4-9 夜の国の夜明け
憲兵たちに取り囲まれながら、ランスが検問所の中へと連れていかれる。
その後ろ姿を見て、カルメラは呟いた。
「これで事件は解決か……」
ランスの今後の扱いはどうしたらいいのか。国内には他にもダンピールがいるのか。ダンピールが同じ方法で侵入するのをどう防ぐべきか。そもそも本当に異種族が入ってくるのを防ぐべきなのか…… まだ問題は残っているせいか、カルメラの顔つきは硬いままだった。
しかし、一連の事件に決着がついたのも確かである。
それでカルメラは頭を下げてくるのだった。
「勇者様、この度は本当にありがとうございました」
「もっと早期に解決できたらよかったんですが」
「我々だけでしたら、きっと迷宮入りしていたでしょう。さすがは勇者様です」
まるで子供が英雄譚に夢中になるように、ユイトが推理を語った時の様子を思い出して、
次に握手を求めてきたのはマイヤだった。
「ありがとうございました。今回の件は、検問官として大変勉強になりました」
「こちらこそ、双眼鏡のことはよく覚えておきます」
マイヤは妊娠によって検問を突破される可能性を失念していたが、ユイトはユイトでヴァンパイアがドワーフ製の新式の双眼鏡を監視に使っていることを把握していなかった。犯人がダンピールという真相に気づくのが遅れたことといい、今一度異種族に対する認識を改めた方がいいようだ。
二人がそうやりとりをする横で――
カルメラは何も言わないが、ロレーナに対しても手を差し出していた。
そして、ロレーナもまた無言のままだが、握手に応じるのだった。
「ルドルフ君、我々の仕事は終わりのようだ。もう戻ろう」
ジョシュアは疲れた顔で言った。事件関係者としての仕事は確かに終わったが、これからランスの件で、議員として、消極的孤立派として、そして人間としての仕事が増えるからだろう。
「あ、はい」
足早に立ち去ろうとするジョシュアに、ルドルフは慌てた様子でそう答える。
しかし、馬車に向かう途中で、彼は呼び止められていた。
ベルデに声を掛けられたのだ。
「ルドルフさん、また街でお会いしましょう」
「はっ、はい! お待ちしてます!」
ルドルフは再び慌てた様子でそう答えた。しかし、今回はそればかりではなく、顔を赤くしていたのだった。
二人が馬車に乗り込むのを見て、ユイトは提案する。
「ロレーナ君、僕たちも帰ろうか」
「そうですね、勇者様」
彼女はそう頷いた。
こうして、夜の国の事件は終わりを迎えたのだった。
◇◇◇
夜半過ぎの暗い森の中を、馬車が駆けていく。
トランシール公国から、二人は少しずつ遠ざかっていく。
最初に公国を訪れた時には、あれほど高く厚く巨大に見えたはずの壁も、徐々に小さくなっていった。
その様子を目にして、ロレーナは思わずという風に声を漏らす。
「百年後は一体どうなっているんでしょうね」
「さあねぇ……」
ユイトは曖昧な相槌を打った。
それでは満足できなかったらしい。ロレーナは続けて尋ねてくる。
「ランスさんはまた国に戻れるでしょうか?」
「前科もつくし、難しいかもね」
「でも、今回の事件で、入国規制について見直されるかもしれないですよね?」
「ダンピールがヴァンパイアを殺したっていうのは、まるきり過去のヴァンパイアハンターと同じ構図だからね。過去の例と同じように、規制の強化に繋がるんじゃないかな」
ダンピールによる戦禍を受けたことが、検問や壁が設置されるようになった理由の一つだった。今回も「ダンピールが生まれたせいで事件が起こった」と、異種族を排除する方向に議会や世論が動くと考えた方が自然だろう。
しかし、ロレーナは折れなかった。
『百年後には僕はもう死んでいるかと思いますが、ダンピールのあなたなら二百年後も三百年後もきっと生きておられることでしょう』
ユイトが最後にランスに掛けた言葉を、彼女は持ち出してくる。
「じゃあ、二百年後ならどうですか?」
「二百年かー……」
「三百年後は?」
「うーん……」
事件の影響で強化された規制が、また緩和されるということは考えられる。しかし、今よりも規制が緩むかどうかまでは断定できなかった。
ユイトがランスに伝えたのは、現実的な予測ではなく一種の楽観論、というかほとんどただの慰めだったのである。
だが、ロレーナはなおも食い下がってきた。
「勇者様が元いた世界は、キンセイ?のこの世界より五百年くらい進んでいるんでしたよね?」
「異世界でも未だに差別や対立はあったよ。『憲兵が犯人を殺したのは、肌の色が違うせいじゃないか』って大騒動になったり。多分だけど、今でもなくなってないだろうね」
「そうですか……」
時間が経てば解決するような簡単な問題ではない。そう思い知らされたのだろう。ロレーナは語勢を失っていた。
もっとも、ユイトは何も諦めているわけではなかった。
「まぁ、僕もできるかぎりのことはしてみるよ」
百年前には、まだ人種によってバスの座席が区別されていたという。
それどころか、五百年前には、まだ特定の人種が奴隷として虐げられていたそうである。
差別や偏見に抗ったところで、そのすべてをなくせたわけではない。
しかし、何も変えられなかったというわけではないのだ。
「それに今回の事件は悪いことばかりじゃなかったしね」
「何のことですか?」
「ベルデさんだよ」
「?」
ユイトの回答を聞いて、ロレーナはますます不思議がるばかりだった。
「ベルデさん、人間も恋愛対象だって言ってたろう? ルドルフ君にもチャンスはあるってことじゃないか」
「は?」
とても『勇者様』を相手にしているとは思えない返事だった。
我に返ったあとも、ただ言葉遣いが元の丁寧なものに戻っただけだった。怒ったような呆れたようなロレーナの態度には変化がなかったのだ。
「勇者様、あの場でそんなことを考えてたんですか?」
「協力するって、ルドルフ君と約束してたからね」
「まさか、そのために関係者を集めたんですか?」
「それも理由の一つだね」
そう答えた瞬間、ロレーナの目つきはさらに怒気を増していた。推理によって殺人犯を指摘しようという時に、事件と無関係なことに手を出すのを不謹慎だと思っているようだ。
ただユイトにはユイトの言い分があった。
「だって、僕は五百年どころか、百年後にはもう死んでるんだよ。今の内に異種族が融和するところを見ておきたいじゃないか」
「はぁ……」
ロレーナはそうとだけ言った。納得して相槌を打ったようでもあったし、呆れ果てて溜息をついたようでもあった。
今の会話で未回答なままだったのを思い出したらしい。あるいは、今の会話が最後のヒントになったのかもしれない。ロレーナはようやくあれに答える。
「……馬車のクイズの答えですけど、ドワーフの女が『吐いたのはつわりのせい』と言ったから、エルフの女は『孫ができた』と笑ったんですね? つまり、二人は義理の
「そういうことだね」
ドワーフの女とエルフの男という組み合わせの夫婦がいた。ある時、そのドワーフ女と、エルフ男の母親が一緒に乗合馬車に乗ることになった。
日頃折り合いが悪かったこともあって、ドワーフ女に吐きかけられた母親は最初は怒った。だが、自分に孫ができたことが分かって、義娘への態度を軟化させたのだった…… これがクイズの答えである。
「ドワーフとエルフの夫婦なんてありえるんですね」
「あるんだよ、そういうことも」
対立があることで有名な二種族だからだろう。ユイトが念を押しても、ロレーナはどこか現実感を持てないようだった。
「ちなみに、なれそめは山で遭難したことだって。ひどい風と雨に負けて、洞穴にドワーフが避難して、そのあとにエルフが来て。
でも、薪を持っていなくて、魔力も尽きかけていたから、火をくべることができなくってね。眠ると体が冷え過ぎて危ないかもしれないから、一晩中起きて話をしていたんだって。
「ところが、暗くて相手の姿が見えなかったせいで、お互いに相手を自分と同じ種族だと思い込んじゃっていたんだよ。だから、朝洞穴を出た時には、二人ともすごくびっくりしたみたい。
クイズに出てきた母親に限らず、周囲は当然問題にしたし、本人たちの中にも葛藤があったようだけどね。でも、一晩励まし合って過ごしたことの方が大きくて、最終的に結婚することにしたんだって。ドラマチックでロマンチックだよね」
「……もしかして、それ本人たちにお聞きになったんですか?」
「え? 普通聞くでしょ? 君は気にならないの?」
なれそめと関係ない質問をしてくるロレーナに、ユイトは逆にそう聞き返す。
そのことが彼女をいっそう呆れさせてしまったようだった。
「何が異種族の融和ですか。単に色恋沙汰に首を突っ込んでるだけじゃないですか」
「向こうは喜んで話してくれたけど、そんなにダメだった?」
「それは恋に目覚めたばかりの若者か、孫の顔が見たい老人の行動ですよ」
「確かに勇者様のやることじゃないかもね」
国家の中枢に就いて改革を断行する。融和派をまとめて革命を起こす。そういうやりかたの方が『勇者様』らしいのかもしれない。
「でも、これが僕なんだ」
「…………」
ロレーナはもう何も口を利かなくなっていた。
どうやら、とうとう完全に幻滅されてしまったらしい。
しかし、そのことについて、ユイトも特に何も言わなかった。
周りから『勇者様』と特別扱いされるばかりだということ、子供の頃に髪の色をネタにいじめじみたことをしていたこと……
色恋沙汰が好きだということに限らず、誰にも話せないような愚痴や後悔を、ロレーナには何度も聞いてもらってしまった。それも彼女とは初対面の上に、今回の事件かぎりの関係にもかかわらず、である。
だから、たとえ最後に拒絶されてしまったとしても、今まで会話に付き合ってもらったというだけで十分過ぎるくらいだろう。
そうユイトが考えた時、不意にロレーナが尋ねてきた。
「……もっとそんな話をしてくれませんか?」
「いいよ。どの種族の事件がいい? エルフ? マーメイド?」
「事件じゃなくても、というか事件じゃない方がいいです」
重要なことなのだろう。ロレーナは途中で言い直す。
「勇者様の、いえユイトさんの話を聞かせてください」
今度も彼女はそう言い直していた。
「僕の話か……」
『勇者様』という立場を周りから期待されるせいで、『佐藤唯人』として他人と接することは今ではほとんどなかった。だから、ずっと誰かに自分の個人的な話を聞いてほしいと思っていた。
しかし、いざその時が来ると、ユイトは何から話せばいいのか迷ってしまう。
すると、ロレーナの方から質問してきた。
「たとえば、照れ隠しでからかっていたという子は、どんな子だったんですか?」
「銀髪で、肌が白くて……」
「そういう容姿がお好きなんですか?」
「特にそうだったわけじゃないけど」
「じゃあ、どうして好きになったんですか?」
「やっぱり性格かな」
「クールな感じですか? それとも気が強いとか?」
「逆かなぁ。優しいというか、おしとやかというか」
「そんな子をいじめてたんですか」
「も、もう十年以上前の話だから……」
二人がそんな話をしている間にも、空はゆっくりとだが白んでいく。
夜明けはそう遠くないようだった。
(了)
勇者探偵~ヴァンパイアが生んだ密室~ 蟹場たらば @kanibataraba
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