第6話

 マチアスの運転する自動車が大豪邸の敷地前に到着すると、軍服のような制服に身を包んだ屈強な警備員たちがロートアイアンで施工された巨大な鉄製の扉を二人掛かりで開いた。車は門が完全に開ききったことを確認した後、極めて遅い速度で敷地内を直進した。門から邸宅までは軽く100メートルはあり、左右の広大な庭は森と形容したほうがしっくりとくるほどだ。鳥のさえずりと木の葉がかすれる音以外何も聞こえないアポリネール家の神聖な領域には、いつものように柔らかな祝福の日射しが降り注いでいる。


「じゃあお先に!」


 ジュリアンは、普段の彼の様子からは想像もできないほど元気よく自動車を降りた。


「ジュリアン様、お疲れになったでしょう。少しお休みになられたほうがよいのでは?」

「平気さマチアス、こんなことでへばってたら明日の試練なんか到底乗り越えられないよ。それに過保護はもうほどほどにしてくれよな。女の子の前でみっともない姿は見せたくないしさ」


 マチアスはくすりと笑った。


「以後気を付けましょう」


(少しだけ成長されましたね、ジュリアン様……)


 ジュリアンが邸宅に走っていったあと、助手席のジョゼットがマチアスに手を引かれながらゆっくりと車を降りた。


「ふふふ、ジュリアンったら随分張り切っちゃって」


 駆け足のジュリアンの背中を呆れたような笑みを浮かべながら見つめるジョゼット。


「ジュリアン様にとって初めての御学友ではないでしょうか。不思議なものですね、コリンヌ様とシルヴァン様はいつもご友人に囲まれているというのに」


ジョゼットは"分かってないわね"とでも言いたげな困った顔をマチアスに向けた。


「二人の周りに群がる子たちは本当に友だちかしら?コリンヌなんていつも寂しそうな顔をしているわよ」

「コリンヌ様が?何時でも自信に満ち溢れているようにしか見えませんが……」


 マチアスだけではない。コリンヌを知る人々が持つ彼女のイメージは、輝くばかりの美しさと聡明さ、歳に似合わない威厳を持ち合わせた完全無欠のスーパーガールなのである。


「私は母親だから分かるのよ。コリンヌはね、本当はジュリアンと親友になりたいと思っているのよ」

「弟君のジュリアン様と?」

「そう、だからジュリアンに構ってほしくてあれこれ説教をしてしまうのね。でもジュリアンはコリンヌの過保護が苦痛みたい」

「過保護はジョゼット様にも当てはまるのでは?まあ、わたくし自身も少々思い当たる節がありますが……」

「少々ではないでしょう。あなたはジュリアンに肩入れし過ぎなのよ」


 マチアスはばつが悪そうに口の端を歪ませながら苦笑いをした。


「ご忠告痛み入ります。態度に表れないよう気を付けていたつもりですが、奥様は何もかもお見通しなのですね」

「コリンヌとシルヴァンを傷付けないよう頼みますよ。特にシルヴァンはあなたを心の底から尊敬しているようだし、子供は大人が考えているよりずっと鋭いのだから」


◇◇◇


 ジュリアンは、試練の日に使うと決めていた陸軍の軍服を模したジャケットとズボンを着て、鼻歌を歌いながら鏡の前でポーズをとっていた。すると、閉まっているはずのドアから急に声がした。


「随分張り切っているじゃない、ジュリアン」

「うわあっ!」


 いつの間にか開いていたドアの近くで立つポニーテールの少女コリンヌは、ゆっくりと壁に寄りかかりながら腕を組み、挑戦的な視線でジュリアンを見た。そのジョゼットと瓜二つの天使のような顔立ちに心を射抜かれない者はいないだろう。


「こ、コリンヌ。ノックくらいしてよ!」


 コリンヌはジュリアンの抗議を無視して彼の前までつかつかと歩み寄り、相変わらず腕組みをしながら彼の頭のてっぺんから足元まで品定めをするように観察した。


「ほら、三つ目のボタンが外れているじゃない。ズボンの折り目も左右バラバラよ。相変わらずだらしないんだから」


 少しだけ自分に自信を持ったはずのジュリアンは、またオドオドした気弱な少年に戻ってしまいそうだった。


「ほ、ほっといてくれよ。いつもいつも偉そうに説教ばかり、もううんざりだ」

「あんたみたいな情けない弟を持った私の身にもなりなさいよ。まったく、あんたは私がいないと何もできないんだから」


 その一言にカチンときたジュリアン。普段ならここで「そ、そうだよね……」とか言ってさっさと身を引くジュリアンなのだが、今日は見えない何かが両手の平で彼の背中を支えてくれるかのようにコリンヌと対峙する勇気を与えてくれた。彼は今日初めて双子の姉に正面切って歯向かった。


「もう明日からはそうじゃない」

「え?」


 ジュリアンは背筋を伸ばして、生まれて初めて真直ぐにコリンヌの目を見た。


「明日、僕は生まれ変わってみせるさ。一人前の男になるんだ」


 彼女はため息をつきながら左右に首をふった後、腕組みをした手先をリズミカルに腕に当てながらジュリアンを嘲笑った。


「あんなくだらないしきたりで?本当に言う事が子供っぽいわね」

「馬鹿にしたければすればいいさ。でも今日だって初めて友達ができたんだ。もう前の情けない自分じゃないさ」

「友達?」

「ポレット・アルカン、昨日の夜に話した子だよ。実は明日の試練に付き合ってもらうことになったんだ」


 その名前が耳に入るや、コリンヌは拳を握りしめて悔しそうに歯ぎしりをした。忘れもしない昨日のあの出来事、あの忌々しい光景。


(私を出し抜いてジュリアンを助けた女……)


◆◆◆

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