第50話 写真
マンションの玄関でタクシーを降り、そのまま一目散にこの部屋まで走って来たのだろう。
山下新之助はハァハァ息を切らしている。
「さ、坂口さん…ハァハァ…だ、だ、いじょうぶ、ですか…ハァハァ…っと、ちんの、すけ、くんは…ハァハァハァ」
「私は大丈夫です!心配かけてすみません…それよりも山下さん、いきなり帰って来ちゃって大丈夫なんですか?映画の撮影してたんじゃないんですか?」
主役のアナタがいきなり東京へ帰ってきちゃって問題無いの?
映画の撮影って、そんな簡単に中断できるの?
「ええ、でも仕事よりこっちの方が大切ですから。それにちょうど沖縄に台風が接近していて海が荒れちゃってて、昨日から撮影中断してたんですよ。だから大丈夫です。そんな事より、坂口さん大丈夫ですか?怪我とかしたんじゃ…」
「えっと…まぁちょっと瓦礫の下に埋まってただけで、大した怪我じゃないです。全然へーきです!」
「そうですか、よかった~」
山下新之助はホッとした表情を見せると、一直線に美咲ちゃんの元へ。
え?私は?私の事はスルーか?
私、顔も手も足も傷だらけで、一応動けなくて横になってるんですけど…
「美咲ィ、大丈夫か?怪我とかしなかった?怖かったよね?一緒に居てあげられなくてごめんなぁ」
いや、今回は美咲ちゃん、何もしてない…
そうだよね…
美咲ちゃんの事が何よりも心配だよね。
でもなんかなぁ…
ちょっと寂しいな。
まあね、別に私、彼女ってワケじゃないもんね。そうだよね、そうだよね…
私、山下新之助、美咲ちゃん、ハゲ、メルティー、優子、岡島激斗、風呂場で治療中の珍之助……
広いリビングがやけに狭く感じると思ったら、この事件の関係者が全員集まってるのか。(珍之助以外は)
ハゲとメルティー、そして山下新之助は、カウンターキッチンで何やら話している。
たぶん今日起こった事を、何も知らない山下新之助に説明しているのだろう。
優子と岡島激斗は、さっき私が壊してしまった家具や、飛び散ったガラスの後片づけをしてくれている。
美咲ちゃんは、珍之助が居る風呂場とリビングを行ったり来たり。
「ねえ、美咲ちゃん、珍之助の様子どう?」
心配だ。やっぱり珍之助の事が心配だ。
私を守ろうとしてあんなにボロボロにされて、両手首まで切り落とされて…
私が最後に憶えているのは、両手首からダラダラ血を流してグッタリしている珍之助の姿だ。
何とか助かったとは言え、珍之助の無事な姿をこの目で確認したい。
「ちんのすけはねー、お風呂場で寝てるよー、りんこーりんこーってブツブツ言ってるよー」
「美咲ちゃん、私をお風呂場まで連れて行ってくれないかな?」
「うん、いいよー」
私は美咲ちゃんの背中に捉まってヨタヨタと風呂場へ向かう。まるで歩行訓練をしている老人のように。
美咲ちゃんが風呂場のドアを開けてくれた。
風呂場の床や壁には飛び散った血を拭きとった跡や、血の滲んだ包帯やガーゼが散乱している。
その真ん中に珍之助が横たわっていた。
変な機械から細いチューブが何本も伸びており、珍之助の両腕の先にはめられたゴムのような器具に繋がっている。
私は腰の痛みをこらえながら屈んで珍之助の横に座り、目を閉じている珍之助の顔を覗き込んだ。
顔は裂傷だらけで血が滲んで腫れており、青アザになっている。唇も切れていて、固まった血が大きなかさぶたのようになっていた。
「珍之助…ゴメンね、私のせいで…痛かったよね、ツラかったよね、本当にゴメンね、ゴメンね」
悲しくて涙が出てきた。
私がスマホを、キーホルダーの付いたスマホを車の中に忘れなければ、珍之助がこんな目に遭う事は無かったのに。
思いっきり声を上げて泣きたかったけど、私の泣き声が聞こえたらみんなが心配するんじゃないかと思って必死に堪えた。
でも、堪えれば堪えるほど、目の奥から涙がどんどん溢れ出してポタポタと風呂場の床に落ちて行く。
私は珍之助の胸に耳を当ててみた。
ドクン、ドクンと心臓の鼓動が聞こえる。
生きてるよね、死んでないよね…
「リ ん こ……りん こ…」
ふいに珍之助がボソッとつぶやいた。
そして、ゆっくりと顔を私の方に向け、薄眼を開けて言った。
「リん こ……だ い…じょ…ぶ?」
珍之助、アンタやっと私の事『凛子』って呼んでくれたね。
ありがとう、とっても嬉しいよ。
「うん、私は大丈夫だよ。珍之助が助けに来てくれたから、あいつらをやっつける事ができたんだよ、アリガトね、珍之助」
目も口もパンパンに腫れていて、表情なんかよく分からなかったけど、珍之助がほんの少しだけ微笑んだ様な気がした。
でも、このままこんなお風呂場に寝かせておいていいのかな?
もう血も止まってるみたいだし、ちゃんとしたベッドに寝かせた方がいいんじゃないのかな?
それにシャツもジーパンも血だらけだし、せめて着替えさせてやりたい。
と思って珍之助のシャツを見ていたら、胸ポケットに何か入っている。
何だろう?
私はそれを取り出してみた。それは…
いつか私が料理本の中に挟み込んでいて忘れていたのを、珍之助が見つけて持っていた私の写真だった。
高校生の時に友達が撮ってくれた、セーラー服姿の私の写真。
「珍之助……何で?何でこれ持ってるの?」
「いっしょ の おまも…り」
「え?」
「りんこと…いっしょ は…おまもり」
「え?…一緒って…お守り?」
「いつも…いっしょは さみしく ない」
「あ、アンタ…なんで……バカ」
「この しゃしん もってる は…ダメ? ぼく…さみしい は いやだ」
「うん、いいよ、珍之助が持っててね…ったく…もう…アンタって何なのよ…いつもシレーっとしてるクセに!何なのよ!何なのよぉ!このバカ!バカバカバカ~!うぇ~~~ん」
我慢できなかった。
大声で泣いてしまった。
後ろに美咲ちゃんが立っているのは分かってたけど、我慢できなかった。
何だよ、珍之助、それは反則だろ…そんな事されたら…
「坂口さん、どうしたんですかっ!」
「凛子ちゃん、何?何かあったの?大丈夫っ!?」
私の泣き声がリビングまで聞こえたのだろう、山下新之助と優子が血相を変えて飛んで来た。
ああ、恥ずかしい…
もう!珍之助のヤツ、恥ずかしい目に遭わせやがって…ったく。
「あ~、もう出血も止まったみてぇだし、ベッドに移すかあ!じゃよ、男衆で珍之助を運んでやってくれや」
ハゲがそう言うと、岡島激斗と山下新之助が珍之助を風呂場から運び出して、私のベッドに寝かせた。
血だらけのシャツやジーパンは…やっぱり私が替えるのは恥ずかしいので、岡島激斗と山下新之助に替えてもらった。
珍之助をベッドに寝かせ、他の者は全員リビングに集まった。
私、山下新之助、美咲ちゃん、優子、岡島激斗、ハゲ、メルティー。
みんな疲れている様子で、何となくダラーっとした雰囲気が部屋の中に漂っている。
「んじゃあよ、俺とメルティーはそろそろ帰るわ。珍之助だけどよ、腕に付いてる機械、明日になったら外してエエから。んでよ、義手はこっちで手配しとくわ。じゃな~!」
----- ボンッ! -----
ハゲとメルティーはいつものように白煙を残して帰って行った。
まだ聞きたい事があるのに…まあいいか、今日は色んな事が判明して頭がパンクしそうだよ。
次の機会にしよう……
「あの~、僕らもそろそろ帰ろうかなって思ってるんですけど…」
岡島激斗と優子が並んで山下新之助に挨拶している。
今日は本当に世話になっちゃったなあ。アンタら二人が居なかったら、珍之助は助からなかったかもしれない。
「凛子ちゃん、無理しないでゆっくり休んでね。会社には私から上手く言っておくからね、心配しないで」
「うん、ありがとう、優子」
岡島激斗と優子が帰り、リビングには私と山下新之助、美咲ちゃんの三人。
さっきまで部屋の中がガヤガヤしてたのに、いきなり静かになってしまった。
「坂口さん、大丈夫ですか?」
山下新之助が心配そうに尋ねてきた。さっきメルティーに治癒魔法みたいなヤツを施してもらってからちょっとラクになったけど、まだ身体中が痛い。
「うん、大丈夫ですよ。珍之助に比べたら、これくらい全然大した事無いですよ~」
「本当ですか?無理してません?」
「大丈夫ですっ!」
本当はあんまり大丈夫じゃないけど、まぁしゃーない。良くなるまでガマンするしかない。
「さっき激斗と優子さんに聞いた話ですけど……坂口さんが女神で、何かすごい力を持ってて、だから坂口さんが狙われたんだって」
「あ、ああ、その話ですか…まあ、そうみたいですね、私自身も突然知らされたんでビックリしてるんですけど、何か…そうらしいです。アハハハ…」
「あの、今日は本当にゴメンナサイ!坂口さんや珍之助君が大変な時に沖縄なんかに居て…僕ってマジ役立たずですよね、すみませんっ!!」
山下新之助はそう言うと、深々と頭を下げた。
いや、全然そんな事ねーから!
誰もそんな事思ってねーから!
「やややや山下さんっ!やめてください!頭上げてください!第一、山下さんが珍之助のバイクのGPS座標を教えてくれなかったら、私も珍之助も助かってなかったかもしれないんですよ!」
「そうですけど…僕、ここへ来る飛行機の中でずっと考えてたんですよ。今後また同じような事があって、坂口さんや珍之助君、美咲が事件に巻き込まれた時、今回みたいに僕だけ遠い場所に居るのはどうなのかな?って。だからですね、僕、芸能人辞めようと思うんです」
はぁぁぁ?
芸能人辞めるだと?
アンタいきなり何言いだすの!
こんな絶頂期に辞めちゃうだなんて、もったいないにも程がある!
でも山下さん、そこまで私達の事を考えてくれてたんだ。
ちょっとグッと来たぞ!でも…辞めなくてもいいんじゃない?
「や、山下さん、私達の事を心配してくれてるのはすごく嬉しいんですけど…でも、辞めなくてもいいんじゃないかな~って。人気もあるし」
「はあ…でも例えば仕事で僕だけ海外に行った時とか、また何かあったら…心配なんです。それに、僕は芸能界って特別好きなわけじゃないし。今すぐ芸能人辞めて、明日からどこかでバイトとかでも全然構いません。まあそうなったらこのマンションには住めなくなっちゃいますけど…」
おいおいおい!一体アンタは何考えてるの?
こんな生活を捨てて明日からバイト?
ダメ!ぜったいダメ!
って言ってもなぁ、本人がそうしたいって言うのなら仕方ないか…でもなあ…
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