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 檜原小町というのは、昔から天才だった。天才の基準なんて色々とあるんだろうけれども、例えば勉強で五教科すべてで満点を取れば俺は天才だと持て囃すだろうし、野球やサッカーで県の選抜にでも選ばれれば天才だと言うだろう。


 しかし、檜原小町というのはそんな次元を軽く超えていた。


『第30回日本ライトノベル新人賞史上最年少受賞(14歳)』

『ライトノベル年間売り上げ三年連続TOP』

『ライトノベル年間のタイトルを独占』


 出席簿や借りたノート以外で檜原小町の名前を見るたびに、こんな言葉が枕詞についてくる。檜原小町には飛びぬけた文才があった。小学校の読書感想文で市の教育委員会から特別賞を貰っていた。他の作文が絵本とか漫画とかで適当に済ませている中で、檜原小町のは太宰治の人間失格を読んでの感想文だった。俺はいまだにあの話が何を言いたいのかわからん。きっと、俺があれを理解できるようになるのはもう少し先だろう。


 まあ何が言いたいかというと、檜原小町というのは現役女子高生ライトノベル作家とかいう、小町の書くようなラノベによく出てくるチートキャラなのだ。おまけに美人。


 そんな俺と小町、更にもう一人の幼馴染はいつも公園で待ち合わせをしてから登校する。


 いつもの通学路、その途中にある何の変哲もない普通の公園に差し掛かると、そこにはすでに一人の少女の姿があった。青いベンチに腰をかけ、黒いニーソックスが健康的な太ももを艶やかに包んでいる。


 少女はご機嫌そうにその脚を軽くふらふらと揺らしていた。ここに小鳥のさえずりでも添えてみれば、ドラマのワンシーンの完成だと言っても過言ではないほどに美しい光景。小町のように俺に文才でもあればきっとこの美しい光景を短編小説なんかにできるのだろうけど、あいにくだがそんなものはないし、季節は夏の終わりごろだから蝉が最後の命の輝きを放たんとばかりに大合唱をしている。


 強く吹いた夏終わりごろの風が、一枚の葉を地面に落とす。その葉の行方を見つめる視線が、俺とその少女とでぶつかった。すると、少女の大きくぱちりとした、まるでガラスの玉のように透き通った瞳をあげてくる。俺の目と合った途端、綺麗な目を真一文字に結んでにこりと笑った。もしも彼女が犬なら、尻尾がぶんぶんと音を立てて振っていることだろう。この笑顔が俺の学校へ行くモチベーションだ。


「おはよう、太陽」


「ああ、おはよう。今日も早いな」

 

 俺のクラスメイトで、幼稚園の頃からの幼馴染の一人である成瀬美晴が青いベンチに腰かけてニコニコと笑っていた。その笑顔が朝のだるい空気を弾き飛ばして体中に活力が湧いてくる。


 成瀬美晴というのは昔から美少女だった。


 赤いヘアバンドでまとめられた流水のようにしなやかで綺麗な黒髪と、それに負けないくらい純で澄んだ瞳が特徴の女の子。さらにその体はほどよく引き締まり、だらりと垂れた足はすっと長い。


 毎朝、俺と美晴、小町がこの公園で待ち合わせをしてから学校へと向かうのは、幼稚園の頃から続く日課だった。そう、ただの日課だ。毎日のように家が近いにも関わらず公園で俺を待ち、俺はそんな彼女を公園に待たせる。それが俺たちの日常となってから随分と久しい。とまあ、そんな美人でかわいい幼馴染と学校へと通う。これが俺こと桐島太陽の朝の風景である。


「へへ、今日も太陽と一緒に登校できる。なんだか嬉しいな」


 こんな朝っぱらから、あまりに眩しい笑顔を俺に向けてくる。まるで俺のことが好きだとでも言わんばかりのストレートさにはドキリとするが、これは美晴の挨拶みたいなものだ。


 小さい頃からお互いを知り尽くした仲というのもあってか、美晴は心を開いた相手にはかなり距離が近い。物心がついた頃にはその可愛さも手伝って勘違いしていたけれども今はもう慣れたものだ。いちいちドキドキしていたら、心臓がいくつあっても足りやしない。


「それで、小町は?」


 俺は肩にカバンをかけなおしながら、美晴の隣、誰も座っていないベンチのもう片方を見ながら問いかける。


「今日は遅刻するって連絡がきてた。またお仕事が大変みたい」


「そうか、まあ色々と忙しいんだな。じゃあ、学校へ行くか」


 俺が差し出した右手に美晴はその細くて華奢な右手を載せたタイミングで、俺は思い切り引き上げる。美晴はこれが気に入っているらしく、引っ張り上げたタイミングで前につんのめってふらふらとしているのも楽しそうだ。そのまま俺たちは手がぶつかるかどうかくらいの間を保ったまま、学校へ向かって歩き出す。


 始業式の通学路。しかし、その道に懐かしさなんてものはなくて昨日も通ったからほとんど光景なんて変わっていない。公園の木に生い茂った葉の色も、誰が作ったのかわからない砂場の山の位置も昨日とも変わってはいない。そんないつもと同じ道を俺たちはいつもどおりに歩く。何も変わらない平穏な日々だった。


「なんだか、せっかくの始業式なのに全然、新鮮な感じがしないよ」


「そりゃ、昨日も通った道だからな」


 美晴の歩幅は小さくて、一歩一歩をぴょこぴょことペンギンのように歩く。美晴が何か話すときには俺のほうを向いて話すから、それに合わせて俺も彼女のほうへと顔を向ける。


 隠すつもりなんてものはなく、俺も美晴も部活動に所属している。


 成瀬美晴は演技の天才であった。普段の美晴は例えば今日の晩御飯が好きなクリームシチューであることや、お気に入りの漫画が発売されること、毎日のことなのに俺とこうやって朝の挨拶をするだなんてそんな些細な事に素直に喜ぶ普通の女の子だ。


 しかし、一度役に入るとその表情は一変する。役に入った彼女は、まるで別人。一瞬でこちらを引き込む声と表情。普通の台詞なのに、舞台の上にいる美晴がそれを読み上げるだけで声はパワーを持って襲い掛かってくる。その演技力に、俺は何度も心を動かされた。


 卵が先か鶏が先か、成瀬美晴は演技の天才だから演劇部に所属しており、演劇部に所属しているから演技の天才だと言われる。だけど、そんな美晴はクラスではどこにでもいる普通の女子高生なのだ。ちなみに俺も小町も同じ演劇部に所属している。まあ、演技が特別に上手いわけでもないから誇れるほどではないのだが。あくまで、幼馴染がいるから所属していて、二年生にしては普通って程度だ。小町は脚本係で、まあ言うまでもないだろう。


「それで、昨日は一緒に帰ろうって約束してたのにどこにいってたの?」


 美晴は、俺の方を上目遣いで見て問いかけてくる。その目が少し潤んで見えるのは俺の気のせいだろうか。寂しがり屋の幼馴染というのは余りにも破壊力が強い。そう、昨日だって俺たち三人は一緒に帰るはずだったのだ。しかし小町に呼び出されてあんなことを言われていたのだ。ただ、基本的に俺たちは隠し事をしないから話すことにしよう。


 それに、俺一人で抱えるのはちょっと重い。昨日はいろいろと考えてしまったせいでなんだか晩御飯も食後のデザートもあまり喉を通らなかった。女子と二人で出かけることをデートと定義するのなら、小町はもちろん美晴となんて望まれればどこへでも付いていく関係なのだ。やれ新しい可愛いスイーツが出ればそのカフェへ、面白そうなアトラクションが出てくればその遊園地へ。なのにデートと言うタイトルが付くだけでここまで緊張している。


 情けない話だけど、彼女がいたことのない男子高校生なんてそんなものだ。


「いや、実は小町に呼び出されてデートに誘われたんだ」


「えええっ!」


 美晴はその叫び声だけを残して、固まってしまった。

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