3 裸、女、女


 ずっと一緒だった。私とスズカは。

 出会ったのは中2の時。たまたま同じクラスで。たまたまカラオケで隣に座って。たまたまそれが何度か続いて。

 気がついたらつるむのが当たり前になっていた。

 同じ高校に行った。同じ男を取り合った。趣味は全然違ってた。共通点はポケモンくらい。私は大学に行って、あいつは専門学校。初任給で奢ってくれた。いつの間にか、スズカは大人の女になっていた。

 ずっと一緒だった――けれど、いつも私たちはお互いそっぽを向いてた気がする。もちろん話はする。遊びもする。バカ騒ぎもたまにはするし、ネパール人を交えてはしゃぎもする。でも、いつも肝心なところで私たちは目を逸らしていた。お互いの胸のうちを曝け出すことも、探り出すことも、決してしようとはしなかった。

 だからこそこんなに長く一緒に居られたのかもしれない。それは分かる。でも――

 私は走った。

 スズカの家に続く近道を。

 はじめ微睡みのように不確かだった私の足取りは、やがて自信に満ちたものになり、ついには奔馬めいた激走に姿を変えた。息継ぎさえ忘れて私は走り、その息苦しさの中に不思議な高揚を覚えた。

 一足ごとにスズカが近づいてくるのが分かる。

 行きたい。もっと近くに。肌が触れ合うほど近くに。あのしっかりと着固められたシャツのボタンを毟り取ってしまいたい。裸になったスズカを私が組み敷く。そのさまを想像するだけで、私は、私は――

 果たして私は、スズカのもとに辿り着いた。

 その時にはもう、私は息が切れて一言だって話せない状態だったが、彼女は細かいことを尋ねもせずに快く招き入れてくれた。いつものように上がり込み、いつもの位置に腰を下ろす。

 手の中には魔法のピアス。私とスズカを結びつける悪魔の小細工。笑いがこぼれた。自分が今、どんな情けない顔で笑っているのか。想像するだに愉快だった。

 呼吸を整えるのもそこそこに、私はこう切り出した。

「買った、これ、ね」

 ……テンパってるにも程がある。

 ともあれ、私が差し出したピアスを見て、スズカは目を瞬かせた。何がなんだかよく分からない、という風。私は身振り手振りを織り交ぜて懸命に意思疎通を試み、ついに、私のやりたいことを彼女に伝えることに成功した。

 スズカは泣くほど大笑いした。

 ウケた。良かった。いや良くねえ。

「これを二人でねえ。かわいいやつ」

「知ってる」

「ありがと。ちょうだい」

 スズカが手を伸ばすので、私は、それを自分の手のひらに包み込むようにして、渡した。

 安っぽい、けれど不思議な引力を持つふたつの星が、私たちの耳にぶら下がった。

 そして私たちは、しばらく見つめあった。

 言葉はなかった、いつものように。

 しかし、いつもとは何かが違っていた。それが証拠に、私たちは次第に距離を縮めていった――ふたつの星が、互いの引力によって惹かれ合い、重力井戸の底めがけて吸い込まれていく。

 気がつけば、私たちはキスしていた。

 まるで、そうするのが当然であるかのように。


 私は望むものを得た。

 すなわち、妄想通りにボタンを毟り取り、煌めくように綺麗なスズカの裸体を思うがままにいたぶり、慈悲をこいねがう切ない喘ぎ声を我が物とした。

 と同時に、私もスズカのものになった。女同士でどうやるんだろう、上手くできるんだろうか、なんて少し心配していたけど、とんでもない。

 まさか、こんなに――こんなことになってしまうなんて――

 ほとんど気絶するように私は力尽き、気がついた時には翌朝をスズカのベッドで迎えていた。狭いベッドに、一糸まとわず寄り添う私たち。目覚まし代わりにスズカがキスをくれ、私は懸命な舌使いでそれに応えた。

 不思議なことに、スズカのことなら何でも分かった。どこを触られたがっているか、どんな愛撫をして欲しいのか。そして多分、彼女も私の全てを把握していた。なにしろその指の動きは、身震いが止まらなくなるほど的確であったから。

 私たちの身体に点火してしまった情欲の焔は、今や鎮め難く燃え盛っていた。この熱を全て吐き出すには、少なくとも丸一日分のたっぷりとした時間が必要に思われた。

 スズカは私のお腹を撫でながら、もう一方の手で職場に電話を入れた。仮病を知らせる電話だ。私はふと思いつき、上司に神妙な声で病状を訴えているスズカの、とても素晴らしいところに指を這わせた。彼女の喉の奥から引き絞ったような吐息が漏れる。あの濡れた目が私を叱る。叱られるほどに、私のイタズラは激しさを増す。

 なんとか最後まで耐えきったスズカは、電話を切るや、とろけるように私の上に覆いかぶさった。

「萌ェーっ」

 スズカの恨みがましい声が心地よく響いた。私はだらしなく頬を緩めた。

「かわいい」

 すると、不意に彼女の眉が釣り上がった。

「許さん」

「きゃー」

 私はめちゃくちゃにされた。

 それはもう、めちゃくちゃに。

 一日中。食事も取らず。休みもせず。いつまでもいつまでも、だらだらと。

 私は何度も泣き叫んだ。というのはつまり、涙が零れるほど気持ちよくなってしまったときにだ。何度くらいあのはしたない声を上げてしまったのか、初めのうちは几帳面に数えていたが、10回を超えたあたりからめんどくさくなり、そのうち止めてしまった。


 そういうわけで、私たちは「ツレ」から「恋人」にクラスチェンジした。かつて味わったことのない、ときめきに満ちた幸福な日々を、私は手に入れた。

 不思議なものだ。前とそんなに大きく何かが変わったわけではない。寂しい時に交わすLINEも、もっと寂しい時にかける電話も、何するわけでもなくとりあえずつるんでる休日も、みんな昔からやってたことばかりだ。変化といえば、そこにセックスが加わった、ただそれだけ。なのに、たったそれだけのことが、どうしてこうまで私に幸福感をくれるのだろう。

 私たちはことあるごとに抱き、抱かれ、愛情たっぷりにねぶるようなキスを交わした。毎日の仕事は相変わらず嫌だった……けれど、それを乗り切ればスズカが素敵なごほうびをくれる。それを思えばなんだって耐えられる気がした。勤務中、妄想と期待が膨らむあまり、人前で天国へ至ってしまうことすらあった。

 要するに私は舞い上がっていた。恋が成就したときにありがちな過度の多幸感と視野狭窄が、知らぬ間に私を冒していた。私の頭の中は全てスズカに占められていた。

 そしてスズカも私のことだけ考えている――と、無邪気に信じ込んでいたのだ。そのときは。


 ある日、突然スズカが連絡を寄越した。

【明日会えない】

 私は自分でも異様に思えるほど狼狽し、可能な限りの素早さでメッセージを送り返した。

【なんで?】【何かあった?】【私何かしたかな】

 答えは一言。

【おちつけ】

 無理だった。私は震える指で凄まじい長文を入力していった。なぜ会えないのか? 何が起きたのか? 私の何がいけないというのか? 畳み掛けるような怨念のメッセージは、まず名文と言える出来だったが、それを送信するより早くスズカの二の句が飛んできた。

【親が実家帰ってこいってうるさい。2、3日、有給とってゆっくりしてくる】

【私も行こうか】

【なんでやねん】

【お義父さんにご挨拶】

【まだ早いわ】

【そうかなー】

【焦るな童貞】

【うるせー処女】

【だからまあ、行ってくるね】

【お別れセックスしない?】

【我慢しろ。帰ったら3日分したげるから】

【まじかー分かった】

 分かるわけ無い。いい子のフリは口先だけだ。

 本当は、一日だってスズカを離したくない。ずっとそばに捕まえていたい。だが理性は、それが私の自分勝手に過ぎないと告げている。ゆえに私は“分かった”。いや、分かった、ということにして自分を納得させた。

 社会性、といえば聞こえは良いが、要はただの嘘偽りだ。罪悪感がちくりと私の胸を刺した。事情はどうあれ、私は騙したのだ。誰より大切に思っているはずの、スズカを。

 そこで、ふと思い当たった。

 私だけ、なのだろうか。

 私が彼女を偽ったのと同様に――スズカも私を偽っているのではないか?



(つづく)

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