2-4 ランスの証言

「どうぞおかけください」


 ユイトたちに対して、ランスはそう優しげに言った。


 結界の検証をするにあたって、ランスは自宅を使ってはどうかと提案してくれた。同じように、彼は事情聴取も自宅でやることを提案して、二人を家の中に上げてくれたのである。


「お飲み物なんですが……」


 と言いかけて、ランスは室内でも着用されたままのロレーナの帽子に目をやる。


「ウェアウルフの方は、紅茶やコーヒーで中毒を起こすことがあるとお聞きしたのですが」


「ええ」


 どちらの飲み物にもカフェインが多く含まれている。犬にとってそうであるように、ウェアウルフにとってもカフェインは毒物なのだ。


 実際には、一杯や二杯摂取したところで、そうそう死亡事故にまで繋がることはない。体のできあがった成人なら特にそうである。しかし、腹痛などの体調不良が起きやすいことや万一の事態がありえることを考えれば、避けるに越したことはないのだった。


「では、ブドウが毒になるというのも?」


「その通りです」


 原因はユイトが元いた世界でもまだ特定されていなかったはずだが、生のブドウやレーズンを食べた犬が死亡した事故が報告されている。この世界では、ウェアウルフに関しても同様の事故が起こっていた。


「そうなると、トマトジュースくらいしかご用意できませんが」


「お気遣いいただかなくて結構ですよ」


 ランスの申し出を、ロレーナはそう断る。しかし、マナーとして義務的に言っているだけという風ではなかった。


 おそらく彼女は、自分がウェアウルフだということのせいで、相手に面倒をかけたくないのだろう。特にランスの場合、日焼けの治療で右手に包帯を巻いていて不便そうだったから、尚更迷惑をかけられないと思ったのではないだろうか。


「勇者様は?」


「僕も同じものをお願いできますか」


 ユイトがそう答えると、ランスは「少々お待ちください」と部屋を出ていった。


 飲み物の候補として、紅茶やコーヒーはともかく、ブドウ(を使ったもの)がすぐに挙がるというのは珍しいだろう。だからか、ロレーナもそのことを話題にしていた。


「ヴァンパイアはブドウが好きなんでしたよね?」


「居住地が栽培に向いていることが多い影響でね。ワインやブドウジュースを好むのが、吸血だと誤解されたって説もあるよ」


 誤解されるだけあって、ヴァンパイアの間では白ワインよりも圧倒的に赤ワインの方が人気が高いようだった。これは肉食文化が盛んなので、肉料理に合う赤ワインが好まれるためだとされている。


「お待たせしました」


 トレーを手に、ランスが部屋に戻ってくる。紅茶でもブドウジュースでもなければ、ただの水でもなく、彼は本当にトマトジュースを用意してきていた。


「ウェアウルフのことをよくご存じなんですね」


「よくというほどでは」


 ユイトの言葉に、ランスは照れくさそうに謙遜する。カフェインはまだしも、ブドウが毒になることまで知っているのは珍しいと思うが……


 しかし、ランス本人としては謙遜のつもりはないようだった。ロレーナに対して、質問を始めていたのである。


「強化魔法の適性が高くて、特に体力や嗅覚の強化が得意というのは本当ですか?」


「他に夜目を利かせるのも得意です」


 狼は夜行性のため、わずかな光であっても感知できる。また、視力に頼らなくてもいいように鼻も利く。そうして目と鼻で獲物を見つけると、相手が疲れて動けなくなるまで、何時間でも追跡し続けるという形で狩りを行うのである。これらと同じ特徴が、ウェアウルフにも見られるのだった。


「満月の夜になると、凶暴な狼に変身して異種族を襲う……というのは誤解なんですよね?」


「正確には、変身するのは月に一度で、その周期は個人によって変わります。また、変身中は凶暴化するというよりも正気を失うので、特に異種族だけを狙って襲うということはありません」


 もっと言えば、変身中に必ず他人を襲うというわけでもなかった。あくまでも正気を失うだけなので、「言葉が通じなくなる」「指示や命令に従わなくなる」という程度に収まる者もいるのだ。


「それに正気を失うのは、魔力を制御できない子供くらいだしね」


「ですから、ウェアウルフの国では、夜の間は子供が外に出ないように、軟禁状態にすることが義務付けられています」


 フォローのつもりでユイトは言ったのに、ロレーナは包み隠さずに実態を明かしててしまう。しかも、そのわりに言葉足らずで、子供にきちんと配慮している家庭がほとんどだということまでは説明しなかった。


 ただ幸いにも、種族の特性から生じたルールであって、児童虐待だとは受け取られなかったようだ。ランスはむしろ興味深げに質問を続けていた。


「周期に関係なく変身したり、体の一部だけ変身させたりできるウェアウルフがいるというのは?」


「事実ですよ」


 実物を見せるため、ロレーナは腕だけを変身させた。


 ただでさえ強化魔法が得意なウェアウルフだが、狼化するとさらに身体能力が向上することになる。完全な狼となった場合、その戦闘力は全種族でも一、二を争うことになるだろう。


 だが、変身のコントロールは高等技術で、成人すれば誰でもできるような簡単なものではなかった。ロレーナは平然とやってのけているが、これは彼女がそれだけ優れた才能を持っているということに他ならない。


 本人は「若いからヴァンパイア絡みの厄介な仕事を押しつけられた」と冗談交じりに言っていた。しかし、実際のところは、非常事態が起きた時に勇者の護衛をさせるためではないか、というのがユイトの推理だった。


 この通り、そもそも狼化を完全にコントロールできるウェアウルフ自体が珍しいのである。まして異種族の入国を拒否しているトランシール公国内で目にする機会となったら0に等しいだろう。だから、ロレーナの変身に、ランスは「おおっ」と感嘆の声を漏らす。


 しかし、彼はすぐに自分の言動を省みていた。


「あれこれ質問してすみません。国の体制が体制だけに情報が入ってきづらい上に、古い情報は対立が激しかった頃のもので信憑性に乏しいものでつい」


 そうはにかんだあと、今度は真剣な表情で頭を下げた。


「無知なせいで、何か失礼なことを口走ったら申し訳ありません」


「こちらこそ、いろいろお気を遣わせてすみません」


 ランスは単なる好奇心ではなく、ウェアウルフに配慮するために質問していたらしい。そのことを理解して、ロレーナの側からも謝罪をするのだった。


 顔を上げると、彼女はユイトの視線に――それも温かな視線に気づいたようだった。


「なんですか?」


「君もそういう態度を取れるんだね」


「相手が何もしてこなければ、私だって何もしませんよ」


「君はちょっとやり過ぎなんだよ」


 カルメラの挑発に対して、ロレーナはすぐに暴力で応じようとしていた。あれはさすがに仕返しや意趣返しの域を超えているだろう。


 ランスは飲み物の件と同様に、ロレーナの次はユイトに話を差し向けた。


「本当は勇者様のこともお聞きしたいんですが……僕の事情聴取なんですよね?」


「事件を解決したあとにでも時間を作りましょう。といっても、異世界から来ただけで、人間と大差ないですけどね」


 外見はほぼそのものの姿をしている。能力も光魔法を使えること以外は特に変わらない。何より、元の世界でそうだった。そのため、便宜上異世界人ないし勇者を名乗ってはいるが、ユイトの自認はあくまで人間だったのである。


 そうして雑談調の会話にキリがつくと、本格的な事情聴取が始められたのだった。


「被害者のヴラディウス・ドラクリヤはいわゆる孤立派の重鎮だったそうですが、あなたの政治的な立場は? 融和派ですか?」


「僕は中立派です」


 ロレーナの推測を、ランスはそう訂正した。


 本来はヴァンパイアと対立関係にあるはずのウェアウルフに対しても、ランスはずっと友好的な態度で接していた。その点から、当然彼は融和派だと思い込んでいたようで、ロレーナは意外そうな顔をする。


「亡くなった母が国外に留学していたことがありましてね。当時は今よりも規制が厳しくて、留学や仕事でもなければ外に出られなかったんですが、そのたった一度の留学が母の価値観を変えたようで。僕は幼い頃から、外の世界がいかに素晴らしいものだったかを聞かされて育ってきたんです」


「それでも融和派ではないんですね」


「国内外で反発があることも理解していますからね。お互いの特徴や文化に関して理解し合うためには、時間を掛ける必要があるのではないでしょうか」


「なるほど……」


 ジョシュアはロレーナとの握手を躊躇していた。カルメラたちはルドルフを笑いものにしていた。ロレーナはカルメラといがみ合っていた……


 今日一日だけでも、人間・ヴァンパイア・ウェアウルフの三者の間にある壁を感じさせられたからだろう。異種族に友好的でありながら、ランスが中立派に留まっていることに、ロレーナも納得がいったようだ。


 だから、彼女はすかさず次の質問をするのだった。


「そうなると、被害者を殺害する動機があったということになりますね?」


 親切にしてくれたランスに対しても、ロレーナは容赦なく疑いの目を向ける。


 容疑者にほだされるようでは憲兵失格である。ロレーナの態度は当然のものではあるだろう。しかし、これまでの関係性を否定されたように感じたのか、彼女の詰問にランスは一瞬たじろいでいた。


「ゼロとは言いません。影響力の強い方でしたから、彼が議会から消えれば確実に改革を進めやすくなるでしょう。しかし、動機があっても方法が……」


 迫力に圧されたように、ランスは正直にそう認める。そのせいで、ますますロレーナの眼光が鋭くなった。


 場の空気を変える意味も込めて、ユイトは二人の間に口を挟む。


「ランスさんは今回の事件をどうお考えですか?」


「……やはり自殺だったのではないでしょうか。結界も検問も突破するのは不可能でしょうから」


 改めて少し考えてみたものの、結局どちらの突破方法も思いつかなかったらしい。ランスは最終的にそう答えた。


 事件を解決できれば、自分は憎まれ役で構わないとでも思っているようだ。ロレーナは手心なしに自殺説の疑問点をあげつらう。


「水瓶に毒が入っていたことはどう説明するんですか?」


「確かに不合理に思えるかもしれません。ですが、完璧に合理的な行動をする人なんていないでしょう」


 特に自殺の直前なら、精神状態は良くなかったはずである。普段以上に不合理な行動を取ってもおかしくないかもしれない。


「事件の前に、『検問を突破できた』という内容のビラが撒かれていたことは?」


「『検問を撤廃せよ』とか、『検問官は税金泥棒』とか、その手の嫌がらせは昔からありますからね。事件とは無関係だったんだと思いますよ」


 検問官への嫌がらせの話は、ユイトも聞いたことがあった。怪文書が撒かれる以外にも、壁に落書きをされたり、検問所に石を投げ込まれたりするといった事件が報告されているという。


「…………」


 自殺説には確たる証拠はないものの、反論するのも難しかったからだろう。ロレーナは黙り込んでしまう。


「真相は案外そんなものかもしれませんね」


 ユイトも半ば認めるようなことを言う。実のところ、自殺の可能性をまったく考えていなかったわけではないのだ。


 ユイトまで自殺説をほのめかしたせいか、ロレーナもとうとう反論ではなく検討を始めていた。


「自殺した理由に心当たりはありますか?」


「そこが問題ですね。遺書も見つかっていないようですし」


 もっとも、遺書が偽造された殺人もあれば、遺書を残さない自殺もある。遺書の有無だけを判断材料にすることはできないだろう。


「仕事で何かトラブルを抱えてはいませんでしたか?」


「特には聞いていませんね。ただ孤立派の代表として、検問官への嫌がらせに責任を感じておられた様子でしたから、それが自殺の原因になったということはあるかもしれません。僕の印象では、落ち込むというよりは怒っていらしたようでしたが……」


 嫌がらせへの抗議の自殺とも取れるが、それなら遺書を残す方が自然なのではないか。原因は別にあると見るべきかもしれない。


 少なくとも、ロレーナはそうしたようだった。


「私生活の方は?」


「議会以外ではあまりかかわりがないので、ちょっと分かりかねますね」


 ランスはそう言いよどんでしまう。


 しかし、彼は続けてこうも教えてくれた。


「そういうことでしたら、ご友人のルースヴェインさんからお聞きした方がいいと思いますよ」

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