第6話 和季の意思

 病室の中には重たい空気が流れていた。

 和季も結局その場に残っていた。このままの状態を放置して帰るのはまずいと判断した。それに、病室に行こうと言う由梨を見た時に、彼女が頷いたのだ。その瞳は、和季にもいて欲しいと伝えていた。和季にはそう伝わった。

 さすがに居心地は悪いが、そうも言っていられない。和季は由梨に残された日々を少しでも幸せに過ごしてもらう為にここにいるのだ。ここまでだと言って、さっさと帰ってしまっても仕事としては問題無い。それでも、和季はここに立っていようと思った。

 『彼女』がいない今、それが出来るのは和季だからだ。『彼女』はいつだって生き返りの人が幸せで過ごせることを第一に考えていた。だから、和季もそうしたいと思っている。


「ごめんね」


 ぽつりと、由梨が呟いた。


「私が死ななかったら、こんなことにならなかったのに。きっと、みんな笑顔で明後日を迎えられたのにね」

「由梨は悪くない!」


 汰一が叫ぶ。そんな彼を、由梨の父が睨むように見ている。

 これからの人生を二人で生きて行こうと決めた矢先に起こった不幸を、汰一はまだ受け止めきれていない。彼女をこれまで育ててきた由梨の父も、また同じだ。当たり前のことだ。大切な人が死んだのだ。

 どちらがより辛いかなんて、誰にも決められない。


「とにかく、娘は連れて帰ろうと思っています」


 ロビーで聞いた言葉と同じことを繰り返す。


「……お父さん」

「結婚式はキャンセルしよう。すぐにでも式場に連絡すればいい」

「その方がいいでしょうね」


 汰一の父親も同意する。


「私もその方がいいと思うわ。ね、由梨。荷物もすぐにまとめよう。お母さんも手伝うから」

「待って……」


 由梨の小さな声は、誰にも届いていない。生き返りの当事者である由梨を差し置いて、誰もが自分の思うように話を進めようとしている。

 和季はぐっと拳を握った。

 このままでは駄目だ。

 低い確率の中で、彼女は生き返ったのに。

 それなのに、幸せに過ごせないなんて、そんなことは。

 『彼女』なら絶対に許さない。そして、『彼女』と過ごした日々の中で和季自身もそう思うようになった。


「ちょっと待ってください!」


 怪訝そうな眼差しが、一斉に向けられる。

 部外者が口を出したことを後悔はしていなかった。和季の頭の中にあったのは、嬉しそうに結婚式のことや、汰一のことを話していた由梨の顔だった。さっき会ったばかりの、しかも突然押し掛けてきた役所の人間である和季に、あんなに嬉しそうに話していた由梨の顔。

 それを置き去りにするように話す人達の声を聞いていて平気なはずはない。


「あなたは?」


 由梨の父に聞かれて、まだ和季の立場を後から来た二人の両親に認識されていなかったことに気付く。まず、存在にすら気付かれていなかったかもしれない。二人の両親がそれぞれ相手の親族か友人だとでも思っていたのかもしれない。


「生き返り課の萩本と申します。吉谷さんの担当をしております」

「……生き返り課」


 誰かの声が、確認するように小さく漏れる。


「その生き返り課の人が、何か?」


 冷たい非難めいた声が、和季に浴びせられる。お前がここにいるのが場違いだ、と思わせられるような空気が部屋の中に流れている。

 それでも、


「まずは、本人の意見を聞くのが一番ではないでしょうか」


 こんなところで怯んでいては、生き返り課の職員など務まらない。少なくとも、和季が思い描いている生き返り課職員は。


「どうして、本人不在で話を進めるのですか。彼女はまだここにいます。期間は限られていますが、まだあなたたちの目の前にいます」

「部外者が言えるようなことではないでしょう」

「なんで、あんたにそんなこと言われないといけないんだ!」


 彼らが言うことはわかる。こんな陳腐な言葉で心を動かしてくれるなんて、そんな都合のいいことは考えていない。安っぽいドラマでもなければ無理な話だ。

 和季よりもずっと身近な、この人たちの方がそんなことは痛いほどわかっているはずなのだ。ただ、それぞれの大事な人を守ろうとするあまりに前が見えなくなっている。部外者にそこを突かれるほど頭にくることは無い。

 それでも言わずにはいられなかった。マニュアルで定められている訳でも何でもない。

 これは、和季の意思だ。


「無責任なこと言わないでくれますか」

「これは私たちの問題だ」


 双方の父親に強く否定される。

 それでも、下を向くようなことはしなかった。したくなかった。


「ごめん、少し一人にしてくれる?」


 ただ一言に、その場がしんと静まり返る。辛そうに、由梨はそれでも微笑んでいた。生き返りになった時間を無駄にしたくないと、無理をしているのかもしれない。


「萩本さんも今日はありがとうございました。……すみません」


 由梨がぺこりと頭を下げる。

 その場にいた人達が無言で部屋を出ていく中、和季は真っ直ぐに由梨を見て、言った。


「明日、またお伺いします。それと、何か困ったことがあったら連絡してください。絶対に」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る