お願いだから邪魔をしないで

 翌朝、私たちは行く準備をしていたら、桜子さんがやけに頭が痛そうに出てきた。昨日のあれを思い出して、私は気まずくなって顔を背ける。


「おはようございます……」

「おはよう……うう……不覚です。普段はそんなに、記憶に残らないほど飲まないんですけど」

「あらぁ……ええっと、二日酔いにはなにが効くんでしたっけ」


 仲春くん家にはしじみなんてないし、ウコンもなかったと思う。私がおろおろとしていたら、うらら先生がひょいっと台所に顔を覗かせた。うらら先生は九尾の狐の先祖返りのせいなのか、それとも単純に酒に強い家系なのか、桜子さんみたいにフラフラしたりせず、ピンピンとしている。


「仲春ん家には干し柿あったと思うから、それあげな」

「あ、はい……」


 床下収納を漁ってみたら、たしかに干し柿が出てきたので、それをひとつ分出してあげる。


「このまんまで大丈夫ですか?」

「え、ええ……なんとか……ここまで気持ち悪くなるほど飲んだことがなくって……」

「大変ですねえ」


 桜子さんはちまちまと干し柿を食べる中、お弁当を用意していた風花ちゃんは「今日はどこに行くんですか?」とうらら先生に尋ねた。


「あとは三カ所だけど、麦秋がこんなんだからねえ……なるべく人気が少ない場所でさっさと要石を修繕するとなったら、今はちょうど空いてる衣更野原公園総合運動場だろうねえ」

「あー……」


 衣更市の運動系イベントやライブ会場ともして使われている場所だ。屋根がないために、陸上の大会やライブなども冬期にはほぼ使われることがなく、ときどき雪を使った催し物が行われる程度だ。たしかにここだったら、下手に先祖返りと戦闘せずに済むし、桜子さんの体調の回復を待たずとも大丈夫だろう。

 桜子さんはぐったりとしながら頷く。


「すみません……私なんかのために」

「別にかまやしないよ……大丈夫かい?」


 うらら先生に気を遣われながらも、桜子さんはどうにか干し柿を完食した。本当だったら朝ご飯をもうちょっと食べて欲しかったものの、二日酔いにはあまり固形物が食べられないらしく、桜子さんが首を振ってしまったので、私と風花ちゃんでいただくことにした。

 お弁当は温かいお茶を水筒に入れ、さっさと食べられるサンドイッチにすることにした。昨日蒸したレバーのテリーヌは冷めてもなかなかおいしかったけど、外でフランスパンのサンドイッチを食べるのは少々かさばるため、普通の食パンでつくることにした。

 電車に乗って数分。弁当を持った私たちは衣更野原公園総合運動場にやってきた。今日は久々に日が出ているために、雪も思っているより積もっていない。そのことにほっとしながら、「それじゃあ、要石を探しましょうか」と皆で顔を見合わせた。


「いつもの通りですが……今日は私とみもざさん、小草生先生と風花さんで大丈夫ですか?」


 それに私たちは頷くと、そのまま手分けして探しはじめた。

 衣更野原公園総合運動場の中に入るのは最終手段として、とりあえず手っ取り早く外周する。その間も、桜子さんはずいぶんと気持ち悪そうにふらついていた。


「大丈夫ですか? 昨日も……なにをそんなにお酒を飲んだんですか……」

「……すみません。本当に見苦しい物を見せてしまって」

「そりゃ別にかまいませんけど。でも、皆の前でいきなりディープキスは勘弁してください。そりゃ私たち、皆桜子さんの体液いただいていますし、その前は仲春くんから体液いただいていましたけど……」


 これを言うと、とてもダメダメな感じがするけれど。やることやっていたら、羞恥心もへったくれもなくなってしまうんだ。だから、それを見られたことで嫌いになることはないだろうけれど、正気に戻ったら気まずくはなるだろうなあとは予想してしまう。

 私はまたしても桜子さんが気恥ずかしがるのかなと思いながら、ちらりと彼女を横目で見たけれど。桜子さんは途端に具合が悪そうながらも、凜とした立ち振る舞いになった。


「……桜子さん?」

「……私たちが必死になって結界修復のために要石の元を回っている中、ありえないことを見たんです」

「見たって……なんですか?」


 そんなもの見たかなあと、この数日のことを考えていたけれど、思い出すのはこの数日楽しかったなということばかりだった。

 その中で「みもざさん」と桜子さんが口にした。


「本当はあなたに言うかどうか、迷っていました。あなたは……優しい人だから」

「優しくはないですけど……なんですか?」

「私と小草生先生でお酒を買いに行っている中、私たちが酒蔵に出かけるたびに、会うんです……照日さんに」


 私は思わず目を見開いてしまった。

 照日さん。『破滅の恋獄』のメインヒロインにして、衣更市の結界の守護神。守護者であり退魔師である仲春くんのパートナーであり……私たちを見捨てていなくなってしまったひと。

 ……彼女がいるって、ことは。まさか……まさか……。


「仲春さんがいるかどうかは、私たちもわかりません。彼女はいつも、私たちが買い物に来た酒蔵で、酒を買っていましたから」

「照日さんと……お話はしたんですか!? そもそもあのひとたち、衣更市から出てったじゃないですか!?」


 このことは、『破滅の恋獄』のコンプリートガイドにしか書かれてないことだけれど。

 仲春くんは照日さんを選んだ時点で、使命を忘れた裏切者というそしりを受け、退魔師からも陰陽寮からも抹殺対象になっている。だから彼はさっさと衣更市から離れないといけないし、エンディングも退魔師からも陰陽寮からも逃げおおせた場所の日常風景なはずなんだ。

 照日さんの性格を考えたら、彼を失ったら最後、後追いくらいはする。だから彼女ひとりがふらふらお酒を買いに行くなんてことはありえないんだ。

 桜子さんは、硬い口調で言葉を紡ぐ。


「……照日さんとは少しだけ話をしました。ただ……『わらわたちの平穏を奪うなら、いくらそちたちとて容赦はせぬ』と。宣戦布告を受けました」

「……っ!」


 その言葉に、私はぐわんぐわんとなにかが崩れそうになる。

 桜子さんが私が膝を折りそうになるのを「しっかりしてください」と抱き留める。あれだけ酔っ払って苦しそうだった彼女に、またしても私は迷惑をかけている。


「……ごめんなさい」

「いいえ。私たちは、ずっと仲春さんの家で苦楽を共にしてきました。皆で生活をし、共に先祖返りと戦い、町の暴走を止めようとした。その仲間が敵になるとなったら、ショックを受けても仕方がないでしょう? ましてや、私たちは」


 そのあとの言葉を続けたくなくって、私は思わず桜子さんの唇を奪った。思わず鼻と鼻をぶつけ、互いに痛くてしゃがみ込んでしまったけれど、続いてしたキスは、桜子さんからだった。

 柔らかくチュッと吸われ、そのあとに何度も角度を変えて食まれる。舌を絡めずとも、ただ桜子さんの名前の通りに桜色の唇とくっつけているだけで気持ちいい。その気持ちのよさに飲まれかけ、互いに夢中になってしている中で、ようやっと彼女はチュッポンと音を立てて唇を離した。

 ……私たちは、仲春くんのことが好きだったんだ。時間をかけて少しずつ少しずつ過去にしていく。まだ駆け落ちしてから一週間も経ってないのに、想い出にしようとしている中で邪魔しないでよ。

 どうして帰ってくるの。どうして私たちの気持ちをかき乱すの。どうして。

 ……そこまで考えて、ふと照日さんの言葉を思い出した。


「抹殺対象になっているのに、どうしてわざわざ衣更市に戻ってきたんでしょうか?」

「おそらくですが、照日さんが結界の守護神なことが関係しているんだと思います。彼女は本来、結界と一心同体であり、結界が修復されれば彼女は眠りにつきます」

「だとしたら、仲春くんと逃げたことで一度は結界が張り直されるのが阻止されたんだとしたら……」

「……結界の修復の妨害に当たるでしょうね」


 ふたりが帰ってきて、本来のみもざだったら嬉しいはずなのに、今の私はちっとも嬉しくない。

 だって、ふたりが結ばれたことで、みもざは死んじゃって前世の私が目を覚ましてしまったし。もう好きな人が他にいるし。なによりも。

 皆死にたくないから、必死になって結界の修復をしようとしているのに、あと三日で終わると安心しきっていたのに、どうしてそんな邪魔をするの。


「……私たちが修繕した要石、壊されたりは」

「それは無理です。いくら守護神とはいえど、人魚の血で張られた結界を突破はできませんし、人魚の血を無効化はできません。そもそも彼女は本来は結界の守護神なんですから、結界を守ろうとする行為を無効化はできないはずです」

「で、でも……あと三つ! 私たちが先に見つけなかったら!」

「はい。壊されても、風花さんの人魚の血で修繕はできますが……隠されたり、海に沈められたりしたら……」

「そんなの……!」


 真冬の海に飛び込むなんてこと、人魚の先祖返りである風花ちゃんだって普通に死ぬ。

 恋は人間から善し悪しを奪ってしまう。それがいい方向に作用するんだったら御の字だけれど。

 仲春くんと照日さんがしようとしているのは、陰陽寮の煽動と、衣更市の殲滅だ。このまま結界が張り直されなければ……衣更市が戦場になる。


「あの……このことを陰陽寮には」

「言える訳ないでしょう。そんなことになったら、陰陽寮は方向転換して、殺す方が早いと、仲春さんごと衣更市を殲滅します。今のところ、まだかろうじて隣市では先祖返りが発見されてないからこそ、私たちも一週間の猶予が与えられているんです。私たちが三つ先に見つければ、それで話は終わりです。みもざさん、探しましょう」

「……はい!」


 雪消みもざには好きな人がいた。

 誰に対しても優しくて、衣更市を大切にしていて、夜な夜な先祖返りと戦っていた人だった。

 その人が今、私たちの敵になろうとし、結界修復を阻止しようと動いている。

 みもざは彼のことが好きだったけれど、私は彼のことを許せないでいる。

 彼への恋は終わってしまった。ショックのあまりに彼女は死んでしまった。

 もし私が目覚めなかったら、きっと衣更市はそのまんま陰陽寮に殲滅されて、彼らは恋獄ルートと同じく、どこか知らない場所で穏やかに暮らしていただろう……その恋の果てに、たくさんの屍が出来上がったことに目を背けながら。

 私は恋をした。強くて優しくて、とても脆い人と。その人の使い魔になった。きっとこの人とは、この結界修復が終わったあとも長い付き合いになるし、彼女が死ぬまで私は生き続けるだろう。

 友達も、恩師も、この町にいる。

 ……優しい想い出を、どうか恋を免罪符にして踏みにじらないで。

 私たちは手と手を取り合って、必死に要石を探しはじめたのだった。

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