第24話

 ところどころ漆喰は剥がれているものの緑あふれる第三区に白亜の外観がよく馴染む19世紀風の一軒家では、今日も昼の柔らかな日差しがこじんまりとした庭で咲き誇るローズマリーやタイムを優しく包み込む。


「ねえママー。これ似合う似合うー?妖精さんに見えるかしら」


 青いフリルドレスでめかし込んだジャニーヌがシモーヌの後をカモの子のように付いて回る。


「はいはいお姫様。大変お似合いでございますわよ」


 その台詞に気分を良くしたジャニーヌが両手を広げながらくるくると回り、それに合わせてフリフリのドレスがひらひらと揺れる。彼女の右手に握られているのは安物のアクセサリーパーツをごてごて貼り付けたポレット作の魔法スティックだ。


「うふふ、ココ。今日も私とあなたの魔法で街の困っている人たちの力になるのよ」


 ココとはシモンが去年書いた絵本「魔女の子シャンタル」でいつも主人公シャンタルの頭や肩に乗っかっているキツネのような小さな生き物、コ-リンの愛称である(余談だがこの作品はそれなりに売れたため、シモーヌは続編を書くよう事あるごとに夫にせっついている)。すっかりシャンタル気分のジャニーヌは、シモーヌにココ役になり切って遊んでくれと暗にせがんでいるのだ。


(あー、疲れた。いつもの日曜日だったらミント茶でも飲みながらのんびり小説でも読んでいたはずだったのに……)


 シモーヌはへとへとだった。朝一あさいちからこの調子でジャニーヌに引っ付かれて片時も離してくれないのだ。平日は実家のビストロで働き土曜日は古巣の劇団で手伝いをしている彼女にとって、日曜日だけは一息つけることができる貴重なひと時だったのだが。


(かといってシモンはシモンで忙しいし……)


 シモンにはジャニーヌのお守りを任せられない。なぜなら自由業の彼が家事の大半を引き受けており、今この瞬間も料理やら掃除やらで手が離せなかったからだ。こんな時にポレットがいてくれれば……いつもお転婆娘に手を焼くシモーヌだったが、ジャニーヌの遊び相手で疲れ果てていたこの時ばかりはポレットの存在が尊く感じられた。


(やれやれ。なんだかんだ、いつもジャニーヌの面倒を看てくれていたのがポレットだったのよね~)


 無論ポレットには「面倒を看ている」という意識は欠片もなかった。天性の甘え上手であるジャニーヌが可愛くて仕方なくて、傍から離したくなかったというだけなのだ。しかし結果的にいいお姉さんの役割を果たしているポレットに、シモーヌは少しだけ頼もしさと感謝の念を感じた。


(来週はお給料日だし、あの子が欲しがっていたワンピースでも買ってやるか)


 結局シモンに負けじとポレットに大甘なジャニーヌであった。よっこらしょと色とりどりの刺繍が美しい白木のアームチェアに腰掛けたシモーヌの鼻先に、キンキラ光る魔法スティックの先端が当てられる。


「ジャニーヌ、お茶くらいゆっくり飲ませてよ~」

「だめえ!ココ、今も家の鍵をなくした子供や足が悪くてパン屋さんにもいけないおばあさんがシャンタルを待ちわびているわ。休むのは困っている人たちを助けてからよ」


(私が天使ならあなたは妖精かしら)


 コリンヌの一言が朝から頭に残っていたジャニーヌは、スティックを振り回しながらすっかり妖精気分だった(ジャニーヌにとっては妖精も魔法少女も同じようなものである)。ポレットが食料品店の子供コーナーで買い溜めた、金やら銀やら虹色やら派手な色ばかりのアクセサリーパーツ。そのアクセサリーで妹のためにこしらえた見るからに安っぽい魔法スティック。しかしジャニーヌにとっては100カラットのダイヤモンドよりも価値のあるものだったに違いない。


(うふふ。あの綺麗なお姉ちゃん、またおうちに遊びに来てくれないかな)


 コリンヌを待ちわびるジャニーヌの願いは後日すぐに叶えられることになるのだが、それはまた別の話だ。ため息をつきながら机の上の朝刊をようやく読み始めたシモーヌが急に顔を曇らせて一言呟いた。


「クヴァントで政権交代があったんだ」


 一面には祖国奪還党という聞き慣れない政党がクヴァントの第一党に躍り出たと書いてある。


「物々しい政党名ねぇ。あら、これが党首?強そうな女ねえ」


 痩せた短髪の女が壇上で机を叩くシーンを捉えた一面の写真からは、勇ましさと何とも言えない不吉さがありありと伝わってきた。次期首相にしては随分と若く見えるその女は、贅肉を一切そぎ落としたストイックな顔立ちをしている。


「どれどれ?クラウディア・アクス。つい先月30歳になったばかり。ふんふん……」


 普段は政治に特段興味を示さないシモーヌだが、大半のジュネ人と同じように胸騒ぎを覚えた彼女は食い入るようにその記事を読んだ。祖国奪還党。どうやら戦争で失った領土の回復を第一スローガンに掲げているらしい。クヴァントは約40年前の大戦で周辺諸国に領土の半分近くを割譲された苦い経験があるのだ。


「ジュネ東部のロランス地方ももちろん含まれているのよね。また暴走して世界中に戦争を仕掛けなければいいけど……」


 シモーヌは台所で料理をしているシモンをちらりと見た。当時徴兵されたシモンは大戦の体験を決して口にしない。その頃はまだ生まれてもいないシモーヌだが、どれだけ酷い戦争だったかを大人たちに聞かされてきた彼女も彼の気持ちを少しだけ理解できるような気がした。言いようのない不安で胸が一杯になったシモーヌは、目の前の妖精を悲し気な瞳で見つめた。


「ジャニーヌ、おいで」


 娘たちだけはどんな手を使ってでも絶対に守ってみせる。シモーヌはキョトンとしたジャニーヌの頭を自分の胸に埋めさせ、あってはならない未来が万が一起きてしまった場合に娘たちをどの国に逃亡させるかを真剣に考え始めた。


◇◇◇

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