練兵に倣う灰滅-2-

「はいではハチ君こんにちは。俺が桐生きりゅう閣下のご紹介に預かったテオフィル・クンツロール少佐。まあ気軽に愛嬌込めてテオと読んでくれて構わないよ。俺の方はハッチと呼ばせてもらうしね」


「宜しくお願いします、と言いたいところ大変恐縮なのですが、まず先に貴方の年齢を伺いたい。僕の見立て上大体25歳くらいと推察しますが、研修医でなく本物の実践を積んだ医師なんでしょうか」


「ああ、そういうこと。一応これでも随分若い頃から勉学に励んでいてね。臨床現場で学んだ範囲は多岐に渡る。内科・心療内科・呼吸器科・呼吸器内科・呼吸器外科・消化器科・胃腸科・循環器科・精神科・精神神経科・神経科・神経内科・糖尿病代謝内科・腎臓内科・アレルギー科・リウマチ科・整形外科・形成外科・外科・小児科・小児外科・心臓血管外科・脳神経内科・脳神経外科・産婦人科・産科・婦人科・乳腺外科・泌尿器科・肛門科・性病科・眼科・耳鼻咽喉科・皮膚科・美容外科・リハビリテーション科・放射線科・麻酔科・ペインクリニック内科・救急科……っと。ざっとこんなもんかな。歯科・薬学にもそれなりに精通しているつもりだけど、……どう? この俺に治療される点に何かご不満でもおありかな?」


 医師とは各種専門分野に特化するため同時に多科目見ることは得手ではないはず。付け焼刃程度の少し齧った知識なら持っていてもおかしくないが、この眼鏡をかけた男は多科目を網羅していると指折り豪語した。その自負心にふとした疑問が生じると同時、若い頃から勉学に励んできたというのがどうにも引っかかる。彼の言う全ての分野を学び切るのに、一体幾つから医療に身を捧げたというのか。恐らく歳が二桁も行かないうちから医療の英才的教育を受けてきたのだろうと推測するが、大人ですら理解するまでに時間を要する内容を年端も行かない子供が修得し得るものなのか? と非現実的な推測に対して懐疑的にならざるを得ない。


 しかしテオさんに限らずレンさんの軍事や医療に特化した書庫を思い返せば、彼もまた勉学からそれらの系統をマスターしているだろうことは想像に難くない。それらの観点から、もしや第一級接触禁忌種という生命体は、人間よりも遥か優秀な頭脳を持った種族なのではないかと一つの終着点に到達する。人の一生涯で学び切れる知識量じゃないものですら、容易く習得してしまうほどに。


「一体どういうエリート教育を受けてきたんですか、貴方達・・・


「あらやだ。他人の生活環境を聞くだなんて無粋よ、坊や」


 眼鏡の男はウインクをかます。冗談交じりの追求は軽く往なされ、巧妙な肩透かしを食らう。綺麗に誤魔化されたなと苦笑いしつつも、これ以上不躾に探りを入れるのは辞めておいた。「それにしても野郎の治療を無償でやれ、だなんて閣下も人遣いが悪い。本来なら法外な値段を請求させてもらうレベルだよ?」と大層物憂げに溜め息を吐くテオさんに、「お前の問題云々は関係ない。大至急こいつを治療して、最低限の訓練に差し支えない水準まで傷を修復させろ。お前の腕ならできなくはないだろ」と無理矢理話を通そうとするレンさん。まるで慈悲がないのはこの人の通常運転なのであろう。そう勘付いたのは、自身の経験則に基づくものかもしれない。


「できないことはないけどさ。……何、訓練って?」


 テオさんの率直な質問を受けて、僕達二人は一瞬絶句し狼狽する。傍から見れば、分かりやすいほどの動揺。隠しきれないそれが浮き彫りになるが、果たしてテオさんに嗅ぎ付けられてしまっただろうかと、焦燥に駆られる。抑々そもそも僕という人物が、保護対象者兼戦闘員として第一部隊内に迎え入れられていることは、他のK-9sケーナインズの部隊員の何人にも露見してはいけない、というのが盟約の条件だったはず。しかし、彼は桐生きりゅう氏と交わした約束などすっかり失念していたのだろう。ただの保護対象者が訓練を要する状況など不可解に思われて当然。

「何してんだ、この人」という半ば呆れの境地に達していた僕は、彼に助け舟を出すでもなく、他人事のように静かに傍観していた。最も、レンさん本人も大会で浮木に出会うなんて奇跡を必要としていなかったであろうが。完全に拙ったレンさんを僕が思わず倦厭する中で、彼は既に堂々とした態度で佇んでいた。あまりの厚顔っぷりに思わず苦笑するが、大方この場を切り抜ける策でも見出したのだろうと、彼が示した態度の根拠に辿り着く。


「あー。次の任務の通過点が結構な危険地帯でな。護衛の俺達が付いているとはいえ多少なりとも自衛の手段を覚えておいてもらうのが得策と考えた訳だ。まあ、見ての通りこいつヒョロガリだしな。男なら体を鍛えて当然ってのもある。これをきっかけに筋肉修行でもしてもらうつもりだ」


 何が筋肉修行だ巫山戯るな。大体男だから体を鍛えて当然という思考が古いのだ、今やジェンダーレスの時代だぞ。そしてそれとなしにヒョロガリと悪口を言われたのを忘れない。ついさっきまで寝たきりだったとは思えないほど、筋肉量は至って標準的なはずだ。軍人の基準でヒョロガリと言われるなら心外にもほどがある。

 一人で勝手に窮地に陥った男が弁明する様を静観していれば、とんだとばっちりを食らったものだ。こんな間抜けな言い訳が罷り通るとは思えないが、僕は反論したい気持ちを抑えながらテオさんの反応を待った。


「ふーん。まあ自己防衛力がある保護対象者ほど護衛しやすい奴らはいないもんね。しっかし危険地に足を踏み入れるって侵蝕者イローダーの巣窟にでも潜入するっての?」


「ん、まあそんなところだ」


 何故こんな適当な強弁が通用したのか甚だ不明であるが、窮地を乗り切って涼しい顔をしている男は、己自身が拙ったとも考えてはいないのだろう。筋肉修行と抜かしだした暁には、「何言ってんの、ハルちゃん?」などと鋭く突っ込まれても不思議ではなかったが、相手が安直だったから何とか上手く切り抜けられていた。テオさんが医療に精通している割に、存外能天気頭でよかったと、内心ほっとする。見縊みくびられた己の評価に納得いかない歯痒さは、胸に封じ込めて。

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