ReLight

渡橋銀杏

プロローグ

 窓の外には、夕日の方向へと向かって飛んでいく烏の姿が見えた。そのバカみたいな声が、ひどく緊張したこの空間には似つかわしくない。夕焼けに染められたいつもの教室は、普段は味気ない黒板ですらもなんだかお洒落に魅せている。教室に全くの遠慮なく差しんでくる西日が、机や椅子の影を伸ばしている。


 いつもはわいわいがやがやとしている教室には二人きりで、ほとんどの運動部が今日の活動を終えてグラウンドからも雑音は聞こえてこなかった。静まった教室には、俺と目の前にいる美少女の二人きり。二人の間を遮るものは何もなく、張り詰めた空気だけが僕らを繋いでいる。男子なら、誰もが憧れるシチュエーションだろう。


 そんな、まるでドラマみたいな光景。ここからきっと、告白があってくっついたり離れたり、他のヒロインが出てきたりとかいろいろと物語が動いてから、最終的には二人が結ばれてのハッピーエンド。


 職業病というほどのものではないけれども、俺の頭にはそんな台本が自然に浮かんできた。まあ、おあつらえ向きのシチュエーションだから仕方がない。ただ一つだけ気になることがあるとすれば、向こうが全くと言ってもいいほどに緊張しておらずに、頬を赤らめたり、俺から目線を逸らすことなく全くと言ってもいいほどに俺の事を好きなように見えないこと。表情は真剣ではあるが、緊張はしていない。


 幼稚園の頃から十年以上もずっと見てきた、いつも通りの檜原小町の表情だ。


「それで、わざわざこんな時間にこんなところに呼び出して何の用なんだ? そんなに畏まって言わなくても大抵のお願い事なら聞くつもりだけど。また、本の整理を手伝えとか、それとも宿題のノートを見せてくれとか」


「そんなことあなたに頼むわけないでしょ」


 ついこの間、この少女に親書の買い出しと本棚の整理と扱き使われた記憶は俺にしか残っていないのだろうか。小町はその細くて綺麗な手を、口元へと持っていって何かを考える仕草をする。窓から差し込む西日が彼女の髪を輝かせており。相変わらず絵になる。俺は思わず目を細めた。


 特に、キツネっぽくて鋭い目に、すっきりと通った鼻筋。まるで陶器かのような白くてきれいな肌。見れば見るほどに、綺麗だった。窓から差し込む夕日が、その高い鼻にかかって顔の半分に落ちる影は芸術的にすら見える。


「じゃあ、なんだよ。こんなところまで呼び出して」


「そうね……どこから話すべきかしら……」


 小町はそう言って、教室の中をうろうろと歩き回る。上履きが床にぶつかるたびにパタパタと鳴り、そのたびに腰のあたりまで伸びた青色交じりの黒髪がひらひらと揺れる。遠くを見つめる彼女は、いったい何を思っているのだろうか。


 どれくらいの時間を待っただろうか、彼女の足が不意に止まった。そこはちょうど黒板の前だった。チョークの粉ひとつも落ちていない綺麗な黒板の前に立つと、小町はこちらを振り返った。彼女の綺麗な瞳の中に夕日のオレンジがきらきらと光っているのが見えた。その姿はいつもの強気で偉そうな態度とは打って変わって可愛らしいもので、一瞬どきりとした心臓を俺は右手で押さえつける。


「じゃあ、反対に何か思い当たることはない?」


 俺は考えてみるけれども、思い当たることは無かった。


「いや、ないな」


 しかし、それはどうやら違うようで、小町は溜息をもらす。


「そう、残念ね」


 俺の返事を聞いてから、小町は少しだけ窓の外に視線を向けて悲しそうに小さな息を吐く。そして、彼女は再びこちらに向き直った。その目は真剣そのもので、俺は思わず息をのむ。彼女の形の良い唇がゆっくりと開く。


「まあいいわ。それより、先に聞いておきたいことがあるんだけど、あなたは現在進行形で恋人と呼べる人がいるかしら。それに近しい人とか」


「もしかして、やっぱり告白するためなのか? いや、普通に呼び出して言ってくれればよかったのに。小町にもムードを大事にするんだな」


 そういうのには興味がないと思っていたから意外だ。


「とりあえず、その伸びた鼻の下をどうにかするわ」


 そういうと、小町は俺の顎を掴んで思い切り押し上げる。顎の骨ががくんと鳴った音がするけど、小町の力は弱まらない。俺はその小さな手をとって自分の顔から引き離し、顎を左右に揺らして調整しなおす。


「まあ、その返事をするような人なら彼女はいないでしょうね。良かったわ」


 なんだ、さも知っていたかのような表情は。いや、事実ではあるし生まれてこのかた彼女なんてできたことは無いけれども。それを人に、それも幼馴染に言われるとさすがに悔しい。まあ、幼馴染だからだいたいわかっていて質問したんだろうけど。


「いったい、それがどうしたって言うんだよ」


「来週末、デートしてくれるかしら」


「……は?」


「返事は? それともまだ顎を上に向けている方がお好みかしら」


「いえ、それはもう結構です……」


 小町から解放された俺の顔が若干赤いのが自分でもわかるほどなのは、夕日のせいなのか、はたまた小町の掴む力が強すぎただけなのかは、俺にもわかりはしないけれども。とにかく、小町の爆弾発言に頭の中が追い付かない。まあ、俺の頭の中に何があるのかすら自分でわかってはいないのだけれど。ともかく、目の前にいる俺より少し小さな小町は有無を言わさずに俺の顎を押し上げる。


「それで、返事は?」


「いや、そもそもなんで俺なんだよ? 俺を好きになる理由なんてないだろう」


「それはそうね」


「いや、そこは否定してくれよ」


 小町は即答した。自分で言っていて悲しくなるが事実だ。見た目も平凡で成績は中の上くらいで別に目立つわけじゃない。そこまで自分を卑下するつもりではないけれども、まあ小町のような美人と釣り合うかと言われると自分でも微妙だ。


「でも、誰かを好きになるのに理由なんて必要? それは恋愛小説とかラブコメ漫画のようなフィクションの世界でストーリーに信憑性をもたせるためのものでしょ。全部のカップルが相手の好きな所を言えるわけじゃないわ」


「まあ、それはそうだな」


 納得してしまった。悔しい。


「それに私はあなたを好きですなんて一言もいっていないのに、どういう思考回路をしていればそうなるの。もしかして、私に好かれているとこれまでずっと勘違いしていたのかしら。ぬか喜びさせてごめんなさい」


 少女は蠱惑的に笑う。その笑顔が魅力的過ぎて、いろいろと言い返したい言葉が浮かんでいたのに雲散霧消していく。俺は溜息をついた。不意に、俺の顎にかかっていた力が緩まる。目の前には少女の顔が来ていた。彼女の綺麗な黒色の瞳の中に俺が映っているのが見えた気がした。


「照れてるの? 本当に可愛いわね」


「あー、もう五月蠅いなあ。で、デートだっけ? まあ、別に予定は入ってないからいいけど。なんで、俺となんだよ」


「それはデートが終わってから教えてあげるわ」


 小町はそう言って、俺の鼻の頭をぴんっと弾いてくる。少し痛かったけど、なぜかそこまで嫌な気分にはならなかった。そして、彼女の後ろで夕日が沈むのが見えた。どうやら、話しているうちに日は沈んだらしい。


 窓から見える景色はすでに赤く染まりきっていて、少し目がちかちかする。


 かくして、俺と小町はデートをすることになった。これまで幼馴染ということもあって何度か二人ででかけたことはあるけれども、それにデートなんて大層な名前を付けるのは初めてだ。俺はこの時からずっと緊張することになる。

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