第36話 「たった一言だったけど」

 先輩が消えてから、もうどれくらい経ったか覚えていない。

 一週間ちょっとしか経ってないような気もするし、何カ月も経っている気もする。


 校門の外に人が立ってた。

 長い髪の毛を無造作に一つにまとめて、トレンチコートを羽織った女性。思い当たるのは一人しかいない。


「やー、浅葱くん」

「ランさん」

「心配になって会いに来たよ」

「今までどこにいたんですか」


 一番会いたいときにはいないくせに、こういう時に限って現れて、一体どういうつもりなんだ。

 感情のままに、思いを吐き出したい衝動に駆られる。でも、それを実行しないくらいの期間が空いてしまった。

 僕の頭が冷えるには、十分すぎる時間が流れてしまった。


「深瀬先輩はどこに行ったんですか」

「消えた」


 一秒たりとも間を開けず、ランさんは答えた。

 胸が、ずしんと重くなるのが分かった。ぎゅっと心臓を掴まれているような感覚に陥った。きっと表情にも現れてたんだと思う。


「そー悲観しなくていーよ。むしろ喜んでいーんだよ」


 ランさんは呑気な声で言った。


「どういう意味ですか?」

「『深瀬藍』は夢の具現化、願いそのもの。夢が叶ったら願いは消えちゃうでしょ? そーゆー意味では藍は幸せなんだよ」

「だって、突然消えたんですよ」

「思い当たる節がないのに、でしょ?」


 何があったか全部分かってるみたいに言った。いや、みたいに、じゃなくて分かってるのかもしれない。

 ランさんの言うことを信じるならば、喜ぶべきなのかもしれない。

 先輩の夢を叶えるっていう僕の夢が叶ったことを嬉しく思うべきなのかもしれない。

 でも、こんなにあっさりだなんて。

 でも、あんなに……


「泣いていたんです」

「そーか」


 たった一言。

 その相槌に、僕はカチンときた。

 冷えていた頭に血が上る。


「そーかってなんだよ。あんた、先輩の何なんだよ」

「藍の叔母」

「仮にも親族が『そーか』の一言で片づけるんですか?」

「片付けたよ」


 別に泣けとは言わない。絶望の淵に立てとも言わない。

 でもさ、もっとさ。


「もっと悲しめよ、いなくなったんだぞ。あんたの姪は」

「あたしはそれで良いと思ってるよ」


 ああ、この人はダメなんだ。

 今までで、一番の失望をした瞬間だった。

 もう何を言っても無駄なんだ。


「じゃあ、僕が夢を見ます」


 こう話してる時間だって無駄だ。

 僕一人でまた会う機会を見つけるしかない。

 足早に去ろうとする僕に、


「これ以上振り回したくないって藍が言ったんだよ。だから、その意思を尊重してあげられないかなー?」


 なんて声をかけられる。


「なんでランさんは平気な顔してるんですか? 親って皆そんな感じなんですか?」


 振り返らずに、そう吐き捨てる。


「あたし親じゃないけど」

「保護者という点では同じじゃないですか。なんで消えたっていうのに悲しむ素振りの一つすらしてないんですか?」


 同じことを繰り返してるって分かってる。

 でも、言わずにはいられなかった。


「だから藍の意思を尊重してるんだってー。あの子、もう夢を見なくていいって言ってたんだもん」

「『さよなら』を言う声が震えてました」

「別れの言葉なんて皆そうでしょー」

「お別れって雰囲気が苦手なのに、わざわざ僕に電話をかけてきました」

「黙っていなくなるのは、さすがに良心が咎めたんでしょー」


 呑気な声に、また腹が立つ。

 足を止めたのは間違いだった。


「僕が思い出を詰め込んで、先輩の夢を見ます。だから邪魔しないでください」


 今度こそ帰ろうとする僕をランさんは止めなかった。

 僕の背中を見て、


「やっぱくさいねー君」


 ボソリと呟くだけだった。

 それが余計に腹が立った。

 別にかまってほしいわけじゃない。放っておいたって大丈夫な存在って思われてるようで、どうせ何も出来ないって馬鹿にされてるように感じたんだ。

 思考と同じ速さで足を動かす。

 早くランさんの目に映らない範囲に行きたくて。


「待って、透くん」


 僕の帰宅を阻む声が聞こえた。くいっと手首を掴まれる感覚があった。


「舞ちゃん?」


 振り返った先にはポニーテールが特徴的な女の子がいた。

 小さな手で僕の手首を握っている。眉はハの字を描き、唇は固く結ばれていた。


「湊は? 一緒じゃないの?」

「置いてきました」

「あいつのことだから大パニック起こすよ」

「後で連絡するから良いのです」

「どうしたの?」


 舞ちゃんがこんな行動をするのは二度目。

 一度目は先輩と鴨川シーワールドの約束を取り付けた時だ。


「心配になったのです」


 冷たさなんてない、ぬくもりのある声だった。


「誰が?」

「わたしが」

「誰を?」

「透くんを」

「あぁ、今週部活休んじゃったからね。来週はちゃんと行くから」

「それだけじゃないのです」


 舞ちゃんは手に込める力を強める。

 泣くのを我慢するみたいに下唇を噛んでいる。


 それだけじゃないって意味が、すぐには分からなかった。

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