第4話 「さみしい朝」
目が覚めると朝だった。
見慣れた天井、見慣れた机、見慣れた時計、見慣れた本棚……挙げだしたらキリがない、見慣れたものだらけの僕の部屋。
起き上がると見慣れたパジャマ姿で、見慣れたベッドに寝転がっていた。
ああ、やっぱり夢だったか。
うんうん、知ってたよ。
分かってた分かってた。
「はぁ~」
嫌というほど分かっていたよ。
おはよう太陽。今日ほどお前が憎たらしいと思うことはないぞ。
「普通に考えて、ないよなぁ」
夢はあくまで夢であって、現実じゃあない。
久々に会えて嬉しかったけど、卒業式の一件は僕が見た夢だということが確定してしまったのだ。
複雑な気分で階段を下りると、玄関にはスーツ姿の母がいた。
「おはよう、母さん」
「出張行くから」
挨拶を返すこともなく、僕の顔を見ることもせず、大きなキャリーケースを持って出て行った。
まともな返事をしないことも、僕の顔を見ないことも、仕事優先で家に殆どいないことも、全部当たり前のことだ。
小さい頃は寂しいとか思ったけど、高校生になった今は何ともない。
数週間ぶりに見た母よりも、昨夜の深瀬先輩のことが気がかりで仕方がない。
顔を洗う時も、制服を着るときも、トーストを齧るときも、夢の言葉が頭のなかで反芻した。
会いに行くから、なんて言われても所詮は夢の出来事だ。
絶対にありえない「また明日」は思い出すほどに残酷な味がした。イチゴジャムの甘さなんか簡単にかき消すほどに。
幸せな夢ほど苦しいものはない。
甘い夢ほど苦い現実はない。
僕が自伝とか名言集を出す機会があれば、間違いなく、この二つを入れる。
そんなくだらないことを考えていたら、授業で三回も当てられた。もちろん答えられなかった。話を聞けと教師に注意された。
気が付くと放課後で、夢と同じように渡り廊下を歩いたけれど、やっぱり深瀬先輩に会うことはなかった。
僕に「また明日」は来なかった。
知っていたとはいえ、やっぱりショックだった。
もう散々な日だ。早退しなかっただけ褒めてほしい。
今日の僕の気分はマリッジブルー……
ゾンビになったような気分で写真部の部室に辿り着いた。舞ちゃんに軽く挨拶をして、リュックを床に放り投げる。
中央に置かれた椅子に座って、机に突っ伏した。
「よ、透。今日も随分と景気の良い顔してんじゃねえか」
透の声が上から降り注いだ。
「そうだろ?」
僕は顔を上げずに答えた。
「皮肉だぜ?」
「知ってるよ」
「で、何かあったのか?」
「いや、ちょっと夢でな……」
「告白受けたら、男が殴り込んできた夢でも見たか?」
「……それは湊の実体験だろ」
殴り込みに行ったほうが湊だけど。
「まあ、そうともいうな。で? どしたん?」
「深瀬先輩が夢に出てきた」
「深瀬先輩?」
「昨日、探してるって言った人」
「ああ。それは良かったな」
「いや、良くない」
「なんでだ?」
「やけにリアルだった」
夢と現実を混同させそうで怖かった、とは言えなかった。
結局起こらなかったから杞憂ではあったけれど。
「ああ、なるほど」
湊が何かを察したような声をあげ、僕の肩にポンと手を乗せる。
「透、俺だって男だ。お前の言いたいことだって分かる」
「本当か?」
僕が上手に言葉に出来てないってのに、理解してくれたような言動が嬉しくて、思わず顔をあげた。
さすが親友。僕が皆まで言わなくても、伝わってるんだな。
うんうん、僕は良い友人に恵まれた。
「パンツの処理ってめんどくさいよな」
「は?」
「洗濯機にぶち込むのも忍びないし、手洗いするのも罪悪感というか……虚しさがあるよな」
「何の話?」
パンツ?
僕がいつ洗濯物の話をした?
頭の中がクエスチョンマークまみれになっている僕を気にせず、湊は口を動かすことをやめない。
「大丈夫だ、なんら恥ずかしいことじゃあない。男なら起こり得る生理現象だからな」
僕の肩に手を置いてあった手を、慰めるようにポンポンと何回も軽く叩く。悟りを開いたような目を僕に向ける。
なんだ、その目。
パンツの処理、虚しさ、男なら起こり得る生理現象……
あ、え? そういう解釈されたのか!?
「おいおいおいおい待て待て待て待て、一旦、落ち着け。僕が何をしたと思ってるんだ?」
とんでもない勘違いをされていることに、気が付いた。
「ばっっっ! ……お前さあ、こんな真っ昼間から言わせんなよ。そんなんさあ、何ってナニだろ?」
俺は分かってから、みたいな顔が最高に腹立つ。
「ふっざけんな! お前と一緒にすんな! シスコン野郎が‼」
「うるせえ! 夢せⅰ……」
バンッ!
なにかが叩きつけられたような大きな音が部室に響いた。
その音は興奮状態だった僕たちを現実に引き戻すには十分なものだった。
音の発生源に目を向けると、椅子に座った舞ちゃんと机の上にある分厚いアルバム……色的に湊のものだろう。それらを見るだけで何をしたのか想像に難くない。
舞ちゃんはニッコリと効果音が付きそうな笑顔を僕らに向けて、
「お兄ちゃん、透くん。お下品な話やめてもらっていいですか?」
そう言い放った。
液体窒素よりも冷たい声で。
「「は~い……すみませんでした」」
これ以上続けていたら、あの破裂音が自分の身体から聞こえることになるだろう。身の危険を感じた僕らは、ぴったり合わさった謝罪をした。
結局、今日は一言も冗談を口にすることなく部活終了のチャイムが鳴った。
何の進展もなく、ただ誤解されただけで。
この時の僕は、そう思っていた。
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