第21話 「身についた可愛げ」

 今日は先輩にお願いをきいてもらう火曜日……の前日だ。


 プルルル、プルルル、プルルル、プルルル。ブッ。


『おかけになった電話番号は電波の届かないところにあるか電源がついていないため、お出になりません。ピーッという発信音の後に……』


 うーん、出ない。コールするってことは電源は付いてるんだろうけど。

 スマホをしまって特別棟へと向かう。

 今日は月曜日、部活は休み。

 用事があるのは一階にある保健室。あのダラケものに会うためだ。

 形ばかりのノックをするも、扉の向こうから返事が返ってくることはない。


「露草、いるかー?」


 保健室のドアを開け、中を覗く。

 消毒液の匂いと、白い仕切りカーテンから小さな手に握られたスマホが出迎えていた。続けて露草自身も顔をひょっこりと出す。


「どうしたんだい? わざわざ電話をかけてくるなんて」

「気付いてたんなら出てくれよ……」

「嫌だね。電話は嫌いだ」


 解約してしまえ。

 そんな言葉が喉元まで出かかるけれど、カーテンの向こうから出てきた露草の格好を見て寸でのところで飲み込んだ。

 なんと、最低限の身なりは整えてあったからだ!

 ワイシャツのボタンは一つしか開いてないし、スカートもちゃんとしている。ハイソックスも足首まで下げられてるけど履いている。

 身なりを整えている、の基準が低いと言われるかもしれないが、あの露草千草だぞ! と主張をしたい。

 今度から電話をかけてから来るようにしようかと真剣に考える。


「で? 何の用かな?」

「以前、相談したじゃないか。深瀬先輩について」

「聞かれたね」

「露草の言う通り、僕は信じるのが怖かったんだ思う」


 遠回しだと文句を言われないように、結論を口にする。

 露草は一瞬だけ眉を顰めるも、すぐに「ああ、その話か」と納得したような顔をする。この理解力の高さは話していて楽な部分だ。

 僕は露草の隣のベッドに腰掛けて、全てを話した。


 深瀬先輩が夢だったこと。

 目の前で消えてしまったこと。

 ランさんという変なお姉さんに会ったこと。

 夢を叶える手伝いをすること。

 そして、深瀬藍に恋したこと。


「それを言いに来たのかい?」


 全てを聞き終えた露草は小さく笑う。


「馬鹿げた話だと思ってるだろ」

「いや、馬鹿げているとは思っていない。ただ、可笑しくってね」


 小さな手で口元を抑えて、控えめな笑い声を漏らす。

 馬鹿にするわけでもないのに笑われる理由が分からなくて、


「なにがだ?」


 と聞いてみる。


「君がそういうのを信じることが意外でね。『現実を突き詰めれば、いつか夢に辿り着くんだ』って前に言った時、君は随分と訝しげな表情を浮かべていたものだから。しかも、そんな相手に恋してるとまできたか」

「よく覚えているな」

「まぁね。中学時代の出来事だって正確に思い出せる自信があるよ」

「さすが『頭のいいダラケもの』だな」

「君も記憶力が良いね。そんなこと覚えているなんて」

「露草ほどじゃないさ」

「確かにね」


 そう言って露草はくくくっと笑った。


「なぁ浅葱」

「なんだ、露草」

「寂しくないか?」

「寂しくないけど、何で?」

「いや、気になっただけだ。深い意味はないさ」


 露草はベッドに腰掛け、足をパタパタさせる。僕らの間に流れた、何とも言えない空気を打ち消すように。

 本当にただの気まぐれな質問なのか、実は何かを確認するためなのか、僕には分からない。


「用は済んだかい?」

「まあ、ちょっと話があっただけだし」

「じゃあ、帰ってくれ」

「なんでそんなに追い出したいんだ?」


 確かに用はないけれども、そんな扱いかたしなくても……

 露草といえども女の子、突っぱねられたら男として悲しい部分があるんだ。


「ボクは眠たいんだ。親が来ないと帰ることも出来ないし、借りてきた本だって読み終えた。やることがないんだ」


 ふあぁ、と無防備な欠伸をする。

 じっと僕を見つけたかと思えば、ニヤッといたずらっぽく笑った。


「浅葱がボクの暇つぶしに付き合ってくれるかい?」


 伏せ目がちに、そう言った。

 窓から差し込んでくる光が、長いまつ毛をキラキラと輝かせる。

 小さく傾げた頭に合わせて、色素の薄い髪が揺れる。

 一秒にも満たない僅かな時間、僕は露草に目を奪われた。でも、そんなの知られたくなくて、皮肉めいたことを口にしてしまう。


「身に着いたじゃないか。可愛げ」

「そうかい?」

「露草がそういうこと口にするなんて意外だよ」

「勉強した甲斐があったな」

「本当に本を見繕ってきたのか?」

「冗談だよ。さぁ、帰った帰った」


 しっしっと手で振り払う素振りを見せる。

 なんだよ、結局追い出したいんじゃないか。という言葉は、喉から外に出ていくことはなかった。

 露草の表情と声に、どこか優しく感じたから。

 こんな日々が続けばいいな、と願った。

 少し不思議ではあるけれど好きな女の子がいて、友人がいて、僕の透明な青春は徐々に彩られていた。


 でも、幸せな夢はいつか覚める。

 理想に亀裂が入り始めたのは火曜日。

 僕が先輩にお願いを叶えてもらう日の事だった。

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