再会と戦闘

 私と桜子さんは、必死になって要石を探す。

 普段であったら気配ですぐわかるし、鼻の利くうらら先生からもすぐ連絡が入るというのに、今日に限ってはすぐは見つからない。

 ぐるっと楕円形に広がっている衣更野原公園総合運動場の外部の植え込みには確認できない以上、もう中に入るしかないだろう。出入り口はぴっちりと閉じられてはいるものの、屋根がないから外壁から高く跳べば入れる……理論上は。

 こういうとき、うらら先生だったら人気を見計らって神通力で空を飛ぶだろうけれど、私にはあいにくそんな力はない。私はどうにか一番高い木を見繕うと、その木に手をかける。それを見て、あからさまに桜子さんが顔を引きつらせた。


「まさかと思いますけど……跳ぶ気ですか?」

「中に入れないですし、それが一番理想的じゃないかと。だって、あの手の建物って、全部警備会社に連絡がいくようになっているでしょう? さすがに逮捕されるのはちょっと……

「……警備会社には、陰陽寮から横やりを入れれば誤魔化しが効きますし、さすがに器物破損はしません。みもざさんはすっかりと使い魔が板についてしまった割に、どうしてこうもいちいちせせこましいんですか!」

「せせこましくはないですよ!? だって……まあ」


 私にしろみもざにしろ、珍妙なところでせせこましい部分がある。

 みもざの場合は、先祖返りとしての力を幼い頃から持っていたせいで、妙に力が溢れていたり、ほとんど触ったことのない刀を振り回したりする割には、常識人の皮を必死で被ろうとしている。

 彼女的には、どれだけ人間ではないと言われたとしても、人間から仲間はずれにだけはされたくなかった。だからこそ、好きな人に言われた自分になろうと無理をして、なれもしない普通の女の子になろうとしたりしてメンタルやられて自殺してしまったけれど。

 私の場合はどうだろうなあ……未だに私は、前世でゲーマーだった頃以外の記憶はあまりない。ただみもざにやたらと同情的だったり共感したりしているのも、似たような境遇だったからじゃないかとは思っている。

 人間、自分と違うと判断したものに対しては、いくらだって冷酷になれるから、ひどい扱いをされたくなかったんだろうな……。

 それはさておき、私は木を登るのを諦めて、素直に桜子さんに付いていった。

 出入り口は当然ながら中からシャッターが降りていて、正面口からは入れそうもない。そこで裏口に回ると、桜子さんは式神をひとつ取り出して、なにかを血で書きはじめた。


「式神で鍵って開くものなんですか?」

「物を一時的に付喪神にして使役する術式を刻んでいます」

「なるほど……」


 要は裏口を式神を貼り付けている間付喪神にして、開けてもらうって寸法なんだな。いろんなことに応用できそうな術だなあと感心しながら、その式神を貼り付けた桜子さんを眺めていたものの、桜子さんは「……おかしいです」と唸り声を上げた。


「おかしいって?」

「……既に警備会社のセキュリティーが解除されていますし、扉の鍵も開いています。今、扉に誰が開けたのか確認を取ります」


 どうも付喪神と桜子さんは、念で対話ができるみたいだったけれど。

 そんな出鱈目な力を持っている人を、私たちは既に知っている。そのことに思い至り、心臓がきゅっと痛くなる。

 もういなくなったものだと思っていた。もう二度と会わないと思っていた。

 だから私たちはそれぞれ違う人生を歩んで、別々に幸せになるもんだと思っていたのに。『破滅の恋獄』の世界はとことん残酷だ。

 やがて、桜子さんは「みもざさん」と声をかけた。


「すぐに小草生先生と風花さんに電話をしてください。既に中に侵入者がいます」

「……はいっ!」


 桜子さんは手早く式神に更になにかを書いた上で、中に偵察として送り込んだ。

 おそらくは、これが見つかったらすぐにやられてしまうから、見えないようにしたんだと思う。

 式神を操っている桜子さんの横で、私は慌ててスマホを取り出し、震える手にどうにか力を込めて、うらら先生に電話をした。


『はい』

「うらら先生! 私たち、総合運動場の裏口に来ています! 中の警備システムも施錠も、既に無効化されています!」

『……あーあーあーあー。みもざ。あんた麦秋からどこまで聞いたんだい?』

「……仲春くんは、衣更市に帰ってきていることまでは」

『そうかい。私と風花は、そのまま神通力使って跳んでいく。あんたたちも、すぐに中に入って要石を探し出しな。あれがなくなったら……故郷を失うことになるんだからね』

「はいっ!」


 通話を切ると同時に、桜子さんの右手からプシャーと血が跳んだ。それに私は悲鳴を上げる。


「さ、桜子さん、これって!?」

「……術返しですね。やはり、ふたりともいらっしゃるようです。でも、いる場所はわかりました。急ぎましょう」

「はい! あ、私の足のほうが早いですから、桜子さん抱えます!」

「……本当なら遠慮したいところですけど、それどころじゃありませんしね。行きましょう」

「はい!」


 桜子さんを私は姫抱きにして、彼女の指し示す方角へとひた走っていった。

 つるつると滑る廊下では、返って足が速いと走りづらく、私は壁面を交互に跳びながら移動をはじめた……桜子さんと使い魔契約をしてから、私の運動神経はどんどんと人から外れて行っている気がする。ううん、本来はみもざが人間でいることを諦めない限りは目覚めなかった力だろう。ただ自分自身に蓋をしてしまったから、眠っていただけ。

 総合運動場の内部を走り出すと、やがて実況席が見えてきた。グラウンドで行われている試合を実況するために、各放送局がスタンバイするブースだ。


「そこです!」

「わかりました!」


 行儀悪く、足で蹴破った途端、私は桜子さんを一旦廊下に置いて、しゃがみ込んだ。

 跳んできたのは不知火だった。そしてそれを操っているのは。

 あからさまに人から外れた整い過ぎているくらいに整った顔立ち、金色の目を縁取る睫毛は真っ黒で、豊かな真っ黒な髪をひとつに結っている。うらら先生と同じほどに豊満な体型を、真っ白な巫女装束で包み込んでいるのは、間違いなく照日さんそのひとだった。

 そして……。

 私たちのほうに弓に矢を番って睨んでいる気配を見た。

 スポーツ刈りの髪に、普通の男の子にしか見えない、真っ黒なスポーツメーカーのロゴの入ったジャージを着ている男の子。

 死んでしまったみもざが焦がれていたけれど、今の私からは頼むからもう二度と会わないでくれとしか思わなかった相手……仲春くんだった。


「……意外な組み合わせよな。みもざ、いつの間に使い魔契約したかや?」


 照日さんに言われ、仲春くんが「えっ!?」と彼女のほうに振り返る。その一瞬をついて、私は実況席を瞬時に盗み見た。

 要石らしきものは、実況席の奥の棚……本来は歴代のスポーツ関係者の獲ったトロフィーを飾る場所なんだろうけれど、その中に紛れ込んでいる大きな石を見つけた……これだ。

 私は一瞬の隙を縫って、棚を引っ繰り返して照日さんと仲春くんにぶつけようとする。それを見て、照日さんは仲春くんに突き飛ばされ、仲春くんは棚を足で行儀悪く止めた。


「みもざ! お前普通の女の子になりたかったんじゃなかったのかよ!? なんで……使い魔なんかに……!」

「……ひとは三日も経てば、細胞だって全部新陳代謝で入れ替わって別物になるんですよ。知りませんでしたか?」

「へっ?」


 もしもみもざだったら、仲春くんの心配そうな声、今まで向けてくれた優しさを思い出して、戦えなくなっていただろう。でも、残念ながら彼女は死んでしまった。

 私とみもざは前世と現世の関係のはずなのに、どうにも私と彼女は違う生き物だったみたいだ。だって、私は仲春くんと出会った途端に、沸々と怒りが湧いてくるのを必死で抑えている。

 ……私は、みもざを死なせてしまった彼を、どうも許すことができなさそうだ。


「結界修復まで理性が切れるかわからない恐怖に耐え忍ぶか、人間やめてでも理性を残すかとなったら、私は理性を残したかっただけです! あなたは……なに今更優しいこと言っているんですか、遅過ぎなんですよ!?」

「えっ、違……!」

「なにが! どこが違うと言うんですか!?」


 私は棚のガラス戸を蹴り破り、そこから要石を取り出すと、それを廊下の桜子さんに投げつけた。


「これを! 今こちらに向かっている風花ちゃんに!」

「みもざさん! あなた、まさか時間稼ぎで、ふたりを相手取るつもりですか!?」

「今、人がいないんですから、私がふたりの足止めするしか、ないじゃないですか!」


 私はそう言いながら、背負っていた風呂敷を解き、神通刀を引き抜いた。

 そしてそれを、弱っている照日さんに向ける……途端にそれは、長い弓で遮られた。


「みもざ……お前弱ってる人間を狙う奴じゃなかっただろう!?」

「あなた本当に……照日さんだけ見ていればいいのに、どうしていっつも人に対して気を遣うんですか」


 みもざはそれが原因で死んだのに。私がそれを言ったところで、ただおかしくなっただけとしか取られないから口には出せない。それでも言わずにはいられなかった。

 仲春くんは弓でなおも私の神通刀を抑える。

 その中で、こちらを見ていた照日さんの目が細まる。


「ふうむ……みもざ。そち、魂が削れておるな?」

「はあ? 照日、なに言って」

「おおかた、主様が好きだった部分が欠けて、その穴埋めのために出てきたのであろう? それを誰にも言えず、しまい込んでなあ。憐れな娘よの」


 照日さんの言葉に、私の中の体温がかっかと上がる。

 言葉でこそ憐憫をかけているものの、かけられる覚えがない。仲春くんは、意味がわからないという顔で、私と照日さんを交互に眺めていた。

 私はかっとなり、仲春くんの鳩尾目掛けて膝を入れる。それに彼は「ぐっは!」と唾を吐き出した。私は神通刀の柄で、仲春くんを殴り飛ばして、照日さんに刃を向けた。


「なにをわかりきったように言うんですか!? なんにも知らない癖に! あなたは大人しく退場してくれればよかっただけなのに!」

「はて? わらわもそちも、似たようなものではないのかえ? わらわだって消えとうない。主様をひとりで残すなど、どれだけ寂しいことか。だとしたら、結界をつくる要石を海に沈めるのも、おかしな話ではあるまいて」

「でも……! でも、もうあとふたつでおしまいです! あなたたちには負けない!」

「ほっほ……結界はわらわの腹の中じゃ。そちたちは必死に探し回らねば要石を探し出すこともできまいが、たとえ残りが修繕されようとも、ひとつ海に落としてしまえばおしまいじゃ。主様。もうここには用はない。帰るぞ」


 照日さんに促され、やっと仲春くんは弓矢を弓道袋にしまい込んだ。それを背負い直しながら「みもざ」と少しだけ振り返った。


「お前は本当に、それでよかったのか?」


 本当だったら涙が出るほどに慈悲深い言葉だっただろうに。今の私には呪いの怨嗟にしか聞こえない。


「もう放っておいて……!」


 そう言って首を振ることしか、私にはできなかった。


 誰かひとりが犠牲になれば、守られる町。

 でもふたりは、たったふたりで世界を敵に回すことに決めた。

 これではどちらが悪人なのかわからなくても……私はこの町を、友達を、恩師を……桜子さんの心を、切り捨てることはできない。

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