第7話 コーヒーブレイク

 ロビーには人が増えていた。午後の診療の受付時間が近付いたからだろう。

 ロビーまで移動する途中、和季に刺さってくる視線は痛かった。誰も言葉を発さなかった。

 目の前を歩く二組の両親と汰一は、緩慢な動きで入口を出る。どうすればいいのかわからないとき、人の足取りは遅くなる。どうしていいのかわからないから。どこに行けばいいのかわからないから。

 そのまま、それぞれが別の方向へ歩き出しそうになる。


「あの」


 和季の声で、彼らの動きが止まる。


「申し訳ありませんでした」


 腰を折って、頭を下げる。


「部外者が余計なことを言ってしまいました。それでも、」


 顔を上げる。これ以上余計なことを言うんじゃないだろうな、といううんざりしたような顔がそこにある。


「残りの時間を、生き返らない方がよかったなんて、吉谷さんに悩んで欲しくありません。私は何度も生き返った人と、その周りの人を見てきました。だから、後悔だけはして欲しくないんです」


 和季はいつも入れ込みすぎる。

 それは『彼女』から受け継いだものだ。

 『彼女』がいなければ、こんな和季はならなかった。


「あんたに何がわかる」


 投げかけられた言葉は、そのとおりだとしか和季にも思えない。

 この家族のことは何も知らない。偉そうなことを言える義理もない。

 ただ、由梨も由梨の周りの人も笑っていてくれればいいと思う。そうして、幸せな三日間を過ごして欲しい、と。



   * * *



 へたりかけのオフィスチェアーに腰を下ろす。どっと体の重さが身に染みた。一度立ち止まると、疲れが一気に来る。

 同時に急に不安が押し寄せてくる。

 最近、立ち止まるといつもこうだ。

 なるべく忙しくしていたい。でないと、悪いことばかり考えてしまう。

 生き返りに会った後は、特に精神が不安定になる。それなのに、自分がやるべきことは生き返りをサポートすることなのだ。


「萩本君、お疲れ様」


 穏やかで落ち着いた声が、和季に掛けられる。

 温和そうな笑顔を浮かべて自分の席からこちらを向いているのは生き返り課の課長、松下まつした章雄あきおだ。


「ただいま戻りました」

「大変だったみたいだね」


 そんなに疲れた顔をしていただろうか。

 松下の声は特殊な音波でも発しているのか、聞いていると安らいだ気持ちになってくる。凝り固まっていた身体がほぐれていくような感覚が広がる。


「コーヒーでも淹れようか」

「それなら僕が淹れます」


 松下の言葉にぴっと号令でも掛けられたかのように、和季は立ち上がる。粉のコーヒーくらいなら、疲れていてもなんとか淹れることは出来る。


「霧島さんもいりますか?」


 デスクで作業をしている霧島きりしま尚久なおひさにも声を掛ける。

 霧島は和季より年上で、三十代前半だ。この部署には課長の松下を除き、比較的若い職員しかいない。それだけ体力勝負の部署ということだ。


「頼む」


 和季の方を向いて、霧島は頷いた。


「帰ってきたばかりなのに悪いな」

「いえ、これくらいは」

「じゃあ、私にもお願いしようかな」


 松下も控えめに呟いた。自分が飲みたかったらしい。

 コーヒーの香りでようやく一息ついた。

 和季は、美味しそうにマグカップに口を付けている松下を横目で見る。最初に松下が淹れてくれたコーヒーを和季は最後まで飲みきることが出来なかった。


「やっぱり、疲れには甘いものが一番だねえ」


 などと呟いている松下の飲んでいるコーヒーには、通常の何倍ものコーヒーフレッシュと砂糖が投入されている。彼の淹れてくれるコーヒーにはもれなくその分量が投入される。それは部下思いの彼にとっては完全に親切心からの行動だ。

 確かに糖分を取ると脳の疲れが取れるというのは聞いたことがあるが、何事にも限度というものがある。

 帰ってきたばかりの状態の和季では、すぐに次の仕事に取り掛かるのは精神的に難しかった。声を掛けてくれた松下の気遣いがとてもありがたい。これで、淹れるコーヒーが普通だったら何も言うことは無いのだが、それは贅沢な悩みなのだろう。

 ずずっと音を立てながらコーヒーを飲んでいる松下の姿は、コーヒーではなく縁側で緑茶を飲んでいるように見える。目が合う。目尻に刻まれた皺が温厚さを表しているように見える。


「お疲れ様、萩本君。大丈夫かい?」

「はい」


 松下は外から帰ってきた職員、一人一人に声を掛けてくれる。ようやく安心できる場所に帰って来たという気分にさせてくれる存在だ。


「実は、またやかしてしまったかもしれません。もしかしたらクレームが来るかもしれないのですが……」

「大丈夫だよ。だって、萩本君は生き返りの人たちの気持ちに寄り添える人だからね。そのせいでぶつかってしまったんでしょう? 特に警察沙汰なんかにならなければね。問題は無いよ」

「それは……、もうしないつもりです」

「つもりじゃなくてするなよ」


 霧島が顔も上げずに言う。


「そうだね。何かあったら私も対応するから、そうなる前に相談すること」

「はい」

「また何かあったら面倒だしな」


 霧島がため息交じりに呟く。


「少しは力を抜くこと覚えろよ。身体が持たないぞ」

「そうですね。ありがとうございます」


 霧島と、こんな風に話せるときが来るなんて以前は考えられなかった。

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