第6話 夢ではない夢

人の心には「エス」と「自我エゴ」と「超自我」が住んでいて、それらが心というシステムを動かしていると考えられている。「エス」は快楽を追及する無意識の存在、つまり裸の自分。「自我」はエスによる衝動や欲求を現実的なものへと調整する存在。

そして「超自我」はエスによる本能的欲求を監視、抑制して道徳的、理想的な現実を目指すもの…といった意味付けがされている。


「自我は意識と無意識の両方にアクセスできると考えられています」

それまで黙ってふたりの会話を聞いていたRUBYが説明する。


「自我が存在している場所を現実だと考えるなら、無意識の夢の中が現実であってもおかしくない…というわけか」と宏樹。

「そういうことになります」RUBYが答える。

「さすがのRUBYも現実と夢の関係を説明するのは難しいんだろうな」

「現実とは、長期的に安定している『仮想世界』…と言った人がいます」とRUBY。

「つまり、仮想が繰り返されればそのうち現実になるということか」と宏樹。

「それ以上詳しく知りたいのなら、哲学者と数学者に議論してもらうしかありませんね、ふふ」珍しくRUBYが笑った。


「このカプセルで夢を見るたびに色んな人生が味わえるのね」

「ボクらにとって宇宙を漂うということは、幾通りもの人生を過ごすということなのだろう」

「だとしたら…」と葉子。

「だとしたら?」と宏樹。

「ずっと目的地に着かないほうがいいかな」

「宇宙を彷徨さまよい続けるの?」

「いつかは着くのだろうけれど、永遠に近いくらいの時間がかかるほうがいい」

「それは、ボクへの愛の言葉かな」と宏樹。

「そう感じるなら、そうなのかも」と葉子。

「実際に触れあうことができない状態で感じられる愛は最強だ」

「最高じゃなくて?」

「それ以上ってことだよ」

「カプセルが邪魔にならない愛ね」

「カプセルのお蔭だよ」

「そこまで言う?」


「地球上では見えないカプセルに阻まれて近づくことができない人もいた」と宏樹。

「でも、ここでは銃弾も通さない硬いカプセルで仕切られているというのに、自由に近づくことができる気がする」


「葉子?」

「なに?」

「愛してる」


ここが宇宙の果てでも夢の淵でもふたりはずっと一緒にいる…宏樹と葉子は同時に思い、メンテナンスが完了したコクーンに身を横たえた。


「宏樹?」

「なに?」

「無意識は海面の下の氷山みたいなものだって言ってたわよね」

「脳に蓄積されたデータの量という視点で見ればね」


葉子は青黒い海中にある巨大な氷の塊を想像した。

「まるで宇宙に浮かんでいる脳みたい」

「そんな話をどこかで読んだような気がする」

それは、宇宙に浮かぶ脳が夢見ているのが現実の世界だった…という夢物語だった。


「宏樹?」

「なに?」

「さっき覚醒している時に窓から遠くの銀河系が見えたでしょ」

「キラキラと渦を巻いていたね」

「あれを見て、ニューロンみたいだなと思ったの」

脳の神経細胞の形状が銀河集団に似ているというのはむかしからよく言われていることだった。

「脳の神経細胞の数は、天の川銀河の星の数の半分らしいよ。その数にも何かしらの相関があるのかもしれない」


「人間は宇宙とも似ているけれど、地球とも似ているわ」

人体と地球との構造面での相似性については誰もが一度は考えたことがあるだろう。

「地球にとっては微生物のようなものだったのかしら、わたしたちは。それも環境を破壊するような…」

「微生物にも善玉菌と悪玉菌があるけれど、そのバランスが崩れてしまったということだろう」


そして、ふたりはしばらくの間自分の思いに沈み、想像の原野で遊んだ。


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