第7話 「保健室登校なあの子」

 深瀬先輩は三年一組。

 ありがたいことに、人間関係が気薄な僕でも一人だけ知り合いがいた。

 けど、まあ正直なとこ、この手の話題であまり頼りたくはない。というか、弱みを見せたくない。

 会いに行くという行為は中学生の頃から何年も続けているけど、からかわれるんだろうなぁ。

 でも、手段は選んでいられない。深瀬藍の正体を知るためならば、行くしかなるまい。


 人気のない特別棟の一階、保健室。

 ここにお目当ての人物がいるのだが……

 やっぱ、やだなぁ。ここ数年のネタにされるんだろうなぁ。

 ダメだダメだ、聞くって決めたじゃないか!

 息を吐いて、扉を開ける。消毒液の匂いが漏れ出てくる。

 ツンとした刺激臭を無視して、僕は彼女の名前を呼んだ。


「露草(つゆくさ)いるか?」


 しばらくすると一番奥にあるベッド、仕切り用カーテンの向こうから、


「いないよ」


 と声がした。


「いるじゃないか」


 保健室に足を踏み入れ、奥まで進み、カーテンを開ける。

 そこには、ベッドに横たわっている女の子がいた。あられもない姿で分厚い本を読んでいる。

 色素の薄い長い髪は白いシーツの上に広がっていて、ワイシャツの第二ボタンまで外しているから水色の下着が露わになっている。紺のハイソックスを脱ぎ散らかし、ハーフパンツを履いているとはいえスカートが捲れあがっていることを気にしないのは年頃の女の子としていかがなものか。

 華奢な身体の周りを囲うように本とお菓子が積み重なっていて、彼女を守る城壁のようにも見えた。『ヘンゼルとグレーテル』に出てくる悪いお菓子の魔女にも似ているかもしれない。


 本ばかり読んでいる保健室登校児、そして僕の中学時代からの知人。

 一応、僕の先輩という立ち位置にもなるのだが、なんというか『先輩』って感じがしない。

 湊や舞ちゃんとは、また違う種類の友人っていうのは一番しっくりくる。一緒に馬鹿やるってよりは軽口叩き合うようなマブダチだ、ある種の理解者でもあるだろう。

 露草千草(ちぐさ)は不満そうに身体を起こして、捲り上がったスカートを整える。


「乙女の聖域を覗くとは……浅葱には理性というものがないのか?」

「理性があるから呆れているんだ」


 コイツは昔から、といっても中学からしか知らないが、元々こういう奴だった。

 頭が良いダラケもの。

 昔はそう自称していた。まあ、憎たらしいが実際頭が良い。

 テストの点だけで見たら常にトップ。全て百点とまではいかないらしいが、それも手を抜いているからだとかいないとか……真実は露草のみぞ知る。

 ただまあ、生活力のなさといったら!

 一個上の先輩だとは到底思えない。というか信じたくない。

 よく食べ、よく眠る。子供のような生活リズムを高三になっても続けていて、授業をロクに受けないらしい。教師からして、こんなにも扱いづらい生徒はなかなかいないだろう。

 身体が弱く、よく眠る女の子。こんなだらしがない寝方を少しでも改善していたら眠り姫として丁重に扱っていた未来もあったかもしれない。


「ほら、シャツのボタンも閉めろ」

「ボクに会いに来る人なんて浅葱くらいなんだから気にしなくたっていいだろう」

「僕が気にする」


 そう言うと露草はにんまりと口角を上げ、


「ふーん」


 と声を漏らす。

 露草が僕に冗談を言う時の合図だ。


「注意するなんて意外だな。君はもっと我慢が聞かない人だと思っていた」

「恥じらいの大切さを分かっていない奴に覆いかぶさったって意味ないだろう」

「お? 警察のお世話になりたいのかな?」

「まさか、可愛い女の子なら大歓迎だけど」


 そこまで言うと、露草は口元を抑えて笑い出した。


「君からそういう冗談を聞くのは初めてだ」


 満足したのかワイシャツのボタンを閉じた。靴下は履きたくないのか白く細い足を紺のハイソックスで隠す気はなさそうだった。


「ボクになにか御用かな?」


 そうだ、今日ここに訪れたのは露草と軽口叩くためじゃない。明確な理由があるんだ。


「人を探してて」

「相談相手間違えてないか?」

「まあ聞いてくれ。深瀬藍って人、知ってるか?」

「初めて聞く名前だ」


 間髪入れずに、露草が言う。


「三年一組にいるらしい。露草も一組だろ?」

「遠回しな嫌味を言いたいのか?」

「なんでだ?」

「ボクが保健室登校をしていることは浅葱が一番知ってるだろ」

「顔を出したことくらいあるだろ」

「あるけど、クラスメイトの顔や名前なんて見てないよ」

「そうか」


 クラスにいるか分からないってことは、やはり僕が見ている夢幻の類なのだろうか。

 いやぁ、でもなぁ……どうだろう?

 露草が悪いわけじゃないが、これじゃあいないって決めつけるには曖昧過ぎる。


「女か?」


 露草は面白いものを見つけたとでも言いたげな、ニタァッとした笑みを浮かべる。あーあ、やっぱりこうなるのか。予想通り過ぎて面倒だとすら思わない。


「そうだけど、何で?」

「浅葱の浮いた話を聞いたことないから」

「はいはい、どうせ僕はモテませんよ」


 湊にも同じことを言われたな。そんなに女っ気ないかな、僕。いや、ないことは自分が一番自覚してるけどさ。

 湊みたいにイケメンでもないし、舞ちゃんみたいに告白されるなんて経験一度もない。

 まっさらさらな青春送ってきましたよーだ。


「誰もそこまで言ってないだろ」

「フォローどうも」

「分かりやすく不貞腐れるな」

「不貞腐れてはないよ」

「ほら、用が済んだなら帰った帰った」


 しっし、と虫を払うような仕草をされる。歓迎してほしいとは思わないが、もう少し人権という物を尊重した対応をしてほしい。

 それに同じクラスにいない可能性があるのなら、質問が一つ増えるのだ。


「待て待て、まだ聞きたいことはあるんだ」

「なんだい?」

「露草ってよく寝るだろ?」

「まぁ、十四時間くらいは」

「ハムスターかよ」

「そんなコメントを言うために聞いたのか?」


 露草は露骨に怪訝そうな顔をする。


「いや違う」

「じゃあ、なんだ?」

「露草って、寝るときに夢は見るか?」

「まぁ、見るけれども……回りくどいのは嫌いだから、さっさと結論から話してもらえないだろうか」


 ああ、そうだ。露草ってこういうやつだった。

 遠慮という言葉を知らないところ。

 昔から、それこそ初めて会った中学時代から何も変わってない。だからこそ、ある意味の自然体というか……取り繕うとしなくていいから楽ではある。


「深瀬先輩に夢と現実の両方で会ったんだ。しかも、先輩は僕が見た夢を知っていた」


 現実で再会を果たした時、確かに深瀬先輩は言ったんだ。

また明日って言ったじゃん、って。

 さも当然のように。困惑している僕のほうがおかしいみたいに。


「だから露草も、そういう経験ないかなって」

「そりゃあ、もちろんあるさ。夢と現実の両方で会うことなら」


 露草はあっさりと頷いた。

 もっとゲラゲラ笑って僕を馬鹿にしてくると思ったが……彼女を囲う本の中に捻くれた心を真っ直ぐにするような素晴らしいものでもあったのだろうか?

 そんな想像をしていたら、斜め上の回答が飛び出てきた。


「だって夢に出てくる人は現実で会ったことのある人物だからね」

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