第9話 「据え膳食えばいいってもんじゃない」

「頼むよー、先っちょだけでもいーからさ」

「やめてください」

「人助けだと思ってさー! 話だけでも聞いてってよー‼」

 放課後、僕は見知らぬお姉さんに引っ張られていた。

 なにも好きでやっているわけじゃない。

 ちゃんとした理由があるのだ。




 * * *




 数十分前、バスで拾ったチラシがずっと引っかかっていた。

 夢の相談所。

 もしかしたら僕が見た不思議な夢について、現実と地続きになっていた理由が分かるかもしれない。ヒントくらいは得られるかもって、希望を捨てきれなかった。


 チラシに載った地図は駅と一つ目のバス停のちょうど間くらいの位置を示している。徒歩十分とも書かれていた。

 ぐしゃぐしゃのチラシに従って歩くと、お目当てと思われしビルが僕を待っていた。

 ビルと名乗ってはいるものの都内にあるような高層ではなく四階五階あればいいくらいのちんまりとしたものだ。建物自体が煤けたような色をしているし、管理されているようには思えない。

 ここの三階らしいのだが、正直人がいるようには見えなかった。

 日の光が当たらない階段を上がると、ポツンと扉があった。

 郵便受けも看板も何もない。チラシ上の創英角ポップ体が嘘を付いてるようにしか思えないが、ここまで来たのだしなぁ。

 まあダメで元々ってことで。


「すみません」


 扉をノックするも、無反応。

 チラシは結構ボロボロだったし、もうやってないのか? 定休日って可能性も否めない。確認しようにも窓がないから出来ない。


「すみませーん」


 もう一度、トントントンと扉を叩く。

 やっぱダメそうかな、なんて思った時だった。

 扉の向こう側からバタバタバタと何かが崩れるような音がした。続けてコッコッコッと小気味良い音が聞こえたかと思えば、扉が勢いよく開かれる。


 中から出てきたのは二十代後半くらいの女性だった。

 ボサボサの茶色い髪を後ろで一つにまとめ、丸いメガネをかけていた。身体のラインが出るシャツと膝上丈のスカートは男子高校生には刺激が強い。

 わずかにタバコの匂いを纏わせていて、大人の女って感じがバシバシ伝わる。

 もっと胡散臭そうなお婆さんとか怖そうなおじさんが出てくるかと思っていたから驚きだ。

 だらしない雰囲気が漂ってはいるものの、美人といっていい女性だ。深瀬先輩とは違うタイプのお姉さん。


 お姉さんは僕を見るなり、無気力そうに半開きだった目を丸くした。


「おお、お客だー!」


 あまりに子供っぽい発言につられて、僕も目も丸くなる。


「どうも、あのここって……」


 僕の言葉を最後まで聞かずに、


「立ち話もなんだし、さー上がって上がって」


 と、半ばむりやり上がらされる。

 中はお世辞にも片付いているとはいえなかった。

 入ってすぐに置かれてるローテーブルの上にはお菓子の空いた袋。向かい合うように置かれたソファは紙の山が出来ている。窓どころかカーテンも閉められているから部屋全体が薄暗い。

 相談所とか事務所というより、子供の秘密基地って感じがする。


「さー、座って座って」


 お姉さんは紙束をバサァッと抱え、窓に近い棚の上に積んだ。

 数枚残っている紙を潰さないようにどけて、言われるがままに腰掛ける。


「あの……」


 僕が口を開くも、


「コーヒーでいい? ジュースのがいいー?」


 と、間延びした声を被せられる。


「えっと、ジュースで」

「おっけー」


 軽い返事を残して、お姉さんは別の部屋に消えていった。

 なんか無気力そうなのに勢いがある人だった。


「お待たせー」


 戻ってきたお姉さんは透明なコップを二つ持って戻ってきた。オレンジ色の飲み物が入った方を僕の前に置いた。

 お姉さんは、僕の対面のソファに座った。ぐしゃりと紙が何枚かお尻の下敷きになるも気にする様子もない。片手に残っていた黒い飲み物が入ったコップを口に運んでいた。

 この場面だけ見たら、優雅な放課後ティータイムだ。

 しかし、ここにはお茶しに来たわけではない。もちろん冷やかしでもない。僕が見た夢について相談をしに来たんだ。


「あの、ここって『夢の相談所 ランさん』で合ってます?」


 ジュースを貰った以上、違うと言われたら気まずいなぁとか思ったけど、


「合ってるよー、なんてったって、あたしがランさんだからね」


 と、お姉さんもといランさんは答えた、


「ランねーちゃんって呼んでもいーよー」

「呼ばないです」


 色々危ない匂いがする。こんなところで別の事件に巻き込まれたくない。

 関係ない話で流されてしまう前に、さっさと用件を伝えてしまおう。


「相談したいことがあって来たんです」

「お、なにかな? なんでも聞くぞー」


 このランさんという女の人に相談しても良いものかと一抹の不安はあるが、ここまで来たら言うしかない。というか、このまま帰るほうが気まずすぎる。


「僕が見た夢についてなんですけど……」

「ほうほう。なんだサッカー選手か? メジャーリーガー? 分かった、社長だろ」

「違います、何もかも」


 もしかして、ここハローワーク的な場所だった?

 夢って単語に飛びついた僕がいけなかった。

 ぐしゃぐしゃのチラシにもう一度目を通す。店の名前と住所、簡単な地図しか載ってない。


「違うのー?」

「違います」

「あー、めっちゃモテたいとか?」

「それも違います」

「じゃあ、人肌恋しいってことか。ここ数年はご無沙汰だったのだが、生活のためなら仕方ないなー」


 ランさんは自分のシャツに手をかける。黒い布の下から、白い素肌と綺麗な縦筋の入ったヘソがこんにちは。

 滅多に見ることのない異性の腹部に、僕の男の部分が反応してしまう。チョロいと思われるかもしれないが、男子高校生なんてこんなもんだ。


「そういうんじゃないです」

「えー、違うん?」

「むしろなんでそうだと思ったんですか」

「おねーさんと二人きりってシチュエーションにドキドキして『僕、もう我慢出来ません』って迫ってくる展開じゃないのか」


「迫りません」

 そりゃあ美人なお姉さんと二人きりはドキドキはするけれども。綺麗なヘソは脳に焼き付いて消えそうにないけれども。


「まーまーそう言わずにさ、なんなら添い寝でもする?」


 ランさんのその言葉を聞いて、僕の中にある一つの考えが浮上してきた。

 あれ、ここ僕が入っちゃダメな店じゃない? アダルトな世界に足突っ込んでる?

 もしかしたら、後でとんでもない額を請求されたりするんじゃないか?


「しないのー?」


 はい、って頷けば美味しい思いが出来るのかもしれないけどさ、高額請求、学校への報告、友人知人の耳にも入る、なんてことがあっては恐ろしすぎる。

 据え膳食わぬは男の恥とか言うけど、この場合は違うでしょ。

そう考えると、今すぐここを出たほうが賢明な気がした。


「用事思い出したんで帰りますね」


 うんうん、そうだ。逃げるが勝ち。

 今この状況に勝ち負けがあるのか分からないけれど、これ以上悩みの種を増やすようなことはしたくない。こちとら深瀬先輩のことでいっぱいなのだ。

 リュックサックを持って部屋を出て行こうとすると、


「待って待って、帰らないでー!」


 と、ランさんの間延びしていながらも必死な声が聞こえる。


「ちょっと早急にここを出なくてはいけないので」

「本当に待って! 真面目にやるからー!!」

「大人になったら来ます」


 使い古された社交辞令を口にする。

 ヘソを忘れられない僕が言うなって感じだけど許してくれ。僕は先輩一筋だ。

 僕が見た不思議な夢の正体について何もヒントが得られなかったのは残念だけど仕方が無いと割り切ろう。

 ドアノブを捻るために立ち止まった瞬間だった。

 ぐいっと後ろから軽く引っ張られる。


「久々のお客を逃がしてたまるものかー!」


 ランさんが僕のリュックの持ち手を掴んで、出て行かせるものかと意思を示していた。


「ちょ、やめてください」

「今月まじでヤバいんだよー! ちゃんとするから!」


 引っ張る力が強くなる。

 ランさんは綱引きするような姿勢だった。本気で帰すまいと思っているんだろう。


「今のところ信用度ゼロなんですけど」

「こーみえて研究者の端くれだよ。儲かってないから副業してるだけなんだよー」

「嘘つかないでくださいよ。どう見たって、えっちな店でしょ!」

「違うよー、真面目な店だよー、久々に人が来たから悪ノリしたくなっちゃったんだよー!」

「ならもう少し『らしい』振る舞いをしてください」

「振る舞いで飯が食えるかって」

「せめて変態は隠してください」

「見えないほうが、えっちなときあるもんねー」

 間延びした声のお陰か、力が緩まった。

 すかさずリュックをランさんの手から引き離す。

「帰ります」


 さっさと扉を開けて部屋から出た。

 バタンと少々乱暴にドアを閉める。


「えー、待ってよー。優しくするからー!」


 ドンドンという衝撃と共に必死な声がドアを隔てて聞こえてくる。

 背中で押さえるがまだ諦める様子はなくてドアノブをガチャガチャと動かす。

 この場面だけ見たら、完全にホラー映画のワンシーン。

 僕の気持ちはゾンビから逃げる人そのもの。

 このままじゃ埒が明かない。

 心の中でカウントダウンを始める。

 さん、に、いち。

 ぜろ。のタイミングで、思いっきり階段を駆け下りた。


「あー、ちょっと!」


 と後ろから声が聞こえるが振り返らずに前へと進む。点滅している青信号を渡り切ったところで振り返る。

 さすがに追ってきてはなかった。

 見事なまでに無収穫だったなあ。

 もうあそこに足を運ぶことはないだろうな、なんてこの時は思ってた。

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