本編 第2章 「危ない誘いにご用心」

第6話 「どうやら現実らしい」

 次の日の放課後になっても、僕の頭はこんがらがったまま。


 昨日の深瀬先輩は何だったんだ。

 それだけで埋め尽くされていた。

 僕が気付いていないだけで、実は夢を見ていた?

 いや、それはない。頬を叩いたら痛かったし、深瀬先輩の匂いも感じた。あんなリアリティに溢れた夢は一度も見たことがない。

 そうなると、深瀬先輩は実在する? 僕の見た夢じゃない?

 じゃあ、一昨日に見た夢はなんだ?


「お、今日はへこんでないな」

「あ、ああ……まあな」


 正直へこむことが出来るだけの脳の容量がない。

 現実と夢の混在に、僕の頭は処理落ち寸前だった。


「なんだその煮え切らない返事は」

「えー、あー……湊が教室まで来るのが珍しいなって」

「わたしもいるのですよ」


 舞ちゃんがひょっこりと顔を出す。すぐに気が付かなかったことが不満なようで、頬を小さく膨らませている。


「舞ちゃんまで、どうしたの?」

「昨日の様子が変だったから、お兄ちゃんと一緒に様子を見に来たのです」

「心配ありがとう」

「気にしなくていいのですよ。それより何かあったのですか?」


 トレードマークのポニーテールを揺らしながら舞ちゃんが聞いてくる。


「ちょっと二人に聞きたいんだけどさ、正夢とか見たことある?」

「正夢?」

「夢で見たことが本当になるやつですよね?」

「そうそう」

「いや、ないな。俺ほとんど夢見ないしなあ」

 湊は即答だった。

「そっか、舞ちゃんは?」


 そう尋ねるも、舞ちゃんは首を横に振った。


「わたしも夢を見ないのです。見ることもあるのですが、内容は覚えていないのです」

「そっか」

「あ、でもビクッて飛び起きることはあるな」


 湊は思い出したように言った。


「高いところから落ちる夢とか見るとそうなるのです」

「あー、僕もあるかも」


 非現実だって分かってても冷や汗かいてた、なんてこともあった。


「そんなこと聞くって変な夢でも見たのか?」

「ま、とんなとこかな」


 変な夢どころか、摩訶不思議な現実だ。

 そこを伝えてもいいけど、また夢精だなんだと騒がれたら風評被害がたまったもんじゃない。それにあんなに魅力的な人を教えたくないって気持ちもわずかながらにあった。


「じゃあさ、夢で出会った理想の人が現実に現れたらどう思う?」

「幻覚見てると思う」


 正夢のときよりも素早い回答だった。

 反対に舞ちゃんは熟考してた。左右に揺れるポニーテールがメトロノームみたいだった。


「『現実で会ってるっていう夢を見てる』とかはありえそうなのです」

「頭がこんがらがりそうだな」


 湊がわざとらしく頭を抱える。


「ようは全部が夢ってことだよね」


 卒業式に出会ったのも。

 夢の中で一カ月ぶりの再会をしたのも。

 昨日の帰りに待ち伏せされたことも。

 僕はずっと夢の中に囚われていて、ありもしない悩みに頭を悩ませている。

 舞ちゃんの考察は、僕にそう言っているのと同じだった。


「いや、一概にそうとも言えないだろ」

「お兄ちゃんがわたしの意見を否定するなんて珍しいのです」

「だって俺の理想の妹、舞奈は存在するからな!」


 決め台詞のように声高らかに宣言する。

 顔の良さが霞むくらいのシスコン。残念なイケメンという言葉がお似合いだ。


「一瞬でもマトモなことを言うと信じたわたしが馬鹿だったのです」

「俺はマトモなことしか言ってないぞ」

「お兄ちゃんウザいのです、キモいのです。抱き着こうとしないでほしいのです」


 舞ちゃんはリュックサックを盾にして、グイグイと湊に押し付ける。


「お兄ちゃん、ステイなのです」


 舞ちゃんがそう言うと、湊がピタリと抱き着こうとするのをやめた。


「犬のしつけみたいだな」

「誰が犬だ」

「違うのなら節度ある行動を心がけてほしいのです」


 舞ちゃんは小さくため息をついていた。


「どうします、せっかくだし一緒に帰りますか?」

「そうしたいけど掃除当番なんだよ」

「待ってようか?」


 人間の心を取り戻した湊が提案してくれるが、


「いや、大丈夫だよ」


 と、断る。


「そうかあ、じゃあお言葉に甘えて帰るか」

「透くん、お掃除頑張るのですよ」

「ああ、じゃあね」


 二人を見送ってから廊下にある掃除ロッカーを漁って箒を一つ取り出した。

 幻覚とか催眠術とか、まあそう思うよなぁ。

 教室の床を掃きながら、そんなことを考える。

 先輩と会う夢を見た次の日に再会するなんて、あまりにも出来過ぎている。信じる者は救われるなんて言葉を真に受けるほど、僕は馬鹿ではない。



「やっほ、お疲れ」


 深瀬先輩は小さく手を上げていた。

 今までのことが嘘のように気軽に会えた。さすがに拍子抜けだよ。


「お疲れ様です」

「掃除当番? 大変だねぇ」

「いえ、別に」


 あなたのことを考えるほうが大変です。


「どうしたの? 何か反応薄くない?」

「そうですか?」

「うん。卒業式の浅葱くんは、もっとノリが良かったもん」


 だってあの時は、まだ何も起こってなかったんだから。ちょっと不思議だったなぁ、くらいで片づけられる範囲だったんだから。


「悩みとかあったら聞くよ?」


 悩みの種である本人に話すべきなのか?

 湊も舞ちゃんの魅力を舞ちゃんの前で話してるし良いか。


「深瀬先輩」

「なぁに、浅葱くん?」

「先輩は何者ですか?」

「深瀬藍だよ」


 先輩は、さも当然とばかりに答えた。


「それは昨日も聞きました」

「藍色の青春を過ごした深瀬だよ」

「それは卒業式の日に聞きました」

「そうだね」


 えへへ、と笑う。


「僕は先輩に聞きたいことが沢山あるんですよ」

「なんでも答えるよ! あ、スリーサイズはやめてね」

「今はそれより知りたいことがあります」

「今はって、いずれは聞くつもり?」

「教えてくれるのなら」

「浅葱くんて意外と積極的だね」

「真面目な質問していいですか」


 こんなやりとりを続けていたいという欲求をぐっと飲みこんだ。


「私は真面目に答えてるよ」

「じゃあ聞きますけど、先輩は何なんですか? 消えたと思ったら会って。夢にも出てきて。偶然というには、あまりにも出来過ぎてませんか?」

「新学期早々に体調崩しちゃったんだよ」

「夢に出てきた理由は?」

「夢? 浅葱くんが私に会いたかったから無意識に見ちゃったとか?」

「はぐらかさないでください」


 図星だった。確かに僕は、先輩に会う夢を見た。


「いやぁ、だってあまりにもおかしなこと聞くから」

「おかしいのは先輩の存在ですよ」

「そう?」

「僕は先輩があやしくて仕方ありません」

「分かった分かった。そこまで言うのなら証明してあげよう」

「先生~、さよなら~」


 通りがかりの教師に声をかける。


「おー、気を付けて帰るんだぞ」


 と返事が返ってきた。

 ちらりとこちらを見るも、深瀬先輩に対して何も言わない。


「今、現国の高橋先生から返事がきたよ、私に怪しむ様子もなく。これじゃだめ?」

「出来れば、もう少ししっかりしたものがほしいです」

「えぇ、具体的にどういうのを求めてるの?」


 そう言われると難しい。


「えっと、身分証的なものを見せてもらうとか」

「生徒手帳でいい?」


 差し出したのは二つ折りの生徒手帳。僕が持っているものと同じ柳沢高校のものだ。


〈三年一組 二十四番 深瀬藍〉


 ご丁寧に所属クラスまで記載されてる。


「これで満足かな?」


 校長のハンコだとか、学年部分を上からシールで貼った跡もある。手帳自体も少しくたびれてるし、数年使ったって見て分かる。

 こんな手間がかかるものをわざわざ偽装すると思えない。たとえ夢だったとしてもだ。

 こればかりは、信じざるを得ないと思った。


 深瀬藍が現実にいるって。

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