第8話 「だらけモノの見解」

「どういうことだ?」


 夢で出会った人は現実でも会ったことがある?

 僕と同じようなことで頭を悩ませている人は、実は沢山いたのだろうか。

 ハテナマークを浮かべる僕に、露草は説明を始める。


「知らない人は夢に出てこないんだ。実際に会ったことがある人か顔を見たことある人しか出てこないらしい」


 それは初耳だ。

 その逆だと考えれば、ありえなくもない?

 夢に出てきたから、現実にも来た。

 普通に考えたら馬鹿げた話ではあるが……


「解決したかい? ボクは理想に満ちた本の世界に浸っていたいのだが」

「いや、それが逆ってことはあるか?」

「逆?」

「そう、順序が違うんだ」

「順序? どういうことだ?」

「現実では一度もあったことがない時に夢には出てきた。その後、夢の中から飛び出してきた……みたいな?」


 何を言っているんだ? という訝しげな目を向けられる。

 それが下手くそすぎる言語化に対するものか、物語じみためちゃくちゃな僕の空論に対するものかは分からない。けれど、こればかりは露草の反応が全面的に正しい。

 でも、僕は信じてほしいって思った。

 だから全部話した。


 卒業式の出会い、すれ違うことも出来なかった今までの日々、唐突な夢での再会、翌日というタイミングの良すぎる待ち伏せ。 

 深瀬先輩に恋をしたということだけを伏せて、今まで起こったことを伝えた。

 聞き終えた露草は「はあ」と気が抜けたような声を出す。


「それは有り得ない、浅葱の幻想だ。今すぐ病院に駆け込んだ方が賢明だろう。と言いたいところだが……」


 露草は考え込むような素振りを見せる。まるで心当たりがあるかのように。


「浅葱は『胡蝶の夢』って知ってるかい?」

「ああ、あれだろ? 自分が蝶なのか人間なのか分からないってやつ」

「もう少し学のある返しが出来ないのか?」

「間違いじゃないだろ」

「まあ、その通りではあるのだがね」


 正確に言うと、中国の思想家・荘子が読んだ詩のことだ。

 荘子が昼寝をしていると蝶々になっていた。目を覚ますと人間だった。蝶々が荘子になった夢を見たのか、荘子が蝶々になった夢を見たのか。どちらなのかは分からない。

 確か、そういう内容だったはず。


「で、それがどうしたんだ?」

「それに近い現象じゃないだろうか」

「どういうことだ?」


 ようは夢の出来事か現実の出来事か曖昧なものであると認めている、と?


「深瀬藍は夢でも現実でもある。『胡蝶の夢』に当てはめるのなら深瀬藍は荘子で、浅葱は彼女の夢を覗き見してるようなものだ。だから同じ出来事を共有出来たんじゃないか?」


 不思議の国のアリスに出てくるチェシャ猫のような、哲学的で答えというのにはあまりにも不明瞭な言葉。

 彼女が口にするには、あまりにもファンタジーじみている内容だった。


「露草にしては随分と非現実的だな。読んでた本にでも影響されたのか?」

「そうか?」

「もっと、こう……白昼夢だとか、幻覚の一種だとか言われると思っていたから」


 まさか露草から、そんなメルヘンチックな答えが返ってくるとは、あまりにも想定外だ。だって同じ夢を見て、なおかつ共有しているなんて一体どんな確率をしてるのだろうか見当もつなかない。


「いやいや非現実的でもないんだな、これが」


 露草は自信に満ち足りた声で言う。

 そして次の瞬間、聞きなれない単語を口にするのだった。


「ユメオロジーってものがある。夢学ともいうんだが、主に夢の解釈とかコントロール方法を研究していてね。神経科学や心理学の観点からも研究されているのだがね」

「そんなのがあるんだな」

「ボクらが思ってるよりも夢の解明は進んでるんだよ」

「初耳だ」

「『現実を突き詰めれば、いつか夢に辿り着く』っていうのが夢学の見解らしくてね。夢を共有することも、忘れないでいることも、明晰夢を見ることだって出来るらしい。夢と現実が別物じゃなくなる日も、そう遠くないんじゃないか? すでに大分混ざっていると思うよ」


 知っていたか? と、ばかりに誇らしげに胸を張る。


「VR、仮想現実、メタバース……科学が発展しすぎて、仮想と現実が近くなりすぎた。そのうち、区別がつかなくなるだろうね。つまり夢と現実は対極にあるようで、実は隣り合っているんだよ。浅葱はどう思う?」

「どう思うって……」


 意見を求められるが、同意するほどの理解も否定するほどの理由もない。だってユメオロジーとか初めて聞く単語だし。

 それを察したのか、露草は補足するように口を開く。


「平たく言うと、夢って一番身近なパラレルワールドだってこと」

「ああ、そのほうが分かりやすくて良いな」

「世間一般で好意の反対は無関心だと言われるように、現実の反対が無である。ボクは、そう考えているよ」


 詩を紡ぐように、歌うように、そう言った。

 全てが理解出来るわけではないはずなのに「露草千草がそう主張したから」というだけで納得してしまうような説得力を感じた。


「一応言っておくとボクは専門家ってわけじゃないからな。紹介してほしかったら出来るけど」

「珍しいな、露草がそう言うの」

「ボクだって何でも知ってるわけじゃあないんだ」

「僕よりは遙かに賢いだろ?」


 勉強を見てもらったことは一度や二度では済まない。まあ中学時代の出来事だから時効ではあるけど、感謝の気持ちを忘れたわけではないのだ。


「浅葱がボクを褒めるだなんてどうしたんだ? 悪い夢でも見たのか?」

「今はそういう冗談やめてくれ」


 露草は満面の笑みで、本日二度目の「ふーん」を口にする。

 ああ、冗談を止める気はないんだな。


「そういう女は嫌いかね?」

「可愛げがあるなら好きだよ」


 自分のことには無頓着だけど、なんやかんや僕の成績を陰ながら支えてきてくれていたし、分からないからって馬鹿にすることは絶対になかった。

 もう少し、こう……恥じらいとか、慎ましさがあったらなぁ……


「それなら今度、可愛げについて学べる本を見繕ってくるとしよう」

「僕に好かれたいという遠回しなメッセージか?」

「受け取りたいように受け取ればいいさ」


 露草は、くくくっとからかうように笑った。


「というか、なんで夢だと思いたがってるんだ?」

「だから、夢でも出会ったからって……」

「直接会ったわけじゃないから詳しいことは何とも言えないが、実在する可能性のほうが高いじゃないか。学生証まで見たのだし、教師からも疑われてないのだろ? いちゃもんを付けたいようにしか思えないのだが」

「さっきも言ったけど出会い方も、再会の仕方も、あまりにも出来過ぎてたんだよ。あんなの現実味を帯びてなさすぎる」

「じゃあ初めから相手にしなきゃ良いだろ」


 実在しなかったら時間の無駄にならないか? と露草は言う。


 確かに、そうかもしれない。

 いない人のことで頭を悩ませているのかもしれない。

 でもさ。


「無視されたら寂しいじゃないか」


 僕の名前を呼んだことも、何気ない会話をしたことも、先輩の青春を薄めるって約束したことも、聞かなかったことには出来ない。

 知らんふりなんてしたくなかった。


「浅葱って、そういうとこあるよな」

「どういうとこ?」

「どんな相手も受け入れようとするところ」

「いちゃもん付けてるようにしか思えないとか言ってたのに?」

「拒否するなら初めから知ろうとなんてしないだろ」


 露草の言葉を聞いて、確かにと思う僕がいた。

 ストンと何か憑き物が落ちたような、わがたまりがとけたような、そんな感覚。妙に納得してしまう。さすが露草、相談して正解だった。


「それもそうだな」

「今度こそ、聞きたいことはなくなったかな?」

「ああ、助かった。ありがとう」

「礼なら菓子か面白い話の一つでも持ってきてほしいな」


 そういうところが可愛げがないって言うんだよ、と口を動かしたかったが我慢した。言ったところで事態が好転するわけじゃないから。

 消毒液の匂いがする保健室を後にして、僕は下駄箱に向かう。

 露草の言う通り、僕は理由を付けて行動したくないだけなのかもしれない。何も解決はしてないけど、気持ちは妙にスッキリしていた。


 駅まで歩いてバスに乗った。

 空いてる席に座った時、くしゃっという音が尻の下から聞こえた。

 腰を上げて座席を見ると、ぺしゃんこになったチラシのようなものがあった。ただでさえぐしゃぐしゃに丸めてあったのに僕の尻がプレスしたものだから可哀想なことになっている。

 せめて何が書いてあるのか確認してあげようと広げた。


「ん? なんだこれ」


『夢のお悩み ランちゃん』


 真ん中にデカデカと創英角ポップ体が並んでいた。

 無駄にカラフルで、いらすとやの画像を多用している。無理やり楽しそうのに見せているのが、かえってあやしい。

 下の方に地図やら電話番号やら載っているが、正直ツボでも買わされそうな胡散臭さが漂っている。


 それなのに僕は気になって仕方がなかった。

 だって『夢の相談』なんて、今の僕が最も求めてるものなんだから。

 チラシを手にし、出発する前のバスを降りていた。

 考えるよりも先に身体が動いていたのだ。

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