第20話 「今は小指だけ」

「深瀬先輩」

「なぁに浅葱くん?」


 水槽から目を離さずに、先輩は返事をする。


「正式にデートって感じがしますね」

「でっ、デート……?」


 先輩は勢いよく黒髪をなびかせて僕の方を向く。

 ペンギンの展示コーナーは薄暗いのにも関わらず、顔が真っ赤に染まっているのが見えた。


「違うんですか?」

「いや、だってさ……わ、私達、お付き合いしていないよ?」


 よしよし、良い感じに戸惑っている。見るからに動揺をしている。


「男女二人で出かけたらデートでしょ」

「そ、そうなのかなぁ?」

「そうでしょ」

「うーん……まあ、そういうことなのかなぁ……?」


 あ、この人チョロいな。

 元々そういう雰囲気がある人だったけれど、押したら簡単にいけそうだ。

 深瀬先輩が想像以上に良い反応をするものだから、この辺りから僕は調子に乗り始める。


「じゃあ、ハイ」


 左手を先輩の前に出してみた。


「何? この手」

「何って繋ごうと」

「いやいやいやいやいや! いや、それはイケナイよ!」


 首が吹き飛ぶんじゃないかと心配になるくらいの勢いで横に振る。

 そんなに嫌なのか? 僕と手を繋ぐの。地味にショックを受けつつも、ここで引いては男が廃る。押し続けるんだ、自分。


「イケナイですか?」

「だって、そんな。ねぇ?」

「デートじゃ当たり前ですよ?」

「……騙されないよ」

「ああ、そうですか」

「先輩を舐めないでほしいな」


 深瀬先輩は勝ちを確信したかのように、ふふんと胸を張る。


「そっかぁ……深瀬先輩は僕と手を繋ぎたくないんですね。嫌で仕方がないんですねぇ」

「な、なんでそういう言い方するの?」

「別になんでもないですけど?」


 そっぽ向いて、先輩から僕の顔を見えないようにする。

 ここから先は我慢比べだ。

 僕は何十分でも耐えるつもりだった。

 けれど、結構すぐに。それこそ三分も経たずに、


「あー、もう。仕方がないなぁ」


 呆れたような声を出すくせに案外まんざらでもなさそうな顔をして、僕の小指を人差し指と親指がきゅっと掴んだ。


「えー? これだけなんですか?」

「今はこれで我慢してよ」

「今はってことは……いずれ、これ以上が?」

「……なんで変な言い方するかなぁ、浅葱くんは」


 そうは言いつつも、先輩は手を離さなかった。

 帰るまで、ずっと。

 再びゲートをくぐるころには、青かった海も茜色のフィルターと通して見たような色に変わっていた。


「また来ようね」


 その言葉を聞くまで、ずっと先輩は僕の小指を握っていた。


「ねえ浅葱くんってしたいこととか行きたい場所とかないの?」


 帰りのバスで聞かれた。


「なんですか? 急に」

「私が行きたいって言ってたから誘ってくれたんでしょ」

「先輩が行きたいところが僕の行きたい場所なので」


 僕は少しだけ格好付けて言った。

 それを聞いた先輩は、


「そうじゃなくてさ」


 と軽く受け流す。

 ちょっと背伸びしてキザなセリフを言ったんだけどなぁ。少しだけ悲しいよ、僕は。

 そんな考えも、先輩の次の言葉で吹き飛んだ。


「私も浅葱くんのこと知りたいの」


 ドキンッと心臓が大きく跳ねた。

 好きな女の子に、こうも分かりやすく興味を持ってもらえるなんて初めてだ。そもそも好きになること自体が初めてのようなものだけど。

 正直、こうやって出かけられるだけで僕は十分だ。


「先輩のことを知るのが、僕のしたいことです」

「そういうんじゃないって」

「でも……」

「でもじゃない!」


 先輩はわざとらしく頬を膨らませて怒ったふりをする。

 可愛いなぁ、じゃなくて。


「えー、考えるので待ってください」

「私に出来ることなら何でも協力するよ」

「何でもって、いかがわしいですね」

「なんでえっちなこと言うの?」

「先輩が言い始めましたよね」

「健全でやりたいことないの?」

「僕は健全でしかないですよ」


 可愛い女の子が好きで、彼女なんていたことがない健全な男子高校生だ。

 そんな僕がすぐに思いつくことなんて、大抵ロクな物じゃない。


「考えて、今すぐ」

「えー」

「先輩命令だよ」

「こんな命令なら、いくらでもされたいなぁ」

「もう、ふざけてないで」


 そう言われると僕のやりたいことって何だろうか。

 特にない。というか、やりたいことはやってるしな。

 うーん、意外に難しいぞ。


「思いつかない?」

「もう少しで出てきそうです」


 とは言いつつも、出てくる気配がない。

 先輩に目を向ける。頭のてっぺんからスニーカーの先まで視線を行き来させて、この人とやりたいことは何だろうと頭を働かせる。


「え、もう始まってる?」


 戸惑いの色を見せる先輩の手元に、僕の目が留まった。

 いつも撮っているデジカメだ。

 あ、そうだ。せっかくならと一つの案が浮かび上がる。


「こういうのはどうですか?」


 先輩に、やりたいことを言ってみる。


「え、まぁ良いけど」

 そんなこと? と深瀬先輩は首を傾げる。


「本当ですか? やった」


 却下されるとは思ってなかったけど、あっさりと承諾されるとは思ってなかった。


「いつがいい?」

「いつでもいいですよ」

「じゃあ、火曜日にしよっか」


 今日は土曜日、約束したのは火曜日。

 来るべき三日後のために色々準備しとかなければ。


 なんてったって、お願いをきいてもらえるのだから。

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