第10話 「先輩は食いしん坊」


 翌日の昼休み、写真部の部室に来ていた。

 特別棟は人が少なくて、落ち着いて考え事をするのに最適な場所だ。


「うーん」


 昨日はようやく謎が解けるなんて希望を持ったけど、悪ノリが過ぎるお姉さんしかいなかった。判明したことは女性のヘソは魅力的ってことくらい。


「はあ」っとため息が漏れる。

「ありゃ、浅葱くんお疲れモード?」


 隣から声がした。


「うわ!」


 思わず声を出して驚く。

 いつの間にか深瀬先輩が座っていた。

 ドアが開く音がしなかった気もするが、単純に僕の意識がどこかに行ってたからかもしれない。


「えへへ、びっくりした?」


 そう言う深瀬先輩の手にはデジカメが握られている。一体いつ用意していたのやら。


「そりゃ目の前にいきなりいたら」

「ちゃんとお邪魔しますって言ったよ」

「聞こえてなかったです」

「何かあったの?」

「いや、ちょっと考え事をしてて」


 ランさんのヘソが忘れられませんなんて、口が裂けても言えない。

 仮に口にしようものなら、明日から僕が通う場所が学校から留置所に変わってしまう可能性が高い。いや、留置所なら帰宅も許されないか。

 まあ、今はそんなことどうだって良い。


「秘密です」

「私に言えないこと?」

「まぁ、そうですね」

「ふーん」


 深瀬先輩はじぃっと僕に疑いの目を向ける。

 はぐらかしたことに怒ってる?

 何を考えてるか全然分からない。助けてだれか、この気まずい場の乗り越え方を教えてくれ。

 深瀬先輩は、躊躇いながらも口を開いた。


「それって……え、えっちなことだったりする……?」


 僕と視線がぶつかると、細く白い指先で口元を覆い、真っ赤に染まった顔を伏せた。

 恥じらう時って、こんな顔するんだなーとぼんやり思った。

 だから先輩の言葉をすぐには否定できなかった。


「え? あ、いえ!」

「い、良いんだよ? その、浅葱くんも男の子だし……」

「違いますから!」


 いや、本当は違くないけれども。

 そりゃあ僕も男である以上、そういうことを考えないわけではない。でも女の子の前では邪念が漏れないようには気を付けているつもりだ。

 ていうか、そういうこと言う人だったのか。がっかりとかじゃなくて、むしろ……いや、やめておこう。

 恋してるから、先輩といずれそういうことを望んでいないかと聞かれたら首を横には触れないけれども。

 少なくとも今は不純な考えを彼女に向けてなんかない。


「ところで、先輩はどうしてここに?」

「一緒にお昼食べたくて」


 先輩は黄緑色の手提げカバンを持っていた。チャックが閉まっておらず、パンがパンパンに入っているのが見えた。


「……多くないですか?」

「沢山食べないと大きくなれないよ」

「もう十分大きいですし」

「君ならまだいけるって」

「もう横にしか大きくなれませんよ」


 残念ながら今年の身体測定で身長は数ミリしか伸びていなかった。まあ、インターネットの世界で人権がもらえるだけの高さがあるから十分ではあるけれど。これ以上、伸びる見込みはなさそうだ。


「そんなことないよ、人間いくつになっても成長し続けるものだよ」

「増量と成長を同じにしてはダメでしょうに……」

「細かいことは気にしないの」


 そう言って、カレーパンの封を開けて頬張り始める。

 ハムスターみたいで可愛いって思ったけれど、さすがに口に出すのはやめた。先輩相手にそれをいってしまったら不敬罪にあたる気がしたから。


「結構食べるんですね」


 先輩のカバンに入ってるパンは見える範囲でも四個はある。僕も買ったことはあるが、せいぜい三個くらいだ。


「購買初めて使ったからテンション上がっちゃって」

「へー、普段はお弁当持ってきてたんですか?」

「そうそう」


 何気ない会話の間にカレーパンを食べ終わり、次のメロンパンに手を付ける。

 コロッケパン、ベーコンエピ、チョコデニッシュを食べ終えたところで先輩の手が止まった。


「お腹いっぱい」

「むしろよく食べましたね」

「一ついる?」


 胡麻がのったアンパンを差し出してくる。


「食べることは出来ますけど、持ち帰ってもいいんじゃないですか?」

「晩ご飯も朝ご飯も、もう家にある」

「それなら、いただきます」


 かぶりつくとパンの香ばしさとあんこの甘さが口の中で絶妙に混ざり合う。久しぶりに食べたけど美味しい。口が大きい方の僕は、五口にも満たずに食べ終えてしまった。

 先輩のほうを見ると、使い捨ての透明タッパーに入った四角いパンを口に運ぼうとしている最中だった。


「お腹いっぱいじゃないんですか?」

「あと一個だけ食べる」

「見てよ、このプチハニートーストを!」


 小さいけど生クリームみたいなのが乗ってるし、一番お腹にたまりそうだ。


「そういうのも売ってるんですね」

「そう! オシャレだよね。食べるのもったいない」


 口ではそう言いつつも躊躇うことなく、あーんと大きな口でかぶりつく。

 こう見ると食べる量は多いけど、普通の女の子だなぁ。

 いや、露草のいうように普通の女の子なのかも。僕が理由を付けて夢と言いたいだけで。案外、青春に満ちた高校では当たり前にあることなのかも。

 食事シーンは初めてだから、まじまじと見てしまう。食事どころか知らない部分のほうがずっと多いんだけど。

 僕の視線に気が付いた先輩は口を閉じて、


「食べたい?」


 と差し出してくる。


「いえ、これ貰ったんで」


 いつものに加えパンを食べたから満腹だ。苦しくはないけど、午後の授業は眠気に襲われるだろう。


「大丈夫。君なら入るって、はい」


 小さな指でハニートーストをちぎる。そのまま僕の方に差し出してくる。

 こんなことをされては拒否出来ない。いや、してはいけないって内なる僕が言っている。


「ありがとうございます」


 受け取ろうと手を伸ばすと、先輩はひょいと引っ込めてしまう。


「先輩?」

「なぁに浅葱くん」

「くれるんですよね?」

「うん、だから」


 先輩は自分の口を開けて、トントンと指差す。

 マジか。

 彼女が何をしようとしているのか、おおよその見当がついた。

 も、もしかして「あーん」をする気か⁉

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