではなく、自分の遠い親戚である日系人の上司の世話になっている代わりに、色々やらされてるだけだと説明すると、ジュドーは恭一に少しは興味を持ったのか、こう問い掛けた。
「その霊能力を持ってして、自分では何を感じている?苦痛か?悪魔の呼び声か?」
「ただの死。もしかすれば死後、送り返してきた悪魔や魔物と同じところに行くかもしれないけれどね」
「では呪いなんて解かずに、死んだらどうだ??」
「死ぬ前にどうしても知りたいことがあるからね。それに、ただ死ぬことを望んでるわけじゃない」
恭一のその言葉に追及しようとしたジュドーは何かに気づき、会話は一度中断された。ジュドーは恭一を見張るように視線は外さないながらも、耳につけていた通信機を触った。
「…なんだミツキ。……そんなことで俺を呼び出したのか?」
ジュドーの顔が険しくなる。それに気づいていながらも気にも留めず、ベッドに寝転がっている恭一に、おい。とジュドーが呼びかけた。
「いいか?こちらの許可なく、外へ出るな。今調べている情報が来るまで、この部屋に閉じ籠ってろ。いいな??…勝手な行動したら、呪いより先に俺が殺すぞ」
「…」
そう捨て台詞を吐いたジュドーが足早に部屋を出ていくのを視線で見送った恭一は、マットレスから背中を離して起き上がる。
「死ぬまで放置されそうだね。あの感じだと」
恭一は身を起こし、部屋の扉の前に立つ。
「ねえ、そこの守兵の人。トイレの水が流れないんだけど」
部屋の内側からノックをし、外にいるであろう二人の見張りに声をかける。何度か言うと、扉が開き、青い肌をした兵士の男が二人、顔を覗かせてきた。
「なんだ?大人しく部屋にいるように言われただろう」
「トイレが全然使えない。漏らしたら、どう責任とってくれるの?」
「流し方知らないのか?設備が壊れてる部屋を、ジュドー様が用意するわけないだろう」
「嫌がらせで用意するかもね。女王には客人として扱うように言われても、完璧な部屋を用意するようには言われてないだろうから。そう思わない?」
恭一がそう言うと、兵士の二人は目を丸くして顔を見合わせた。
「…言えてるな」
「あの人権無視の腹黒ならやりかねんな」
やっぱり。と恭一は思った。ミツキへの態度を考えると、あの執事は女王や来賓には
少し引っ掛けるようなことを言うだけで、あっという間に信じられてしまった。
「仕方ない…。俺が見てくる」
「俺たちが?メイドか、エンジニアに任せるべきだろう?」
「何?今すぐやってもらいたいんだけど。出来ないなら他の部屋のトイレ使わせてよ」
「い、いや…ここから出すわけにはいかない。わかったから。俺が見るから待っていろ」
全く煩いウラシマモノだ。どんだけ漏れそうなんだよと苦言を言われながら、兵士の一人が部屋に入ってきた。
恭一は兵士を一人入れた所で、部屋の扉を一度閉めた。そこで、外に残った兵士が扉を開けたままにしなかったのが幸いだった。
「トイレの…なんだ?水が流れないんだったか?……グァッ!」
浴室に兵士が入った所で、恭一は後ろから素早く兵士の急所をつき、気絶させた。兵士の着る鎧の音が出ないように体を受け止め、ゆっくりとその場に降ろす。
アトランティス人という人間とは異なる見た目をしていても、急所は同じかと学んだ恭一は、兵士の懐にあった小型ナイフを取り、続いて外の兵士にも、扉を開けて声をかけた。
「ねえ君、彼がトイレを直してる間、ちょっと聞きたいんだけど」
「はい?」
兵士が振り向いた直後に彼の眉間を突き、怯ませた所を部屋の中に引き込むまま急所を突き、音もなく時間もかけず、恭一は二人の兵士を気絶させることに成功した。
「…大したことないね」
表情一つ変えず、部屋に兵士の体を転がしたまま、外に出る。
誰もいない静かな廊下を、恭一は一度ミツキと通った道順をたどりながら、女王と接触したあの古代神殿を思わせるような謁見の間の場所まで目指す。
あまり人の気配がなく守衛の数が少ない事に、警備が手薄すぎると感じる。その方がむしろ、都合がいいのだが。
さて、どこへ行けば、エバがいるのか。あの女王に会い、天使の言う真意を確かめなくてはならない。そう思った時、ふと恭一の第六感に何かが囁く。
ふと、歩いていた先の扉に目が行く。感じるままに手をかけて、扉を開くと、中からお香の香りと煙が恭一の鼻をついた。
松明の火に照らされたその中は、部屋というよりも、礼拝堂に近い空間だ。
エキゾチックな模様のほどこされた手縫いの古臭い絨毯の敷き詰められた先には、石台の祭壇と、その先には暗い空間があった。そこから何かを感じる恭一は、導かれるように祭壇の前へ歩みよった。
絨毯の上には、先ほど何者かがいたような形跡の道具が置かれていたが、恭一は気にせず、その祭壇の前へ行き、暗い空間の先にあるものを見上げた。
「我々は滅ぼす者。我々は再び命を与える者。我々は再び死ぬ者。そしてまた、生まれる者」
暗闇の中にそびえ立つ人型の巨像。祭壇の奥に立つ巨像を眺めながら、恭一の口は何者かに操られたように、動き始める。
その脳は、全てを知る。その目は、全てを見通す。その耳は、全てを聞き届ける。その口は、全てを語る。その手は、全てを作り時に破壊する。その足は、全てを導く。その子宮は、全てを産み出す。
その心臓は、全てを動かす。
我々は主なり、我々は我にして我なる。生命の祖、永遠を生む者なり。
「それが、真に星を支配する者…」
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