第45話 覚醒

マンションの地下駐車場。

私を会社まで送るため、珍之助が山下新之助の軽自動車のエンジンを掛けようとしているのだが、エンジンのスタートボタンを押してもカチカチ鳴るだけでエンジンが掛からない。


「珍之助、どうしたの?」


「分からない。エンジンが掛からない」


試しにワイパーのスイッチを捻ってみると、ワイパーがゆっくりと動き、途中で止まってしまった。


「あーあ、バッテリー上がっちゃってるね、これ。まあいいや、私、地下鉄で会社行くよ」


「心配ない。オートバイで行けばいい」


珍之助は軽自動車の傍らに置いてあるバイクにキーを差し込み、バイクのエンジンをスタートさせた。


「え~っ、バイクで行くのぉ?寒いからイヤだよぉ~」


「ダメだ。ちんこを毎日会社に送るようにしんちゃんから言われている」


「え~・・・」


まあ仕方ない。

私と珍之助は部屋に戻ってジャンパーを着こみ、ヘルメットを被ってバイクに跨った。


若干渋滞気味の朝の道。

私を乗せた珍之助のバイクは、車の間をスイスイとすり抜けながら軽快に玉川通りをひた走る。

珍之助の腰に手を廻していると、厚手のジャンパー越しにも珍之助の身体の感触が伝わって来る。

そう言えば、こんなふうに珍之助の身体に密着するなんて、いつか新宿までチャリンコで二人乗りして行った時以来だ。

あの時感じた珍之助の身体は、どこかまだひょろっとしていて頼りない感じだったけれど、今ジャンパー越しに感じる珍之助の身体はガッシリとしていて、ちょっとゴツゴツしていて男っぽい。


コイツも成長したんだな。


青山一丁目の交差点を曲がり、外苑東通りに入って北青山一丁目アパートを過ぎた辺りを走っていた時、右側から来た黒いアルファードが急に幅寄せしてきた。

こちらが速度を落とすとアルファードも速度を落とし、私達のバイクの行く手を塞ぐようにアルファードが斜めに入り込んで来た。

アルファードの車体左前方がガードレールに接触して火花が散り、ガードレールとアルファードに挟み込まれるような形で、私達の乗ったバイクは止まった。


次の瞬間、アルファードのドアが勢いよく開き、中から4~5人の目出し帽を被った男達が飛び出して来たかと思うと、私と珍之助に掴みかかり、バイクから引きずり下ろそうとしている。


珍之助が男の1人に強烈なパンチを叩き込み、その男は無言でその場に倒れた。

私は必至で珍之助の身体にしがみついていたが、ジジジジ・・・と言う音と共に珍之助の身体から力が抜けて行くのを感じた。

そのままバイクからグニャリと崩れ落ちる珍之助。バイクの横に居る男の手には、大型の黒いスタンガンが握られていた。


私はそのままバイクから引きずり降ろされて男達に羽交い絞めにされたままアルファードの中へ無理やり押し込まれ、頭から黒い布製の袋をかぶせられると同時に、手足をベルトのような物で縛られた。

袋を被せられた上から口を押さえられ、縛られた両手両足も押さえつけられていてまったく身動きが出来ない。


怖い。

恐怖で膝がガクガク震えた。

今、どこを走っているのか?

袋を被せられているからどの辺を走っているのか全く分からない。

かなりのスピードを出しているようで、曲がる時には大きく左右にGがかかる。

私を襲った男達は一言も喋らない。

ずっと無言。

こつら、一体何なんだ?

どうして私と珍之助があそこを走っている事が分かった?

キーホルダーだって持っているし・・・


え!?

私、キーホルダー、持ってない?


そうだ!さっき地下駐車場で、軽自動車のダッシュボードの上に、キーホルダーが付いたスマホを置きっぱなしなんだ!

だから私の位置がバレたんだ!

油断していた。

相沢の一件から10日が経ち、その間は特に何も無かったので油断してしまった・・・


マズイ。

これからどこに連れて行かれるんだろう?

何をされるんだろう?

怖い・・・

私、どうなっちゃうんだろう・・・


どれくらい走ったのだろうか?

車に乗せられてから、10分にも1時間にも感じる。

いきなり車が停まって、私は乱暴に車内から引きずり出された。

頭に被せられた袋の上から更にベルトのような物で猿轡をはめられているので叫び声を上げる事も出来ない。

身体の両側をがっしりと捕まれ、縛られた両足を引きずるようにしてどこかの建物の中に運び込まれ、乱暴に椅子の様な物に座らされた。



「坂口さん、あなた、坂口凛子さんですよねえ?」


誰かが話しかけてきたが、私は猿轡をされていて喋ることが出来ない。


すると猿轡が外され、頭にかぶされていた黒い袋も取られた。

いきなり蛍光灯の眩しい光が目の前に広がる。

辺りを見回すと、そこは病院と思われる部屋の中だった。

私のすぐ横には手術台のような設備があり、壁際に立っている目出し帽にスーツを着た男達とグリーンの手術服を着た数名の人達、そして得体の知れない背の高い機械・・・

病院独特の、消毒液のような匂いが鼻をついた。


私の目の前には品の良さそうな初老の男性が立っている。


「坂口凛子さんですよね?大丈夫ですか?怖い思いをさせてしまってすみませんねえ」


いかにも慇懃無礼と言った口調で初老の男性が話しかけて来た。


「あ、あんたら、何なのっ!ここはどこよっ!」


「ここの場所?そんな事はどうでもいい、まったくどうでもいい事なんですよ、坂口さん」


「何なのよ・・・私をどうしようって言うのよっ!」


「これからですね、坂口さんの卵子をいただこうと思ってるんですよ。いや、正確には卵巣ごと取り出すんですけどね・・・すいませんねぇ、お手数をお掛けしてしまって」


私の卵巣を取り出す!?

く、狂ってる!

こいつ、狂ってる!




----------- 柿本エージェンシー 2F 営業部 -----------


岡田優子は広告デザインの件で坂口凛子と話すために2階の営業部の部屋へ来たのだが、凛子の姿が見当たらない。

最近は珍之助の運転する車で出社するので、電車通勤の時よりも早めに会社に着いているハズなのだが・・・


時計を見ると9時40分。早めどころか、もう遅刻だ。

凛子の机の上のPCは電源が入っておらず、書類もキチンとまとめて置いてある。凛子が出社した気配は無い。

おかしいな?凛子ちゃん、滅多に遅刻なんてしないのに。渋滞かなあ?


「あ、岡田さん、どうしたの?凛子ちゃんならまだ出社してないッスよ~」


傍に居た佐々木が優子の様子を見て声を掛けてきた。


「え~っ、そうなの?珍しいね、凛子ちゃんが遅刻なんて・・・」


ちょっと心配になり、優子は凛子のスマホに電話してみた。

が、呼び出し音は鳴っているのだが、いくら経っても凛子は電話に出ない。


変だ。


凛子のスマホにはあのキーホルダーが付いているから、いつも肌身離さずスマホを持っているはず。電話に出ないなんて絶対に変だ。

次に珍之助のスマホに掛けてみた。

こちらも呼び出し音は鳴るのだが、珍之助も電話に出ない。

どうしたんだろう?何かあったのだろうか?

優子は美咲のスマホにも電話してみた。


「あ、もしもし、美咲ちゃん?うん、優子だよ。あのね、凛子ちゃんって今日会社に行った?」


「うん、ちんのすけとねー、一緒に行ったよ。でもねー、車が動かないからバイクで行ったよー。どうしたのー?」


「あのね、凛子ちゃん、まだ会社に来てないんだ。電話しても出ないし、珍之助君に電話しても出ないんだ」


「えー?へんなのー。じゃあ美咲がしんちゃんに連絡してみるねー」


「そうしてもらえると助かるよ。あ、山下さんに連絡がついたら私の携帯に電話してもらえるように言ってくれる?」


「うん、わかったー」


どうしよう。凛子に何かあったんじゃないか?

それに珍之助君も電話に出ないなんて・・・

イヤな予感がする。


『♪~♪~♪♪~♪♪~』


スマホに着信。画面には見慣れない電話番号が・・・

きっと山下新之助からだ。


「はい、岡田です」


「あっ、優子さんですよね?山下です。さっき美咲から連絡があって、坂口さんと珍之助君に連絡が取れなくなったって」


「そうなんです、凛子ちゃん、まだ出社してなくて・・・私が電話しても出ないし、珍之助君も電話に出ないんですよ」


「マジですか?何かあったのかな・・・まさか事故に遭ったとか?」


「私もちょっと心配になっちゃって・・・美咲ちゃんの話だと、今朝は車が動かなくてバイクで行ったって言ってましたし」


「バイクで?バイクで行ったんですか?・・・それなら何とかなるかもしれないです。この前の相沢の一件で、バイクにGPSトラッカーを付けてあるんですよ。僕のスマホにそのGPSトラッカーのアプリが入ってますから・・・ちょっと待っててくださいね!えっと・・・・・・あ、分かりました!今現在のバイクの位置が分かりました!すぐに座標を送ります!でも、どうしよう・・・僕は今沖縄だし・・・そうだ!僕から岡島激斗に連絡してみます!ちょっと待っててください!」




------- 都内 凛子が監禁されている施設 ------


目出し帽にスーツの男性たちが、私の身体を持ち上げて手術台に乗せた。四人がかりで押さえつけられているため、私はまったく身動きができない。


と、その時、部屋のドアが大きな音を立てて開き、別の目出し帽にスーツの男性たちがドカドカと入って来た。その男達の中央には羽交い絞めにされいる背の高い男性が・・・あ、あれは珍之助だ!


「こいつ、車の後を追って来たんですよ、ゲートで大暴れしてたんですが、後ろから車をぶつけてやっと大人しくなりました」


珍之助はぐったりしていて、脚と両腕にバイクのチェーンロックの様な物を巻かれて身動きできなくされている。

そして珍之助は壁際にあるスチール製の椅子に座らされ、さらに金属製のチェーンで身体をがんじがらめに固定された。


「ほっほっほっほ、坂口凛子さん、これが噂に聞いていたアナタの護衛ですか?そうですかそうですか、いやぁ、すごい!電流量を上げた改造スタンガンでも気絶しただけだなんて、まるで超人ですな!」


珍之助はぐったりしていたかと思うと、時折思い出したかのように身体を振るわせて拘束を解こうとするが・・・さすがの珍之助でも、あの太いチェーンはどうにもならない。

ああ・・・珍之助も捕まってしまった。

これもすべて私が油断していたからだ。

ごめんね、珍之助。

スタンガンを当てられたり、車にぶつけられたり、痛かったよね、本当にごめんね。


「坂口さんの卵巣摘出手術の前に、ちょっとショータイムと行きましょうか。坂口さん、アナタの卵巣を摘出したらね、アナタにはもう用が無いんですよ、もちろんこの護衛にも用は無いんですがね。だからですね、坂口さんの冥途の土産に、今から大変興味深いショーをご覧になっていただきましょう。おい、アレ持ってこい」


男性が目出し帽の一人に声を掛けると目出し帽はうなずき、部屋を出て行った。

そして部屋に戻って来た目出し帽の手には、長さ約1メートルほどの、黒い鞘に入った日本刀が握りしめられていた。

初老の男性は鞘から日本刀を抜き、鞘を床に投げ捨てた。カランコロンと乾いた音を立てて鞘が転がる。


「いやあ、美しい、実に美しい!!坂口さん、日本刀ってのは人間が生み出した最も美しい芸術作品だと思いませんか?ほっほっほ!」


手に持った日本刀を顔に近づけ、ギラギラした目つきで見入る初老の男性。

そして次に男性は珍之助の身体をベタベタ触り始めた。


「いやぁ、こちらも素晴らしい創造物ですねぇ・・・完璧だ・・・完璧ですよ!この筋肉の付き方、骨格、肌、すべてが完璧じゃありませんか!ねぇ、坂口さん」


男性はニヤニヤしながらそう言うと珍之助の左腕を持ち上げ、いきなり何の前触れもなく日本刀を振り下ろした。

ガスッと言う音と共に珍之助の左手首が宙を舞い、床に転がった。


私はショックのあまり、目の前が真っ白になった。

声すらも出せない。

これは現実なのか?

目の前で起こっているこの光景は、現実なのか?

身体がガクガクと震えだし、怒りと悲しみで頭の中が一杯になった。


「おやおや、わりと簡単に切れちゃいましたねぇ、片方だけじゃバランスが悪いですよね?アシンメトリには悪魔が宿ると言いますからねぇ、ほっほっほ」


男性はそう言うと、今度は珍之助の右腕を持ち上げ、さっきと同じように何の躊躇もなく日本刀を振り下ろした。

珍之助の右手首が落ち、白い床には赤い血の痕が付いた。


やめてくれ・・・もう本当にやめてくれ。

もう耐えられないよ。

気が狂いそうだ・・・


「あらあらあら、右手首も簡単に落ちちゃいましたねぇ、張り合いがないですねぇ・・・じゃあもう最後の出し物と行きますか」


男性はぐったりうなだれている珍之助の髪の毛を掴んで頭を持ち上げると、珍之助の首に1回、2回と日本刀の歯を当て、切る位置を確認し始めた。


お願いだ・・・やめて・・・

怒りと悲しみと恐怖が同時に襲って来る。

身体中がカーッと熱くなる。

私の頭の中でブーンと低い音が鳴り響き、その音はだんだんと高くなって我慢できないほどのキーンと言う音となって脳を震わせた。


いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ!


目の前が真っ白になっていく・・・

今までの珍之助との思い出が、パラパラ漫画のように、しかも鮮明に頭の中に広がる。

荻窪のアパートの台所に立っている珍之助の姿、はじめて私の名前を呼んだ時の声、自転車で二人乗りして抱きしめた珍之助の背中、私の高校時代の写真を見つめていた目、そして、僕が守ると言ってやさしく抱きしめてくれた腕のぬくもり・・・


許さない!お前を絶対に許さない!殺してやる!お前を殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!


私は自分が何か別の生き物にでもなってしまったかのような、感情が別の何かに操作されているような不思議な感覚を覚えた。


そして、まるでブラウン管のテレビのスイッチを切った時のように、私の頭の中の映像がプツっと切れて目の前には暗闇が広がった。

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