練兵に倣う灰滅-13-

 そうしてティムさんの実践訓練を毎日繰り返し、時折ルカさんの座学で新しい知識を取り入れながら目紛るしい成長を遂げて二十日が経過した頃、僕の身の熟しは初期と比べれば極めて熟達したものへと変貌していた。シャトルランの247段階目も無事達成。最高難易度に設定した大怪我不可避の模擬訓練シミュレーションにおいては、痛手を負うこともなく、立ちはだかる立体映像ホログラム相手に100人斬りも完遂していた。

 それでも未だにティムさんとの鬼事で勝利を掴み取ることはできなかったけれど。


「これなら実戦に出ても大丈夫ですかね!?」


 肩で息をしながらも訓練の結果に手応えを感じていた僕は、息巻いてティムさんとルカさんに尋ねる。二人は首を縦には振らなかったが、「ここまで急成長したハチにスペシャルプレゼントだ」とティムさんが重々しく告げる。その表情はプレゼントという割には真剣な面持ちで、嬉しいお知らせのはずなのにどこか他所他所よそよそしい雰囲気を醸す。正直プレゼントなのだから満面の笑みで渡してもらえないのかと小さな疑問が芽生える中。不吉なプレゼントの予感に嫌な汗を流しながらも、何が起きるのかをじっと待った。そして、結果的には長らく座学と実践の現場監督が如くずっと見学を決め込んでいたレンさんがふと腰を上げたのだった。


「今日から第二部隊との合同任務の決行日までの間、俺が鬼役の鬼事をしてもらう。何、ティムと鬼事をしてきたから実力は付いてるはずだ。今回はその延長線と思えばいい。もちろんその現場フィールドには最高難度の立体映像ホログラムも用意した上で、お前はホロを倒しながら俺から逃げ回ると言うのがルールとなる。そこらに蔓延るホロ達がお前に害を為そうとすることは今まで通りだが、そこに対人戦として俺がお前を殺しに行く勢いで鬼事に加わることで、お前の瞬発力と咄嗟の判断力、そして潜在能力を引き出す。これがお前を任務地に連れていくにあたっての、最後の試練だ」


 K-9sケーナインズ隊長直々の手解きとは光栄の至りなのであろうが、今この人は「殺す気で・・・・」と言ったよな? と過剰な不安が過る。何てったって僕はこの男に一度半殺しにされている訳だ。確かに彼と会った当初は抵抗の術すら持たない赤子同然だったのが事実。それでも、今はルカさんとティムさんの教育により戦略を立て、襲い来る侵蝕者イローダー達を上手く往なす水準までは成長した。対人戦の戦術と技術も経験値を積んでいる。とは言え、レンさんが鬼役となると彼に及ぶほどの精度がないのが真実。それを痛いほどに理解しているからこそ、何か彼の予期せぬ目論見で上手く逃げ切る戦略を模索しなければならない。


 未だ模擬戦闘訓練室シミュレーションルームに佇む僕とティムさん。ティムさんはレンさんの言葉を聞くや否や、彼と場所を立ち替えた。あの時と違うのは、レンさんは何も装備していないということ。拳銃も血晶刃ブロッジでさえもぶら下げていない、正真正銘の素手。そんな丸腰で僕を捕えようとしているのだ。大した自信だ――なんて思わない。彼と僕の力量差はまだまだ大きくて深い溝のように遠く及ばない。一瞬で背後に回り込んで羽交い締めにされる未来など、容易く想像できるくらいには。


 彼はポケットに手を突っ込んだ。たったそれだけの動作にも拘らず若干身構えるのは、きっと気後れしているからだろう。攻撃や陽動の類でも噛ましてくるのかと思いきや、そこから出てきたのはただの一枚の銅貨。


「このコインを投げて床に落ちたら手合わせの始まり、いいな?」


 コクリと頷くと、レンさんの手に収まっていたコインがピンと弾かれた。

 ベンチに座ったルカさんとティムさんに一瞬目を遣れば、真っ直ぐ逸らすことなくこちらを見ている。「己が学んできたことを全て活用して生き残れ」と、暗に伝えているように思えたが、内心「こんな歴戦の猛者相手に無茶なことを」と苦々しく笑わざるを得ない。

 コインが落ちる。キンと高い金属音が室内に鳴り響いたと瞬きした矢先、レンさんの姿は既にそこにはなかった。刹那の出来事。焦燥感に駆られながらも、「彼はどこへ行った?」と四方八方に視線を巡らせる。相場として、上方・下方・後方から攻め込むというのが因習だと戦術学の一つとして学んでいるため、そこを重点的に細心の注意を払うが、しかしレンさんの姿はどこにもない。完全に視界から外れてしまった――開戦序盤からの失策。だが後悔などしている暇はない。残影や足音、人の匂い、そして触れられた一瞬の掠る感覚などをフルに運用して、捕獲者から身を躱していかなければならないのだ。


 深く考えている暇はない。何せ周囲には際限なく襲い来る侵蝕者イローダーの姿をしたホロが蔓延っているのだ。彼らの止まない攻撃の手を躱しながら、冷静にレンさんの動きを分析し、発見することなど適わない。


 すると、辺り周辺からランダムに足音が響き渡った。軍靴が鳴らす音は、こちらに居場所を特定させないように前後左右から反響する。恐らくは足音を殺した歩行と、態と音を立てた歩行を不規則に織り交ぜているのだろう。それも、僕の視野が捉えることが難しいほどの高速移動を為しながらの技巧である。こんな技法を駆使してくるとは予想外であったが、いつ強襲されるかも分からない状況下で小難しいことを考えても一切無駄であろうことは何となく想像できた。


「訓練開始二十日目の初心者相手との鬼事でマルカート歩行で混乱を誘うだなんて、隊長も意地の悪い。完全にハチは動揺してしまっている。ここからの攻撃なんて予測が付かない状態でしょうに」


「俺達でさえ隊長との試合でマルカート歩行を使われちゃ、その位置特定にはかなり感覚を研ぎ澄ませなきゃならんってのに、初心者がどうこれを切り抜けるっていうんだ。隊長は本当にハチを育てる気があるのか?」


 これまでの実践訓練は、『考えて動く』ことで困難な状況を切り抜けられていた。戦況を把握して侵蝕者イローダーを倒し、戦略を駆使してティムさんを捕えんとする。まあ結果としてティムさんを捕える段階までは至らなかった訳だが。それに比べて、今はどうだ。座学で履修した基本的戦術しか知らない僕の考えが通用するような単純な相手ではなく、天地の差があるほどの上手を前に逃げ切らなければならない、所謂いわゆる強敵を前にした逃走技術の習得である。これは考えて動くことに重きをおいても仕方がない。つまり、彼が最初に言っていた通り瞬発力と咄嗟の判断力、潜在能力を試されているということなのだと、一つの確証に至る。

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