第29話 優子

夕方5時。

私は岡島激斗がイメージキャラクターを務める、あけぼの飲料のスポーツドリンクの広告撮影スケジュールを考えていた。

広告原案やコンセプトは既にあけぼの飲料と元請けの大手広告代理店にプレゼンして承認されており、あとは具体的なスケジュールや詳細事項を詰めて、細かい予算を算出しなくてはならない。

これがまた面倒くさいったらありゃしない。


入社したての頃は何をしていいか分からず、予算組みも穴だらけで毎日泣きたくなるような有様だったが、こんな私も会社ではもう中堅どころ。

大がかりな撮影やイベントの手配も難なくこなせるようになったし、バカな佐々木の埋め合わせも任されている。まあ、それでも大変な事には変わりないんだけど。

しかしこのままじゃ終わりそうにないな。今日は久々に残業するか・・・


今日はランチに出かけて帰って来てからずっとパソコンで資料とにらめっこしているせいか、目がしょぼしょぼしてくる。

私の居る営業部は、人が多いわりに部屋が狭いので室内が暑くなりがちで、9月でもエアコンをガンガンに回している。

そのせいで室内が乾燥してやたら喉が渇くのだ。


「あー、喉渇いた」


私は給湯室に行ってコーヒーを飲もうと、自分用のカップを探したが見当たらない。

また誰かテキトーに使ってやがるな。きっとまた佐々木のヤツに違いない。

もう何回も「私のマグカップ使わないでね!」って言ってるのに・・・


仕方ないので給湯室の冷蔵庫に入れてあった”あけぼのエナジーZ”(試供品を販売前に貰ったのだ)を持って自分の机に戻ると、ちょうど佐々木が私のマグカップを持って席に着くところだった。


「さーさーきクン、そのマグカップさぁ、私のじゃん。いつも言ってるっしょ?それ私の!私が使いたい時に使えないじゃん!」


「あー!ゴメンゴメン!いや、うっかりしちゃってさ、あはは!まあいーじゃん、ひょっとして凛子ちゃん、俺と間接キスみたいになっちゃうのが恥ずかしいの?ね?そうでしょ!」


このやり取り、もう何回目だよ。

てめぇ、佐々木、調子ぶっこいてると珍之助に頼んで痛い目に合わせるぞ。

誰がお前と間接キスなんかしたいと思うんだよ!

つーかよ、間接キスってさ、お前は思春期の中学生か。


「あの、佐々木クン。間接キスとか心底どーでもいいから。いい歳こいて子供みたいな事言うの、やめてもらえます?」


「お~怖ぇ!今日の凛子ちゃん怖ぇよ、何かあったの?あ、彼氏と喧嘩でもしたの?」


佐々木がそう言いながら私のマグカップに口を付けようとした時だった。


「だめっ!」


いきなり優子が走って来て佐々木の手からマグカップを叩き落とした。

マグカップは床にぶつかって粉々に割れ、中に入っていたコーヒーがコピー機や壁に飛び散って茶色いシミを作った。


突然の出来事。

部屋に居た全員がにあっけにとられて、優子の方を見ている。

私もビックリして言葉が出ない。


「うううっ!」


優子は泣きながら部屋の外へ走って出て行ってしまった。

一体何がどうした!?ワケ分かんないよ。

でも取り合えず優子の事が心配だ。


「佐々木クン、悪いけどあんたそこ片付けといて!」


私は部屋を出て優子の後を追った。

どこへ行ったんだろう?

廊下の窓から下を見ると、会社の前の通りを歩く優子の姿が見えた。

私は5階から階段を一気に駆け下り、通りに出て優子が歩いていた方角へ走る。

100メートルほど走り、雑貨店の角を曲がったところで優子に追いついた。


「優子、ちょっと待ってよ!ね、ちょっと待って!突然どうしたの?」


「凛子ちゃん・・・ごめんね・・・」


「いいよ謝らなくて!それよりさ、一体どうしちゃったの?あんなことして」


「・・・・・」


「言いたくなければ言わなくてもいいけどさ、いきなり会社飛び出してどこ行くの?」


「・・・・・」


「優子の事が心配だよ!これからどこ行くのかって事だけでいいから教えて!」


「これから・・・家に帰る・・・」


「本当に?本当に真っすぐ帰るんだよね?」


「うん・・・」


「絶対だよ、絶対に真っすぐ帰るんだよ!どこにも寄っちゃダメだからね!」


「うん・・・」


「それからさ、家に着いたらLINEでも電話でもいいから私に連絡してね、いい?」


「うん・・・」


「絶対だからねっ!絶対に連絡するんだよ、分かった?」


「・・・・・」


優子は私の顔を見ず、そのままトボトボと駅へ向かって歩き出した。

どうしたんだろう?

優子、何かあったの?

その時、私はハッと気が付いた。


ここ最近、私は山下新之助のマンションに住むことになったりしてバタバタしており、仕事以外の事で優子とはほとんど口をきいていなかった。

私がもっと優子の事を気にしていたら、何か分かってあげられたのかもしれない。

私って、何て薄情な人間なんだろう。

山下新之助のマンションに行く事になってから、自分でも自覚するくらい有頂天になっていて優子の事なんか全然気にしていなかった。

きっと私が知らない間に何かあったんだね。

ごめん、優子。


会社に戻って優子が所属している制作室に行き、デザイン部チーフの重森さんに『優子は体調が悪くなったので早退しました』と告げたのだが・・・


「あー、岡田さん、帰っちゃったの?そうかぁ、だよねぇ、ここ最近何か変だったからなあ」


「え?優子、どうかしたんですか?」


「ん?いやね、岡田さん、仕事しながらいきなりシクシク泣き出したり、トイレへ行って30分くらい帰って来なかったりね、今日みたいにいきなり早退したりね、何か悩みでもあるのかなあって思ってたんだよね。やっぱり体調が悪いのかな?」


「そうですか・・・」


「坂口さん、岡田さんと仲いいじゃん、何か聞いてないの?岡田さんから」


「いえ、私は何も・・・」



私は憂鬱な気分で自分のデスクに戻った。

もう仕事なんてまったくやる気が起きない。


「凛子ちゃーん、岡田さんどうしたの?何かあったの?オレ、なにか岡田さんの気に障るようなコトしたかなぁ?つーか彼女も彼氏と何かあったんとちゃう?女心はわっかんねぇからなあ!参っちゃうよねぇ、ったくなあ・・・あ、気分転換にさ、今日飲みに行かない?新橋のガード下にオヤジが一人でやってる店があってさ、汚ねぇ店なんだけど美味いのよ、でさぁ・・・」


「佐々木クン、ちょっと黙っててくんない?」


「え?・・・あ、ああ、失礼しました・・・こ、怖ぇ・・・」


優子の事が心配で仕事が手につかない。

かと言って、このまま帰ったとしても、憂鬱な気分は晴れそうにない。

どうしようか・・・


その時、LINEのメッセージ着信があった。

スマホを見ると、優子からだ。


Yuko -----

家に着きました


Rinko -----

良かった、体調はどう?大丈夫?


Yuko -----

心配かけてごめんね

お願いがあるんだけど


Rinko -----

何?遠慮しないで言って


Yuko -----

仕事が終わったら私の家まで来てくれないかな?

凛子ちゃんに話したいことがあるんだ


Rinko -----

OKだよ

もう仕事は終わったから、今から行くね


Yuko -----

ごめんね

家の地図の座標送るから、それを見て来られるかな?


Rinko -----

うん、了解



私はそそくさと帰り支度をしてタイムカードを押した。

まだ仕事が残っているけど、こんな気分じゃどっちみち仕事なんて出来そうに無い。


会社のある四谷から南北線に乗れば、優子の家のある武蔵小杉までは乗り換えなしで到着する。


武蔵小杉に到着後、優子が送って来たマップの座標を頼りに、スマホの地図を見ながら優子の家へ向かう。

そう言えば優子の家に行くのは初めてだ。

確か優子は実家住まいで、両親と妹さんとの四人暮らしだと聞いていた。


武蔵小杉駅から繁華街を抜け、多摩川方面へ向かって歩いて行くと、5分もしない内に住宅街の小道に入った。

歩くにつれ、人の往来や行きかう車もまばらになり、道の突き当りには多摩川の土手が見え隠れしている。


15分ほど歩いただろうか?

スマホの地図には目的地到着の表示が出ている。


だが、そこには真新しい家々に挟まれて申し訳なさそうに建っている古めかしい、いや、みすぼらしいと言う表現の方が似合うような平屋の長屋が立っていた。

その長屋がある場所だけ、昭和にタイムスリップしたような雰囲気だ。


「あれ?変だな?優子の家って一軒家だったよね?どこだろう・・・」


ふと見ると、長屋の一番端の部屋のドアの横に、見慣れた傘が立てかけてある。

あ・・・あの傘って、優子がいつも使ってる傘だ。


私はその傘が立てかけてある部屋へ近づいてみると、ボロボロの郵便受けにマジックで”岡田”と書いてあった。


え!?

ここが優子の家?


私はちょっと半信半疑でその部屋のドアをノックした。

しばらくしてドアが開き、そこには部屋着に着替えた優子が立っていた。


「ゆ、優子・・・」


「凛子ちゃん、わざわざこんなとこまで来させちゃってごめんね・・・えっと、汚いトコだけど、入ってくれる?」


「うん、お邪魔します・・・」


玄関のすぐ横は三畳ほどの台所になっており、奥には六畳ほどの畳の部屋があった。

かなり古い建物のようで、昔の建物独特の匂いがした。


「凛子ちゃん、この部屋、びっくりしたよね?私ね、凛子ちゃんにいっぱいウソついてたんだ、ごめんね」


「う、ううん、部屋なんて別にどうでもいいじゃん、私だってボロアパートだしさ。でも、ウソって・・・」


「うん、あのね、今日は凛子ちゃんに全部本当の事を話そうと思って・・・今から私の事、みんな隠さずに話すね」


そして優子は、自分の生い立ちから話し始めた・・・


------------------

優子は高校教師の父親と専業主婦の母の間に長女として生まれた。

父はとても厳格な人で、優子も幼い時からとても厳しく躾けられたそうだ。

母は優しかったが、父の前では何も言えず、いつも三歩下がって後を付いて行くような人だった。

そんな家庭で優子は厳しく育てられたせいか、高校まではずっと学年トップの成績で素行も良い、絵に描いたような優等生だった。


優子には二歳下の妹がいた。

姉の時とは違い、父は妹にはまったく厳しくせずに、むしろ甘やかしていた。

優子が中学生三年の時、塾の帰りにコンビニのイートインコーナーで友達とつい喋り過ぎてしまい、20時の帰宅が30分ほど遅くなったことがあった。

父はそれに激怒し、顔が腫れて視界が狭くなるほどに優子の顔を殴りつけた。

母は台所で見ていないふりをしていた。


次の日、妹が友達と遊びに出かけ、帰って来たのが23時過ぎだったが父は何も言わず、むしろ妹の為に母に夕食を作り直させていた。

服だって新しい物は滅多に買ってもらえず、ほとんどが妹のお下がりだった。


なぜ父は私にだけつらく当たるんだろう?母は何で私を庇ってくれないんだろう?といつも思っていたが、そんな事を聞いたらまた殴られると思い、いつもずっと耐えていた。

妹との仲は良かったが、どこか馴染めないでいた。


高校二年の夏。

所属していた美術部の合宿先で、先輩の男子生徒と初体験をした。

別にその先輩が好きってわけじゃなかったが、こんな事をして羽目を外すのが、両親に対する抵抗になるような気がしたのだ。


そして数か月後、優子の妊娠が発覚した。

身ごもっている優子を父は何度も殴った。母は部屋の隅で泣いていた。

見かねた妹が父と優子の間に割って入り、やっと父は優子を殴るのをやめた。


学校は優子の妊娠をひた隠しにし、中絶するのなら在籍しても良いと言ったが、優子はこれを拒み、高校を自主退学させられた。


妊娠六ヶ月に頃なるとお腹も目立ってくる。

両親は世間体を気にして優子を部屋に閉じ込めたが、それは異常に徹底していて、トイレは部屋の中に子供用のおまるを置かれ、そこで用を足す様に言われた。


この時、当時の担任の教師だけが優子を庇ってくれた。

優子は家族が寝静まった深夜に部屋を抜け出し、担任の家を訪ねた。そして出産までの間、担任の家で寝泊りさせてもらえる事になった。

それ以来、実家には帰っていないし、両親にも会っていない。


優子の18歳の誕生日から一か月後、梅雨真っただ中の六月に子供が生まれた。男の子だった。

明るい人生を歩んで欲しい・・・そう思い、”明生(あきお)”と名付けた。

出産費用や入院費などは闇金から借りて工面した。


そしてそれからが本当のイバラの道だった。


このままいつまでも担任の家に居候しているわけにもいかない。

担任に保証人になってもらい、この部屋を借りた。

昼間は託児所に子供を預けてメッキ工場で働いた。コンビニなんかのバイトよりも時給が良かったからだ。

朝、託児所に子供を預けてから仕事に行き、夕方迎えに行く毎日。

赤ん坊は夜泣きも激しいし、ほぼ3時間おきに授乳もしなければならない。

メッキ工場の仕事はきつかったが、子供の為に頑張って働いた。

しかし、闇金から法外な利子で借りた借金が払えなくなっていた。

利子を払うために借金をし、それを返済するためにまた借金・・・

子供が一歳の誕生日を迎える頃には、借金は400万に膨らんでしまっていた。


多摩川の土手に座って川面を眺めながら、このままこの子を抱いたまま川に入ったら死ねるかな?なんて思ったりもした。

でも優子は諦めなかった。もうこの子以外に、私には失うものなんて何もない、私が死ぬのはこの子を失った時だ。


そして優子はお金の為に風俗の仕事をすることにした。

デリヘル、ピンサロ、ファッションヘルス、セクキャバ、ソープ・・・

収入が良い仕事なら、なりふり構わず何でもやった。

悔しい事、ツラい事が何度もあったが、子供のためだと思えばなんとか乗り越えることが出来た。

その甲斐あって、借金は三か月足らずで返済することができ、その後はもう一年だけ風俗の仕事をした後に宅配便の仕分けセンターで働き始めた。

しかし将来の事を考えると、いつまでもアルバイトの生活をしているわけにはいかない。


優子は昔から憧れていたデザイナーになるための勉強をするため、昼間はデザインの専門学校に通う事にした。

幸いにも風俗で溜めたお金があったから、学校に通う一年間は貯金を切り崩して生活することが出来た。


昼間は子供を託児所に預けて学校へ通い、夜は親子二人で過ごす日々。

それまで苦しい日々を過ごしてきた優子にとって、やっと訪れた穏やかな毎日だった。

いつまでもこの日々が続けばいいのに、と何度も思った。特に贅沢が出来るわけじゃないけれど、それは何にも代えがたい宝物のような毎日だった。


でも、それさえ長くは続かなかった。


ある日、優子が夕食の支度をしていると、後ろでドサッと何かが倒れる音がした。

振り返ると、子供が鼻から大量の血を流して倒れている。


すぐに救急車を呼んだ。

救急搬入された病院で医師から告げられた子供の病名は『ペニー・レイン症候群』


出生直後から5歳頃までに発症することが多い染色体異常による病気で、筋肉の活動に異常をきたし、症状が進むと心肺機能不全に陥り、呼吸困難になって死亡する。

国の難病に指定されており、発症確率は4万人に1人。

12歳まで生きる事は稀で、ほとんどが発症から10年以内に死亡する難病だった。

療法は対処療法しかなく、有効な治療薬も現在は存在していない・・・


やっと掴みかけたささやかな幸せが、優子の目の前で音を立てて崩れて行った。


デザインの専門学校を卒業後、以前世話になった高校の担任の紹介で、都内の小さなデザイン会社に就職することが出来た。だが、その会社は優子が就職してから1年足らずで倒産してしまった。

そして次に転職したのが、私と一緒に働いている広告代理店、柿本エージェンシー。


優子の子供はあれからずっと入院生活を送っている。

学校にも行けず、親戚や友人も居ないので、いつも優子が来るのを待ちわびている。


その子供ももう9歳。幸いにも病気の進行はあまり進んでいないようだが、12歳まで生きるのはごく稀と言われているから、残り時間はあと三年足らずしかない。


そんな時に仕事の関係で相沢亮太と知り合った。

相沢亮太は日本でも有数の製薬会社”相沢製薬”の御曹司で、彼の父親である現在の社長の跡継ぎと噂されていたが、今は社会勉強の為に桃栗出版と言う出版社で営業をしており、雑誌広告の関係で優子と連絡を取る事が多かったのだ。


優子と相沢が知り合ってから間もなく、優子は相沢から告白された。だが、子供の病気の事で頭がいっぱいだった優子はそれを断った。


しかし相沢は諦めずに何度も優子にアプローチをし続けた。

結局優子が根負けするようなカタチで二人は付き合う事になった。

優子が言うには、正直言って相沢の経済力が魅力的に感じたのが大きかったらしい。そしてそう思った自分をとても後悔していると。


優子が自分の子供の病気の事を相沢に相談すると、相沢製薬でたまたま他の病気に対する治療薬を作っていた時に、優子の子供が患っているペニー・レイン症候群に効く治療薬が偶然に出来たと言う。

相沢製薬が筆頭株主の京英女子大附属病院に転院すれば、試験的にその薬を優子の子供に投与する事も可能だと相沢は言った。


藁にも縋る気持ちで、優子は相沢に勧められるまま、子供を京英女子大附属病院に転院させた。

だが、京英女子大附属病院は入院費や治療費が高い事で有名な病院だ。

今の給料だけでは全然足りない。

だから夜はパートタイムで風俗の仕事をした。もちろんその事は誰にも言わずにいた。


優子の子供が京英女子大附属病院に転院してから、相沢亮太の優子に対する態度が変わった。

人前ではいつもと変わらない、紳士的で優しい人間なのだが、優子と二人きりになると言葉遣いが乱暴になり、優子と子供をバカにするような態度を取るようになった。

でも相沢に反抗したら、子供に治療薬を投与してくれなくなってしまうかもしれない。

だから優子は何を言われても心を押し殺して耐えた。子供の頃、父から受けた事に比べたらこんなのどうって事はない、そう思って我慢した。


昨日、相沢が小さなカプセルを優子に渡してこう言った。

「このカプセルにはごく微量で致死量になる高濃度化したフェンタニルが入っている。これを坂口凛子に飲ませろ」と。

もちろん優子は断ったが、もしやらなければ子供への投薬は中止すると言われた。


そして今日の午後、優子は私のマグカップの内側に水で溶かしたフェンタニルを塗って給湯室に置いた。


だが、その計画は上手く行かなかった。


佐々木が私のマグカップにコーヒーを入れて持って行ってしまったのだ。

このまま佐々木がマグカップに口を付けたら、高濃度のフェンタニル中毒になって死んでしまうだろう。

気が付けば、優子は佐々木のマグカップを叩き落としていた。

そして・・・現在に至る。

-----------------------


「凛子ちゃん、本当に、本当にごめんね、私、凛子ちゃんを殺そうとしたんだ!私は人殺しなんだ!ごめんね、ごめんね・・・」


優子は大粒の涙を流しながらわんわん泣いている。

あまり家具の無い殺風景な部屋と擦り切れた畳。

天上から吊るされた安っぽい電灯のかさに小さな蛾がぶつかって、カンカンと音を立てている。


「優子、もういいよ、泣かないで。私は死んでないし、佐々木だってピンピンしてる。優子は人殺しなんかじゃないよ。もし佐々木じゃなくて私があのカップでコーヒーを飲もうとしても、きっと優子は同じように叩き落とすハズだよ。だからね、もう泣かないで、ね」


「でも、でも、私は凛子ちゃんを殺そうとしたんだよっ!自分の子供の為に、凛子ちゃんを殺そうとしたんだ!」


「でも私は今こうして生きてるでしょ?それでいいじゃん。それよりも私こそ優子の事を全然分かってなかったんだね、それなのに友達面して平気な顔して・・・自分が恥ずかしい」


「でも、でも・・・」


「もういいよ、優子。顔を上げて、ね。でもさ、何で相沢さん、優子を使って私にそんなコトしたんだろう?」


「あのね、前に私がいきなり凛子ちゃんのアパートに泊りに行った事があったでしょ?あの時も相沢に言われて行ったんだ」


「え?・・・ああ、そう言えば優子、いきなり泊りに来たよね。優子にしてはちょっと変だと思ったんだよね」


「あの時ね、相沢さんから凛子ちゃんの部屋に銀色のキーホルダーがあるから、それを盗んで来いって言われた」


「キーホルダー?え?ひょっとしてコレ?」


私はスマホに着けてある、ハゲからもらったキーホルダーを優子に見せた。


「うん、これ。このキーホルダーの写真を見せられて、これと同じ物が凛子ちゃんの部屋にあるから、それを持って来いって」


なぜ?

なぜ相沢亮太がこのキーホルダーの存在を知っている?

なぜだ?

ひょっとして、珍之助の存在を相沢は知っているのか?

でも知っていたとして、なぜキーホルダーを手に入れようとする?

なぜ私を殺そうとする?

点と点が繋がらない。

もしかして、相沢はその為に優子に近づいたのか?



「優子、実はね、私も優子に秘密にしてる事があるんだ」



私は珍之助、ハゲの神様、メルティー、山下新之助の事など、すべてを優子に話した。

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