第5話 「二度目の再会」
「鍵返してくる」
湊と舞ちゃんを見送って、二人と逆方向へと進んで行く。
指先で部室の鍵をくるくると回しながら、職員室に向かった。さっさと返却して人気のない下駄箱へと歩いていく。
踵が潰れかけたローファーに足を突っ込んで昇降口を出ると、顔だけ見たことある女子生徒が少し離れたところに立っていた。すぐに男子生徒がやってきて嬉しそうに並んで歩いていく。小突きあったりしていることから、二人が親密であると見てとれた。
「いいなぁ」
絵にかいたような青春を見て、思わず声が漏れる。
いくら夢で出会えたとはいえ、現実が羨ましくないというわけではない。むしろ夢に出てきたから、現実にいないと知ってしまったからこそ彼女の存在が神格化されつつあった。
深瀬先輩が現実にいたら、どれだけ楽しいだろうか。
深瀬先輩と一緒に帰れたら。
そんな、もしもを夢想する。
いけないいけない、今朝の夢を引きずりすぎている。さすがに夢と現実の違いくらい分かっていないと危ない。
邪念を必死に振り払い、家路につく。
カラスの声に耳を傾けながら、夕暮れ色に照らされたアスファルトに右足を乗せた。
いつものように。なんとげなしに。
ちょっと寄り道でもして帰ろうかな、なんて考えながら。
「お疲れ、今帰り?」
透き通った声が、僕の耳に届いた。
その瞬間、僕の時間が止まった。
「お~い、聞こえてる?」
嫌というほど聞こえてた。耳どころか脳に直接届いている。
忘れられない声だった。いや、忘れたくない声だった。
今朝の夢とは比べ物にならないくらいのリアリティ。
この瞬間に付けていた目隠しと耳栓をとった時のような、全てがクリアな感覚。
僕はゆっくりと声のほうに目を向ける。
その顔を見たことがあった。声を聞いたことがあった。けれども、その人は現実では会えないはずだった。
まるで卒業式の再来だった。僕の夢が現実に現れたかのように。
肩にかからないくらいの黒髪、ガラス玉のように透き通った亜麻色の瞳、薄い桃色の唇、きっちりと着こなされた紺のブレザー、チェック柄のスカートから伸びた白く細い足。
それは、紛れもなく深瀬藍だった。
僕が会いたくて堪らなかった女の子だった。
「……深瀬先輩?」
「うん、深瀬だよ」
深瀬藍が、校門の外に立っていた。
なんでここにいるんだ?
サラサラの黒髪を揺らしながら、僕の顔を覗いてくる。
柔らかい石鹸の香りがやけに甘く感じて、頭がくらくらする。普段嗅がない匂いに、思考力が削ぎ落されていく。
理屈とか思考とか全部放棄されて、体の全てが、これは現実だと感じている。
「昨日ぶり、だね」
信じられない。
頬を思いっきりつねる。うん、痛い。
深瀬先輩の姿は消えない。
今度は思いっきり叩く。バチンという音が頭の中まで響く。
やっぱり、深瀬先輩の姿は消えない。
昨日と違って両頬が痛くて仕方がないのに、夢が覚める気配が一切ない。
どういうことだ?
「大丈夫? 浅葱くん」
いきなり自分をいたぶる僕を心配そうにのぞき込む。可愛いなぁなんて思う余裕なんか僕にはなかった。
頭が考えることを放棄する。
僕の瞳が、彼女を見ることを許してくれない。
昨日の夢では対面で会話したというのに、現実では一秒も目を合わせられない。
「ど、どうしてここに?」
かろうじて振り絞った声は、ひどく震えていた。
「え? だって『また明日』って言ったじゃん」
おかしなことを言うなぁ、と先輩は笑った。
確かに深瀬先輩は、そう言った。
確かに僕は、そう聞いた。
でも、それは……
「それは、夢の話で。本当の深瀬先輩は……」
「本当の私が、どうしたの?」
深瀬先輩は、小さく首を傾げる。
どうしたの? って、どうもしない。
いや、どうにかしすぎて……?
目が見られない。口が動かせない。
散々会いたいなんて願っておきながら、いざ目の前にしたら頭の中が真っ白になっている。
「ほら、深瀬だよ? もっと待ち望んでいた~って感じになるのを期待してたんだけど」
そりゃあ、望んでいたよ。
でも、どんな顔をすればいいか分からない。
今まで我慢していた分の思いが、頭の中で洪水のように溢れ出す。勢いがありすぎて言葉にする隙なんてない。
この時、僕は気が付いた。
深瀬藍に会いたい理由。
心臓がやけに暴れている理由。
僕はこの人に、恋をしてしまったんだって。
十六年生きて初めて自覚した。
何か言わなきゃって思うほどに、口が動いてくれなくて。
必死になって、ようやく出てきた言葉は、
「あなたは、何者ですか?」
だった。
「初めまして、深瀬藍です~なんちゃって」
深瀬藍がおどけて笑う。
「えへへ、会ったことあるのに自己紹介って不思議だね」
対照的に僕の顔は引きつって、一ミリも笑えなくて。
切望していた再会としては、最悪の形であっただろう。
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