第5話

 図書館前の大通りでは深い緑色で塗装された箱型キャビンタイプがエンジンをふかしたまま停車し、その車の真横ではマチアスが直立不動の姿勢で立っていた。


「ささ、乗って頂戴」


 ジョゼットに促され、ポレットとジュリアンが後部座席に乗り込んだ。後部座席のドアを開いてくれたマチアスは、3人が乗り込む際に頭にぶつけないようドアの縁を手で押さえてくれた。


「ほら、これが本物のエスコートってもんよ。あんたもよく見ておくといいわ」

「こ、これくらいは僕でも知っているさ」


 助手席に乗り込んだジョゼットが子供たちの様子を楽しそうに見ていた。


「あなた達もいかが?」


 そういってジョゼットは助手席からこちらを振り向き、子供たちの手の上に錠菓を置いた。彼女の優しい香水の匂いには、僅かにミントの香りが混じっていた。


「わあ、ありがとうございます。いただきます」


 運転中、街行く人々がこの最新型モデルを羨望の眼差しで見ていた。鼻がすーすーする不思議な味のキャンディを舐めながら、ポレットは自分が注目されているように錯覚して良い気分になった。


(これから素敵なことが起こりそうな予感!)


◇◇◇


 マチアスの運転する車は、漆喰がところどころ剥がれ落ちている年季の入った一軒家の前で停車した。ポレットが車から飛び降りて呼び鈴を鳴らすと、しばらくしてからゆっくりとドアが開き、ごま塩のぼさぼさ頭に無精ひげの、眼鏡を掛けた初老の男がそのドアの隙間から顔を覗かせた。


「パパ!」


 ポレットが勢いよく男に抱き着いた。彼女を破顔で抱き抱えた男の名はシモン・アルカン。笑った時の皺の形がとってもチャーミングなポレット自慢の父親である。


「おお、私の可愛い天使。この人たちは?」


 ジョゼットはスカートをつまみ、右脚を引いてお辞儀をした。


「初めまして、ムッシュ・アルカン。わたくしジョゼット・アポリネールと申します」

「これはこれは。初めまして、マダム・アポリネール。あなたのことを知らない者などこのピレアンにはおりますまい」

「とんでもないことですわ。わたくしこそ高名なアルカン先生にお会いできるなんて……」


 二人が社交辞令を言い合っている間、つまらなそうに突っ立っていたポレットにジュリアンがヒソヒソと耳打ちした。


「あの人、ポレットのおじいちゃん?」

「ううん、さっきパパって言ったでしょ」

「えっ!?ご、ごめん。変なこと言って。じゃああの人がシモン・アルカン?」

「あら、パパを知っているのね。世間ではすっかり過去の人扱いみたいだけど」

「もちろんだよ!でもシモン・アルカンってもうおじいちゃんだったんだね」

「パパは来年58歳だもん」


 ポレットはそう言いながら少し複雑そうな顔をした。


(ごま塩頭の私のパパは、確かに若くて美しいジュリアンのお母様とは大違いね)


 ポレットは二人の様子を観察したが、あと数年で60歳になろうというシモン・アルカンが30以上歳の離れたジョゼットにペコペコする姿を見て胸がチクチクと痛んだ。そしてその痛みはジュリアンに対する理不尽な怒りに転化された。


(明日はアポリネール夫人の言いつけ通りジュリアンをビシバシ鍛えてやるんだから!)


 ポレットは怒りの眼差しをジュリアンに向けたものの、当の少年は羨望の眼差しでシモンを見つめている。


「ねえポレット、凄いよ。シモン・アルカンが目の前にいるよ」


 予想外の反応に肩透かしを食うポレット。もしやと思い恐る恐る訊ねてみると……。


「あなた、もしかして……パパのファンなの?」

「ファンじゃないよ、大ファンさ!「最果ての塔」シリーズはページが擦り切れるまで読み込んだし、暗唱だってできるんだぜ!」


 捲し立てるジュリアンに気圧されながらも、ポレットは自分が褒められているように感じて顔を赤くした。


「……じゃあ試してあげる。「最果ての塔」シリーズ五巻の第二章、赤い髪の少女がレモンを身を挺してかばった後に言い放った台詞は?」

「レモン!モニックは生きている……ずっと黙っててごめん。だって、レモンが、レモンが私の前からいなくなっちゃうと思ったから……。もういいよ、喋るなジュリー。絶対に君を救って見せる!君は、ジュリーは……僕の初めての友達だもん!私が、私がレモンの友達?赤い少女の目には溢れんばかりの涙が……」

「わ、わかったわ。もういいわよ!」


 憑りつかれたかのように台詞を語りまくるジュリアンをポレットは慌てて制した。


「赤い髪の少女の台詞って言ったでしょ、後半は余計よ」

「ご、ごめん。でも実はアルカン先生ってもうちょっと若い人だと思ってたよ」

「パパの小説が売れ出したのは40を超えてからだもん。それまでは随分苦労したそうよ」


 ポレットは澄まし顔で話したが、内心では小躍りしていた。


(こいつ、なかなか見込みがあるわね!前言撤回、掛け値なしの友達になってやろうじゃないの!)


「ジュリアン、あんたをパパに紹介してあげる。ねえパパ……」


 ジュリアンは手を大げさに振りながらポレットの前に立ちはだかった。


「きょ、今日はいいよ」

「なんで?パパも喜ぶと思うけど」

「明日の試練を乗り越えて、一人前になってから堂々と挨拶をしたいんだ」

「はあ~?そんなご大層な試練なの?まあいいわ。パパの大ファンということに免じて思いを尊重してあげる」


 ポレットは楽しそうに談笑するシモンをちらりと見やった。


(パパ、良かったわね。ここに世界一のファンがいるわよ)


 奇しくもシモンとジョゼットも小説の話題に華を咲かせていた。


「学生のころはあなたの冒険小説に夢中でしたわ。私の青春時代の良き思いでですの。「最果ての塔」は今でもよく読み返すのですよ」

「いやー光栄です。アポリネール夫人に私の下らない小説を読んで頂いていたなんて」


(下らないなんて言わないで!パパの小説は世界最高だもん!)


 ポレットはスカートの裾をキュッと握りしめた。


「もう冒険小説の新作は執筆されないのかしら」

「ええ、インスピレーションが湧かないというか……今は貧乏劇団への脚本やら子供向けの絵本やらで何とか食いつないでいます。あとは書評を少々……。実は「最果ての塔」の印税のおかげで何とか人並みの生活を送れているんですよ」

「あら、そうなんですの。ところでアルカン様、アポリネール家の男児に課せられたしきたりはご存知かしら?」

「もちろんですとも、小説の題材にしようと思ったくらいですから。マルムの……なんでしたっけ、何とかという遺跡から証を持ち帰る試練のことですよね」

「ええ、明日がその日なんです。実はポレットちゃんにも同行していただきたくて」

「ええ?危険ではないのですか?」


 シモンは不安そうな表情を浮かべた。じゃじゃ馬娘ポレットの怖いもの知らずな性格に何度も肝を冷やされてきたからだ。


「ご安心ください。数百年の歴史で、試練の日に事故が起きたことはありませんわ。それに、当家の忠実な僕であるマチアスが子供たちのお守りおもりを致しますので」

 

 ジョゼットがそう言うと、後ろに控えていたマチアスが一礼した。シモンは軽くため息をついて諦めたように苦笑いをした。


「そうですか。由緒あるアポリネール家のご婦人がそう仰るのなら間違いないでしょう。私が無理に引き留めてもお転婆娘に恨まれるでしょうし」


 シモンはそう言ってポレットにウィンクを送り、ポレットは思わず噴き出した。


「そうそう、どうしてもお伝えしたいことがあって。ポレットちゃんがジュリアンを虐めから守ってくれたって聞いて、是非お礼を言いたかったんですの」


 ジョゼットが急に思い出したという風に手をパンと叩き、昨日の一件をシモンに詳しく伝えた。


「そんなことがあったんですか。いや、うちの娘は元気だけが取り柄でしてね。少々活発過ぎるというか……それにしてもお手柄だぞ、ポレット。アポリネール家の坊ちゃんを助けるなんてな」


 急に話を振られたポレットは頭を掻きながらデレデレした。


「いや~、それ程でも。当然のことをしたまでだわ」

「ジュリアンたら昨日はポレットちゃんの話題ばかりでしたわ。ふふふ、恋をしちゃったのかしら」


 ジョゼットの突然の発言にポレットとジュリアンは顔を真っ赤にしてしまった。


「ち、違うよ!そういうつもりで誘ったんじゃない」


 ジュリアンは目を瞑り手をバタバタさせながら否定した。


「照れなくてもいいのよ~。なーんだ、私に惚れちゃったなら初めから素直にそういえばいいのに」


 ポレットは照れ隠しに強がり、肘でジュリアンを突いた。


「違うって言ってるだろ!」


 ジュリアンの大声に一同はシーンと静まり返り、なんとも気まずい雰囲気が漂い始めた。


「大声出してごめん……」


 きまり悪そうに下を向いてしまったジュリアン。ポレットはがっくりと肩を落とし深々とため息をついた。


(そんなに全力で否定しなくてもいいのに……どうやら玉の輿は期待しないほうがいいわね)


「ごめんなさいね、余計なことを言ってしまって。それで明日の朝6時にお迎えに上がってもよろしいでしょうか」

「ええ、構いませんよ」

「では明日はよろしくお願いいたします。ジュリアン、帰りますよ。マチアス、車の準備をして頂戴」


 ジョゼットの手に惹かれながら、ジュリアンは何度も振り帰って申し訳なさそうにポレットを見た。その頼りない様子を見たポレットは大げさに首を振った。


(男ならもっと堂々としろっての。明日、本当に大丈夫かなあ)


◇◇◇

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