第18話 「理想の先輩は海獣パンダの夢を見るか」
「……今更だけど、何で鴨川シーワールドに来たの」
大きなシャチのオブジェを見上げながら、深瀬先輩は言った。
今回のお出かけ場所は鴨川シーワールド。九十九里浜に面しており太平洋が見える水族館だ。日本でも珍しいシャチのショーが目玉イベントになっている。
「興味深々って感じがしてたんで」
「浅葱くんってなかなか出来るね?」
「気に障りました?」
「ううん、嬉しいよ」
えへへ、と表情を緩める。
あー、良かった。僕の選択間違えてなかったみたいだ。ちょっと不安だったけど、先輩の顔を見て安堵する。
ふと僕は、先輩がデジカメを持っていることに気が付いた。
「先輩って、いつもビデオ回してますよね」
「んー? そうねぇ」
「何のために?」
写真を撮る人は男女問わずにいるけれど、ビデオってなると一気に数が減ると思う。スマホで気軽に写真もビデオも撮れる時代になったし、より便利なものを利用する人が大多数になった。僕だってそうだ。
そもそもカメラを持ち歩く人自体が少なくなっているだろうし。仮にも写真部に所属している僕ですら普段は持ち歩かないし。
「う~ん……忘れないためかなぁ。もしくは、思い出すため」
「思い出すため?」
「私は音も記録しておきたいの」
「音、ですか」
「うん、そう。音って意外に大事なんだよ。記憶を引き出す一番のトリガーになるって私は思ってるんだよねぇ」
愛おしそうにカメラを撫でる。
深瀬先輩は時折、卒業式で見せたような大人びた顔をする。それが本来の先輩なのか、無意識で出ているものなのか、はたまた全く別のなにかなのか……僕には分からない。
彼女の正体が夢だと分かっても、それ以外のことは知らないことだらけだ。
分かった気になっているって事実は最初から何も変わっちゃいなかった。
「浅葱くん、どうかした?」
「いえ、何も」
「こんなところで立ち話なんかしてないで入ろうよ。水生生物が私達を待っている!」
入場ゲートをくぐりウッドデッキに足を乗せる。目の前には広く青い太平洋が広がっていた。
「潮の香りがする」
「目の前が海ですしね」
「海水浴に行くのも楽しそうだねぇ」
「海開きするのは二カ月以上先ですけどね」
まだ春だってのに波に乗ってるサーファーは目の前にもいるけれど、安全が保証されない大海にわざわざ飛び込もうとは思えなかった。
「そうだね……まぁ未来の海よりも目先の魚ってことで」
深瀬先輩は、ふらっと軽い足取りで右手にある建物に入っていった。
中は明るく、大小さまざまな水槽の中には岩や流木らしきものが入っている。魚だけかと思ったらカエルやアメンボも飼育されていて川の生物全般がここで展示されていることに気が付いた。
こんな感じだったなぁ、と幼少期の記憶が刺激される。
「あれ? 先輩?」
ふと隣にいないことに気が付いた。周りを見回すと斜め後ろの水槽に齧りつくように見入っていた。
はしゃぐかと思っていたから少し意外だ……いや、海牛が海に棲む哺乳類だとか言ってたし、好きなのかもしれない。
邪魔しちゃ悪いと、黙って隣に立った。
魚を見る。
隣の水槽に移動する。
また、魚を見る。
隣の水槽に移動する。
正直、魚に知見のない僕からしたら「大きいな」とか「知ってる名前だ」くらいの感想しかないわけで。
話題で困らないように魚図鑑を見てきたはいいけれど、付け焼刃の知識をひけらかすイタイ奴になりたくないって気持ちが今さら出てきてしまったわけで。
真剣に見ているから邪魔しちゃいけないなって思うわけで。
そんなことを考えていると淡水魚コーナーが終わってしまった。
海水魚コーナーに差し掛かったとき、深瀬先輩は痺れを切らしたのか口を開いた。
目線を水槽というかカメラから動かすことなく、
「ねぇ、浅葱くん」
と僕の名前を呼ぶ。
「何ですか?」
「水族館って何を話すのが正解なのかな」
それが分からなくて黙ってたのだろうか。もし、そうだとしたら結構意外だ。一匹一匹感想を言って回るような人だと思っていたから。今まで喋らなかったのだって撮影に夢中だからかと……
「この魚綺麗~とか、こんなの生息してるんだ~、とかじゃないですかね?」
「へー」
よく知らないけど。
そもそも水族館に来ること自体が数年ぶりだから、正しいコメントどころか正しい見方すら分かってない。今日だって魚やシャチを見に来たってよりは、深瀬先輩の夢を叶えたいってほうが大きいし……
深瀬先輩は難しそうな顔して魚を観察している。
ひとしきり水槽を眺めた後に「ある、ない、ある……」と呟き始めた。
「何がですか?」
「食べたことがあるかないか」
「あー、そういう見方もありますね」
確かに、この人結構食べるもんな。
購買で買ってきたパンの量を考えると、かなりの食いしん坊なのか。
けれども、あんまり吸収されていないような。身長も胸も……いや、この人に対してそういう邪な感情を持ってはいけない。
マンボウの水槽を通り過ぎたあたりで館内放送が流れた。
「そろそろショーが始まるみたいですね」
「お! ついに邂逅するときがやってきたねぇ」
外に出ると、太陽の明るさに目が眩んだ。
館内マップを見ながらショーの会場に足を運んだ。人気なのか休日で人が多いからか分からないけれど、席の八割ほどが埋まっていた。適当に開いているところを見つけて、隣り合って座る。
「浅葱くんは見たことあるんだよね?」
「全然覚えてないですけどね」
「実質初めてみたいな感じ?」
「そうですね」
「じゃあ、私と一緒だね」
えへへと笑う顔は何回も見てきたはずなのに、隣に座っているというだけで一気に違う魅力が溢れているように感じる。
距離が近いからか、石鹸の匂いが僕の鼻に届けられる。
ずっと見ていたら危ない。
匂いも相まって、意識を持っていかれそうだ。
隣からの誘惑に打ち勝ち、目の前に広がる大きな水槽に視線を向ける。
数分後にウェットスーツを着たお姉さんが手を振りながらやって来た。お姉さんが手を上げて指示みたいなのを出すと、水面下からシャチが出てくる。
浅瀬に自分から乗って、身体の大きさをアピールしているようにも見えた。
人間と比べると結構大きい。ヒレの厚みをみると、しっかりと哺乳類って感じがする。
先輩の反応が知りたくて、横を見た。
目をこれ以上ないってくらいにキラッキラと輝かせて、少しでも近くで見たいのか前かがみに座っている。
力強く水槽内を泳ぐ黒白生物を見て先輩は口を開いた。
「パンダだ……!」
「シャチです」
さすがにツッコまずには、いられなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます