4-2

 浅葱髪の先輩、ト書きげき。

 彼女は自分のことを第二美術部最後の部員だと言った。

 いつか顧問から受け取った部員の名簿に書かれていた名前。

 上守 加実花。

 ト書 きげき。

 パレット・モネ。

 筆木 学。

 円山四条 春。

 二架 神楽。

 うち円山四条と二架は卒業生であり、上守、モネ、筆木の容姿は疑いようが無いほど容姿を把握している。

 残る一人、ト書きげき――学校には出席しているはずなのに、そういう記録は付けられているのに、姿をはっきりと視認した者はおらず、遅刻や早退をした形跡もない。

 俺は薄っすらとその影を幽霊少女と重ねていた。

 誰も見ていない知らないという少女と、誰もが知っているのに見られないト書は同一人物なのではないかと。

 手掛かりは第二美術室のみ、第二美術部の部員だとおおよそあたりを付け、そうに違いないとふんぞり返った俺を最後の最後に、クライマックスシーンでネタバレをしてくる迷惑客のようにト書は現れた。

 男のような女のような、若々しくも老いぼれて、含蓄がありそうで軽薄、義に厚く情けない少女。

 曖昧を絵に描いたような彼女は幽霊少女ではなかった。

「はあ」

 深く溜息を付いて眠い瞼をこする。

 昨日はあまり眠れなかった、考え事……ほとんど後悔と反省だが、思考に時間を費やしたのは久しぶりのような気がする。

 即断即決がポリシー。

 通学路、学校へ続く大通りに等間隔で植えられた桜は花弁を落として、青々とした葉を付けている。

 道を同じく登校する生徒たちは友人たちと楽し気に昨晩のテレビ番組や今朝の失敗を話していた。

 俺、衿谷百葉、未だ通学を共にする友人出来ず。

 浅野とは家が近かったから朝練を共に行っていたけれど、部活を辞めた今そうもいかない。

 もっとも――

「あれ、あの子じゃない?ほらサッカー出来て第二に入った天才の一年生、ずるいよね。何でも持ってて」

「なんで天才様が普通に学校来てんだよ。稼げるんだからとっとと辞めろよ目障りだな」

 ――あの手の生徒と友達になりたいかと言えばそうでもないけれど。

 運動はともかく、美術の才能はありませんよ残念ながら。

 薄々感じていたものの、第二美術部とはこういう部活かと痛感する。

「上守先輩が学校行きたくないのも分かる」

 コミュニケーション能力のある天才は自慢になるけれど、話の分からない天才と関わるのは自嘲だから。

 排除の対象になるのも納得だ。

 百葉君話せば分かる面白ナイスガイなんだけど、分かってもらえないかなあ。

 仮に幽霊少女と再会して、第二美術部を思惑通り辞めて……そのあと俺はどうなるんだろう。

 待っているのは四月入学初日当日のフラットな環境ではなく、出来上がった人間関係と第二に入部していた奇異の目だ、サッカーだって続けられるだろうか。

 あのとき、幽霊部員を引き戻そうと決心したときよりも、事態は深刻なのかもしれない。

「はあ」

 己の軽率さ、もう元には戻れないことに対して、再び溜息を吐く。



「あ」

「あっ、こ、こんにちは衿谷ちゃん」

 昼休み、気が付けば俺は第二美術室の扉を開いていて、元々は倉庫だったのではないかと思わせる狭い教室の中に、ちょこんと上守が座っている。

 彼女の手には彫刻刀、滑り止め用のシートの上には彫りかけの木材が置かれていた。

 木材は手のひらサイズの小さなもので、まだ大まかにしか削られていない――けれどそれが狐をモチーフにしたものだと容易に想像できた。

「こんにちは。今度は狐ですか、人以外も題材にするんですね」

「そうなの!これは狐なの!」

 目を輝かせて力強く叫ぶ、彼女は何を作っているのか当ててもらうのが嬉しいらしい。

「人を題材……おともだちで作るときはおしごとで作るって決めてるから。あっ、ち、ちゃんとそのひとに許可はとってるよ!?むやみに作ったりしないから!」

「弁明しなくても俺疑ってませんよ。ということはこれは誰かの依頼とかオークション用とかではなく、趣味で作ってるってことですか?」

 急に恥ずかしくなったのか、伏目がちにこくりと頷く。

「や、やっぱり変かな。こういうのを作るのが好きな高校生って」

 今朝の生徒たちが呟いた聞こえる罵声を思い出す。

 外野の内情も知らないで投げかける声。

 彫刻刀の持ち手を震える両手で強く握っている。

「……先輩はこれが好きなんですよね」

 小さく首肯する。

「ちょっと自分の話をしますね、ウザかったら遠慮なく言ってください」

 顔を上げた上守と目が合い、にこりと笑ってみせる。

 照れたようにふいと彼女は視線を逸らした。

「俺はなんというか、好きじゃないことに才能があったみたいなんですよね。それも天才って言われるくらいの力があって、将来有望とかプロ確実とか言われて、正直図に乗ってたときもあったんですけど、最近それから距離を置くきっかけが出来て、分からなくなってきちゃって。好きでもない得意なことをなんとなく続けて意味が無いような気がして」

 ――嫌なことを思い出して、呼吸を整える。

「好きなことが好きなまま得意なのはとても幸福だと思います。少なくとも俺は物作りが好きな先輩を、それで天才と呼ばれる程昇りつめた先輩を、変だとは思わない。素敵だと思います、少し羨ましくもありますけど。一番は尊敬です」

「…………あ、ありがとえりたにちゃん」

 顔は逸らし視線は合わないまま、けれど見える燃えるように真っ赤になった頬と髪の中から薄く覗く耳は照れている証拠だった。

 他の先輩たちよりずっと上守は分かりやすい。

「えへへ……やっぱり付き合いたいな、だめ?」

「駄目です。俺には好きな人がいるので」

 彼女は不貞腐れたように唇を尖らせた。

「そ、その好きな人って誰?そんなにいい人なの?わたしより?もっ、もしかして美術部の誰か!?それは……ちょっと分が悪い、かも」

 ぶつぶつと思考の坩堝へと片足を突っ込む上守を引っ張り出すように話す。

「いや第二ではないっぽいんですよね」

「むふ?ぽいって、どこの誰か分かってないってこと?」

 首肯。

「はあ。衿谷ちゃんがそんな人だと思わなかったよ」

「先輩に溜息をつかれた!?そんなにですか」

 「そんなにだよ」と上守は呆れた調子で説教を始める。

「どこで一目惚れしたか知らないけど、次またどこで会えるかもわからない人を追いかけるよりわたしで妥協した方が幸せだと思うよ。幸せにするよ」

「妥協はしないと最近決めたので。あと自分で妥協とか言わないでほしいです」

「そ、そっか。そういえばそうだったね、ごめんね」

「気にしないで下さい。あと一目惚れした場所は分かりますよ」

 教室の開きっぱなしの扉、そこにぶら下がる『第二美術部』のプレートを指差し、告げる。

「ここです」

「どういうこと?」

 上守は混乱を隠さないまま、答えた。

 昼休みの終わりのチャイムが鳴る。

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