第4話

 俺が目を開けると、そこは病室だった。ベッドの上に寝かされている。どうやら俺は、あの金髪の男に襲われて気を失ってから、病院に運ばれたようだ。病院ならあの男は来ないだろう。ここは安全だ。だが、安心するわけにはいかない。俺は警察に追われている身だ。殺人鬼にも。


 とにかく、いつまでもここで寝ているわけにはいくまい。早くここから逃げなければ……。


 起き上がろうとすると、体が痛くて思うように動かない。しかも、なぜか視界が狭い。視線をベッドの上にしか向けられない。


 すると、ふと、隣に人の気配を感じた。俺は包帯だらけの顔を上げ、顎をそちらに向けて包帯と包帯の間の狭い視界でその人を捉えた。そこに立っていたのは俺の前の前の女房だった。


 彼女の名前は音霧おときり宗子そうこ。勿論、旧姓だ。俺よりも随分と年上の女だが、会社の経営者だけの事はあって、久しぶりに会った今でもイカしている。


 宗子は俺のベッドにその艶っぽい腰を降ろして、言った。


「やっと目が覚めたのね。残念だわ」


「どうして、おまえが……」


「それはこっちの台詞セリフよ。あなた、いつまで私の番号をスマホに残しているのよ。病院から電話があったから仕方なく来てあげただけ。ほんと、迷惑だわ」


 宗子は昔のように髪の毛をかき上げた。彼女の昔からの癖で、嬉しい時に照れ隠しでやる仕草だ。どうやら、久しぶりに俺に会えて嬉しいらしい。スマホから番号を消去しないで正解だった。それに、もう俺のことは恨んでいないようだ。


 俺は宗子の金を使い込み、それがバレて離婚となった時も、彼女の通帳と印鑑を盗んで家を出た。だから、かなり恨まれていると思ったが、こうして病院まで来てくれたという事は、もう許してくれたのだろう。


 俺は彼女に言った。


「ありがとう。やっぱり、頼れるのは君だけだ」


 照れ屋の宗子は鼻で笑って返すと、俺の横の床頭台の上を顎で指してから言った。


「そんなものを大事に握って。どうしたのよ」


 俺は床頭台の方に顔を向けた。台には花瓶が立ててあり、それに花が挿してあった。花というより茎だが……。


「それ、スノードロップよね。奇遇ねえ、私も買ってきたの」


 宗子は白い花束を俺の膝の上に放り置いた。スノードロップは小さな白い花だが、こうしてちゃんと束になると葉の緑とコントラストが際立って奇麗だ。


 宗子は布団の上から俺の膝の上に手をついて言う。


「一緒に握っていたのは、クロッカスでしょ。紫の花びらが一枚だけ残っているから、分かったわ」


「花びら一枚で分かるのか。さすがだな」


「分かるわよ。だって、紫のクロッカスの花言葉は『愛の後悔』だから」


「……」


「ちなみにね、スノードロップの花言葉は知ってる?」


 顔の包帯で視界が狭まっていて気付かなかったが、部屋の中には数人の女が立っていた。皆、手にスノードロップの花束を握っている。皆、見覚えのある顔だ。俺の前の前の前の女房に、その前の女房。その頃、他に付き合っていた女たち。


 俺は宗子の方に顔を向けた。宗子は静かに微笑む。俺は膝の上の白い小さな花束に視線を落としてから、恐る恐る尋ねた。


「は、花言葉は……」


 宗子と共に、女たちが声をそろえて言う。


「『あなたの死を望みます』」


 宗子も他の女たちも、スノードロップを握っている手とは反対の手に刃物を握っていた。


 女たちが一斉に、俺に向けて花束を放り投げた。それは、俺の人生のフィナーレを飾る花束。それを拒絶するかのように、飛んでくる花束を払い退ける俺に向けて、女たちは刃物を振り上げて近寄ってくる。


 体は動かない。


 俺は病室に悲鳴を響かせることしかできなかった。


 了




 ◆◆◆参考資料◆◆◆


【クロッカスの花言葉】

 赤:青春の喜び 切望 上機嫌

 黄:私を信じて

 紫:愛の後悔


【スノードロップの花言葉】

 希望 慰め 初恋の溜め息 楽しい予告 友情の贈り物 あなたの死を望みます


【鳳仙花(ホウセンカ)の花言葉】

 私に触れないで せっかち 短気


【弟切草(オトギリソウ)の花言葉】

 迷信 敵意 秘密 恨み


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思い込みの白きフィナーレ 淀川 大 @Hiroshi-Yodokawa

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