2 連星


 翌朝、私はひとり、街に繰り出した。休日の駅前通りはちょっとしたお祭り騒ぎで、そこここに幸福が転がっている。家族連れとか、彼氏彼女とか、いつかそうなりたいけど今はまだ……とか。

 私はそういうのが苦手だった。幸福そのものの笑顔とすれ違うたび、言いようもない寂しさを覚える。愛すべきパートナーと一緒に楽しく愉快にはしゃいで、愛を語り合い、そのうち子供のひとつもこしらえる。自分がそんな生き方に向いてないことは分かっていた。私には縁遠い世界。縁遠いからこそ、眩しい世界。

 でも、今はそんなこと、全く気にならなかった。

 私は燃えていた。

 大股に大通りを行き過ぎ、細い路地に折れ、薄暗い裏通りに飛び込んだ。

 道の左右は整備の行き届かない古いビルに挟まれ、経年劣化でテナント名がかすれてしまったシャッターや、チカチカと明滅する蛍光看板、埃に埋もれたようなスチールドアばかりに満ちている。

 私を除けば人影はなく、途中で出会った他人といえば、ビックリして側溝に逃げ込むドブネズミ一匹きりだった。

 こんな寂れたところに何しに来たんだ、と思われるかもしれない。実際、私もそう思う。一体何やってるんだろうって。

 藁にもすがる、というやつだった。

 噂を聞いたことはないだろうか。裏通りにある魔法の店の話。女子高生向けにやってるチャチなラッキーグッズの店なんかじゃあない、本物の黒魔術を扱う店だ。そこでは、願いを叶える魔法の道具を、客に合わせて見立ててくれるのだという。

 噂通りの場所に、その店はあった。

 一際古びた貸しビルの狭苦しい階段を登り、蜘蛛の巣の残骸垂れ下がる廊下を抜けると、赤い看板の掛かったドアがある。看板には踊るような愛らしい文字で店の名前が記されていた。さながらこの不気味な雰囲気を和らげようとするかのようにだ。もっとも、書かれているのが何語ともつかない謎のアルファベット配列では、返って気味悪さを助長するだけだったろうが。

 私は店の前で少しの間躊躇っていたが、やがて、覚悟を決めて重いドアを押し開けた。

 中はアンティークな家具に囲まれた、思いのほか雰囲気のいい空間になっていた。店主は少年と見間違えるような童顔の男で、籐の椅子に腰掛け紅茶をすすっている。錆びついたドアベルが思い出したように一声カロンと鳴いて、私の到来を店主に伝えた。

「やあ、いらっしゃい。待ってたよ」

 と、店主が私を招き入れた。

 私は導かれるまま椅子に腰を下ろし、流れるような手つきで注がれるお茶を見つめる。自分の体が強張っているのが分かる。フレンドリーな物腰とは裏腹に、店主の言葉には不気味な謎があったからだ。

 待っていた? 何故? 私が来るのを知っていたとでも?

 私の疑問を読み取りでもしたかのように、店主は穏やかな声で言った。

「洋梨フレーバー。甘い香りがするんだ。こういうの邪道だって言う人もいるけど……」

 そして人懐こく微笑む。

「僕は好き」

「私が来るのを知ってたの?」

 店主は質問に答えなかった。

 代わりに店の奥へ引っ込み、戸棚を何かガチャガチャとやり始めた。私には見分けの付かないネックレスやら指輪やら……あるいはなんと表現してよいかさえ分からないおかしな形状のものやらを、ひとつひとつ手に取って、具合を確かめているようだった。

 その中のひとつをひっくり返しながら、店主が言葉を続ける。

「君、切羽詰まってるみたいな顔をしているね」

 ギクリとした。

 この胸の高鳴りも、魔法使いたる店主には見抜かれていたのだろうか。

「気にしなくていいよ。うちに来る人たちは、みんな多かれ少なかれ切羽詰まってるものなんだ。たとえそれが、傍目には『たかがその程度で』と思われるようなことであってもね。

 つまり、人生の問題は徹底して個別的だということ。愛が絡めばなおさらさ」

 店主は手の中に何かを握り包んで、こちらへ戻ってきた。私はというと、言うべきことが頭の中で渦巻きすぎて、そのどれひとつ出てこない膠着状態のままだ。店主が私の向かいに座り、じっと目を見つめてくる。その瞳は奇妙に昏く、星ひとつない夜空を思わせた。

「君の望みは分かってる」

 静かに彼は言った。静かに? 言った? 本当に今何か喋っただろうか? 声を聞いた気がしただけではなかったか? あの細く滑らかな唇は本当に動いたか? いつの間にか夢の中に堕ちてしまったような気さえする。

「でも、君の口から言ってほしい。

 これは法則なんだ。鍵を差し込まねばドアが開かぬように。男女がつがわねば子が生ぜぬように。

 儀式と言ってもいい。

 君から働きかけることが肝心なんだ」

 なんだかさっぱり分からない。が、分かる気がした。

 私は口を開いた。

「私……スズカに触りたい」

 にこり、と店主は笑った。まるで天使のような笑顔だった。ということは、きっと彼は悪魔だったのだろう。天使を装う必要があるものは、悪魔以外にありえない。

 店主が手の中のものを差し出した。それは左右一対のピアスで、小さな丸い宝石のようなものが付いていた。細工はいまいちで、高校生がつけるチャチなイミテーションみたいな雰囲気だった。ステンレスとアクリル玉で造られた、二千円もしないアレだ。

 私が眉をひそめていると、店主が繕うように説明してくれた。

「これは連星のピアス。

 ひとつを君の右耳に、もうひとつを想い人の左耳に着けるんだ。

 そうすれば星の引力がふたりを結びつけてくれる」

「どういう原理?」

「原理がどうした。自分の細胞が分裂する原理だって気にしたことないくせに」

 それもそうだ。

 私は――ピアスを手に取った。

 その途端、

「29800円」

 店主がさらりと興を削ぐことを言うので、私は苦虫を噛み潰したような顔になった。

「結構いい値段するね」

「人生を贖うにしては安いでしょ」

 それも、確かに。

 私は財布から諭吉3枚を取り出すと、きっちりお釣り200円も受け取って、代わりに安っぽいピアスを手に入れた。これで今月は生活費カツカツだ。溜息が出る。私、馬鹿じゃなかろうか。完全に騙されてる気がする。オッサン向け漫画雑誌の裏表紙広告に載ってる幸運のブレスレットとかと何が違うんだろう。

 後悔を覚えつつ店を出たところで、見送りに来た店主が、ああ、と声を上げた。

「忘れてた。ひとつだけ」

 首を傾げる私に、店主はすうっと目を細めてみせる。

 瞬間、ゾッとするような寒気が、私に襲いかかった。

「“ロシュの限界”を知ってる?」

 私はかぶりを振った。店主はさもあろうという顔で頷き、

「ならこれだけは覚えておいて。

 星は君の望みを叶える。君は彼女に触れるだろう。

 だが――その先を望んではいけない」

 その先って――?

 私の疑問は言葉にならなかった。にも関わらず、店主は例の魅力的な笑みを浮かべ、その問いかけに答えてくれた。

「いずれ分かるよ」



(つづく)

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