第25話

 ジュネに広がる不穏なニュースを露も知らずに呑気にジュリアン手作りのサンドイッチに舌鼓を打つ4人衆。料理上手であるシモンの手料理や、シモーヌの職場兼実家であるビストロ「バイユモン・ド・シャ」のメニューで舌が肥えているポレットも、ジュリアンのサンドイッチには唸らされずを得なかった。ジュリアンが上目遣いににおずおずとその感想を尋ねた。


「ど、どうかな。ポレット」

「ほっへもほいしい!」


 ジュリアンの顔がぱあっと明るくなる。ポレットはその様子に全く注意を払わず、小さな両手で大きなサンドイッチを掴みながら夢中で頬張った(リスを思わせる可愛らしい食べ方である)。食べやすくカットされた食材の新鮮さもさることながら、手作りのマヨネーズやドレッシングが絶品なのだ。小麦本来の香ばしい香りを放ち、噛めば噛むほど味わいを増すバゲットもジュリアンがこねたものだ。おっとり穏やかなジュリアンは、料理に限らず裁縫や掃除、インテリアや庭仕事など家事全般が得意なのだが、ポレットは後々ジュリアンの隠れた才能に圧倒されることとなる。すっかりサンドイッチが無くなったころ、マチアスが2リットル水筒をリュックから取り出して薄い緑色のお茶を紙コップに注ぎ始めた。ふわりと鼻腔に広がる草のような不思議な香気。


「あら、初めての香りね」


 キョトンと不思議そうな顔をするコリンヌ。待ってましたと言わんばかりに腕組みをして顎を前に出したポレットが、御大層に目を瞑りながらコリンヌにご教授賜った。


「あらあ、知らないの?これは東洋の”リョクチャ”、所謂グリーンティーって飲み物よ」

「リョクチャ……」


 単調できつい稽古に音を上げすぐに辞めていく生徒たちとは対照的に根気よく空手を続けるポレットは、持ち前の明るさも手伝って領事館職員たちに気に入られていた。そのため稽古終了後の銭湯上がりにはカワカミ先生(傍若無人な若者たちを叩きのめし、ポレットが空手を習うきっかけを作った人物)のお茶にちょくちょく呼ばれるようになったし、本来は部外者であるアルカン一家も領事館主催のジャポレーン伝統行事にたびたび招待されるようになった。だからこと東洋文化についてはポレットの方が一日の長があるのだ。


「この香りはきっとジャポレーン産ね。東洋のお茶にもいろいろな種類があるのよ。ご存知なかったかしら?」

「へえー、リョクチャって言うのね。不思議な香りと味……」


 張り合わずにしんみりと緑茶を味わうコリンヌ。威勢よく突っ込んでいったものの軽々と避けられてしまった格好となり、ポレットはそのまま思わずずっこけそうになった。


(これじゃ私が一人で粋がってるアホの子みたいじゃない)


 顔を赤くしてきまり悪そうに顔を引き攣らせるポレット。自分で入れておきながら恐々と啜るマチアスとは対照的に、コリンヌは穏やかな表情でその香りを楽しんでいた。どうやらこの苦くて不思議な味わいの飲み物を気に入ったようである。


「それにしてもジュリアンにこんな意外な才能があるとわね~」


 気を取り直したポレットはそう言ってジュリアンを不思議そうに見つめた。ジュリアンは目を合わせずに頭を掻きながら苦笑いした。


「僕は外で元気よく遊ぶタイプじゃないから。それに僕が作った料理を使用人たちが喜んで食べてくれるんだ」

「パパも料理が得意なのよ。今度レシピを教えて貰ったら?」


 「バイユモン・ド・シャ」で育ち、今もホール・調理を担当するシモーヌも一通りの料理を作れるものの、結婚するなら料理はこの人に任せようと決めた程シモンの料理は絶品だった。時々シモンがビストロで作ってみせるポテトグラタンは第三区で大評判となり、結婚挨拶時に激高してシモンの顔を殴りつけたシモーヌの父アドリアンも今ではレシピを教えてくれと懇願するほどだ。


「シモン・アルカンも?」


 ジュリアンの顔がまた明るく輝いた。


「そうよ、パパと共通点が多くて良かったじゃない。とても穏やかな人だからきっとジュリアンのことを気に入ると思うわ」

「そ、そうかな」


 自信なさげにはにかむジュリアン。ポレットは最初「男の子らしくない」と一蹴していた彼の表情・態度にも随分慣れてきた。本人は認めないものの、もしかしたら好感らしき感情も芽生え始めているのかも……。


「どうしたのですか?コリンヌ様」


 和やかな雰囲気に似つかわしくない、心配そうなマチアスの声がポレット達の耳に入った。振り返るとコリンヌがぼんやりとした表情で黒い穴を凝視していた。


「今、声みたいな音がそこから聞こえたの」

「穴から声が?」


 みるみる顔が青ざめていくポレット。誰もいないはずの遺跡から聞こえる声といったら盗掘者か、もしくはしかないではないか……。


(声?声……こえ……。も、も、も、もしかして……?)


 ポレットは目を瞑り頭をブンブン振りながらボロを身にまとった半透明の子供の姿を頭から払おうと試みた。


(いいえ、きっと風の響きが変な具合に聞こえたのよね……そ、そ、そうに決まってるわ……)


 ジュリアンが歯をカチカチと鳴らしているポレットを心配そうに見つめる。不思議なことに、ポレットに負けじと幽霊の類が苦手なコリンヌは怖がっている様子はない。マチアスは咳ばらいをし、シートや水筒、網かごなどを手早く片付け始めた。


「さて、そろそろ中に入りましょう。試練はその日のうちに済ませなければならないと決められております故」


 聞こえたという声らしきものが気になるようで未だに穴をじっと見つめるコリンヌ、泣きそうな顔でマチアスの声掛けに頼りなく頷くポレット、ポレットの不安が伝播しオロオロするばかりのジュリアン。そんな中、マチアスだけは冷静な心持ちで大きなリュックサックを背負い立ち上がった。


◇◇◇

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