第58話 酷暑日
―――― 更に2年後
「うひゃ~、暑い暑い!何でこんなに暑いのよォ!」
この日、東京は最高気温41.5℃と観測史上最も高い気温を記録した。
私は買い物から帰るとキッチンに直行し、冷蔵庫にあるポットに作り置きしてあった麦茶をグラスに注いで一気に飲んだ。
「ぷはぁ~!生き返るわ~」
リモコンのボタンを押してエアコンをつけ、麦茶のグラスを持ったままリビングの床にあぐらをかいて座り込む。
フローリングの床のひんやりした感触が気持ちいい。
(こんなに暑いと、あの頃の荻窪のアパートを思い出すなあ…)
珍之助が私の元に送られて来たあの年の夏、荻窪の狭いボロアパートで、私は成長途中の珍之助と暮らしていた。
自我をインストールして急に羞恥心が芽生えた珍之助は、私が暑さのあまりブラとパンティーだけで部屋をウロウロしているのを見て、しょちゅう鼻血出してたっけ…
懐かしいなあ。
もう26年も前の事になっちゃったんだ。
私は50歳を過ぎ、熟年と呼ばれる年齢になった。
もうこの歳になると例の”負の力”が出る事は無く、そんな力が自分に有ると言う事さえ忘れがちだった。まあ、もし出たとしても、せいぜいグラスにヒビが入るくらいだろう。
若い頃、自分がこんな歳になるなんて想像できなかった。いや、”歳をとる”という事がどう言う感じなのか、今一つピンとこなかった。
不思議なもので、この歳になっても中身は大して、いや、まったく歳相応に成長していないような気がして時々不安になる。
優子はジムの経営者として今も現役バリバリで頑張っているし、山下新之助も俳優として第一線で活躍している。
それに引き換え、私は…
新太郎と凛花、珍之助と美咲ちゃんが居なくなり、まるで自分の身体の一部が無くなってしまったような気がして、私はただの無気力なオバサンになってしまった。
何をするのも億劫でやる気が起きない。
そんな毎日だったが、ひと月に一通か二通、新太郎や凛花から送られてくるメールが私の心の支えだった。
新太郎からのメールは素っ気ない文章で、『僕は元気です。今は●●に居ます、次は●●に行く予定です。凛花も珍之助君も美咲ちゃんも元気です』とだけ書かれているような短いものだったが、それでも私はそのメールを何度も何度も読み返した。
しかし、世界の情勢が変化するにつれ、新太郎からのメールは月に一通だったのが三ヶ月に一通になり、ここ一年ほどはまったく音信不通になってしまった。
だが、G・O・Aが調停役として関わる紛争のニュースなどでは、G・O・Aのリーダーとしてテレビの国際映像の片隅に映る新太郎や凛花の姿がチラっと映る事があった。
G・O・Aはあくまでも裏方に徹し、表舞台には出ないと言うのがポリシーだったから、いくらリーダーと言えども新太郎がメディアのインタビューを受けたりする事は一切無かった。
だから、遠く離れた日本に居る私や山下新之助にとって、休戦調停式などの国際映像の中に居る新太郎や凛花の姿を発見する事だけが、彼らの安否を確認できる唯一の手段だったのだが、ここ最近は、調停式などの映像の中にも新太郎や凛花の姿を見ることが無くなった。
G・O・Aのリーダーが姿を見せなくなった事について、世界中のマスコミが様々な憶測を流していた。
『すでに死亡している』、『チベット奥地で新政府を
親である私や山下新之助の所にも毎日のように取材申し込みのメールや電話が掛かって来る。そのため、私は今年に入ってもう5回も携帯番号を変更した。
「暑いな…エアコン、最強にしてあるのにちっとも涼しくならないや…そう言えば、こんな暑い日は美咲ちゃんが大納言あずきをよく食べてたなぁ…」
キッチンカウンターの椅子の上に器用にあぐらをかいて、カウンターに肩ひじをつきながら美味しそうに大納言あずきを食べてたな。
その横に座って無表情でノートパソコンを弄っている珍之助に、『ちんのすけも食べるー?あーんしてー』とか言って、美咲ちゃんが珍之助にアイスを食べさせてやってたっけ…
懐かしいな…
あんな何気ない日常が、今になってこんなにキラキラ輝いて見えるようになるなんて、思いもしなかった。
ねえ、みんな、みんなどこに居るの?
今この瞬間、どこで何をしているの?
ちゃんとご飯食べてる?
風邪ひいてない?
怪我とかしてない?
会いたいよ。
みんなに会いたいよ。
涙が出てきた。
我慢できず、声を出して泣いた。
一人きりの部屋で、リビングの床に座って、私はわんわん泣いた。
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