第6話 虐待

目の前にいる少年はパタリと倒れた。呼吸はしているので、気絶したのだろう。

吐瀉物としゃぶつに血…十二指腸潰瘍じゅうにしちょうかいようか?いや、こんな子供が…)

十二指腸潰瘍じゅうにしちょうかいようとはストレスで胃酸の量が増え胃酸で血管等を溶かし、吐瀉物と一緒に血が混じって出てくることである。

(それにしてもこの血の量…十二指腸潰瘍じゅうにしちょうかいようより酷い病気か…?)

十二指腸潰瘍じゅうにしちょうかいようの場合、吐血の量はごくわずかなはずだ。

医療の世界で働き出して早20年。こんな症状、見たこともないし、聞いたこともない。こんな子供が十二指腸潰瘍じゅうにしちょうかいようを患うことすら珍しいのにましてやもっと酷い病気の可能性があるとは…

もっと危険な病気なのか…?と考えられる病状を考えていたが、不意にこの少年が運び込まれた時に雛菜ひな

「雛菜…この少年…

雛菜と呼ばれた少女は、ハッと我に返り小さく頷いた。

「…はい。目の前で

当時のことを思い出したのだろう。雛菜は目の前の少年をチラリと見ると顔を伏せた。無理はない。16歳にして目の前で年端としはの行かない子供が轢かれたのだ。誰だってキツイだろう。

「その後少年はなんて言った?」

「えっ?…その後…?」

伏せていた顔を上げると、もう一度少年の顔を見た。

しばらく少年をじっと見つめていたが、何かを思い出したのか恐る恐る口を開いた。

「……。確か…そう言っていました」


(帰りたくない…か)

目の前の少年を見る。身長は170前後だろうが、身長とは相いれず、少年の体は痩せ細っていた。頬はけており髪は綺麗とは言いがたく、所々に白髪が混じっている…

ストレス…栄養失調…

(……まさか…!)

最悪の事態が脳裏を遮る。もし考えている事が当たっているのならば…どこかに…

「失礼するよ」

眠っている少年に一言入れると服を捲った。

胸、腹…は何も無く、右腕の袖をまくると…至る所にあざがあった。

「これは…」

目の前の看護師―つつみさんは呟いた。

「あぁ…だろうね」

右腕しか確認できていないが、左腕にも同様の痣があるだろう。

「ちょっ、ちょっと待ってください!先生!この少年…交通事故で運ばれてきたんですよ!事故の傷じゃないんですか!?」

「事故だった場合一箇所に大きな痣ができる。でも、虐待の場合だと小さく無数に痣が出来る。腕に痣があるということは頭を殴られるのを察して腕でガードしたからこの痣が出来たんだろうね。…おそらくだろう」

「嘘…そんな…」

雛菜は口を手で抑え、目を見開いていた。瞳にはうっすら涙が浮かんでいる。よっぽど刺激が強かったのだろう。

(雛菜にはまだ早かったか…)

雛菜は優しい。なんでも自分のせいにして抱え込んでしまう。この少年の時もそうだ。雛菜は目の前で少年が轢かれるのを見て自分のせいにした。自分が助けれたら、自分がもっと早く動いてれば…寝ている少年の横で何度も泣いているのを見た。

少年の服を戻し毛布を上から掛ける。

「少年の保護者とは連絡は付いたかい?」

堤さんに問いかけると堤さんは慌てたように持っていた資料に目を通すと、

「父親と連絡は取れています。明日の朝病院に来るそうです」

「…そうか。もう一度僕の方から少年のお父さんに連絡をつけてみるよ」

「あの…ほんとに痣を付けたのって母親の方なんですか?父親の可能性もあるんじゃ…」

「あくまで推測だけどね。父親などは基本的に腹・胸・背中を重点的に攻撃する傾向があるんだよ。対して母親は顔を攻撃する傾向が強いんだ」

「そうなん…ですね」

堤さんはそう言うと顔を伏せた。彼女とはかなり長い付き合いになるが、ここまで感情をあらわにしたのは初めてだ。

「僕は診察室に戻るよ。他の患者さんも診ないといけないからね。…雛菜はどうする?」

「私は…」

雛菜は落としていた視線を少年に向けると、1度深呼吸をした。

「私はここにいます。…目の前で人が傷ついたのに私は何も出来ませんでした…だから…今度は助けになりたいんです」

雛菜は手にぐっと力を込めて自分の意見を述べた。雛菜のせいじゃない。気負わなくていい。そう言うか迷ったが、言ったところで聞かないだろう。なにしろ僕の娘だからね。1度決めたことは何があっても貫き通すだろう。

「分かった。家の者には僕から伝えておくよ。堤さん。もう仕事おわりでしょ?悪いけど、そこのコンビニで雛菜の晩御飯買ってきてくれないかな?あ、お金は渡すよ?」

「はぁ…娘さんにはほんと甘いですよね…私もなにかご馳走になっていいですか?」

「もちろん」

そんなことを話しながら病室を後にした。



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