第5話 反対された結婚

 由梨の姿は、普通に生きている人間のものと変わらない。言われなければ、生き返りだとは気付かない。目立った印なんてどこにもない。むしろ、なぜここにいるのかわからないくらい健康に見える。

 生き返りとは、そういうものだ。

 由梨の背中を見ながら、和季はエレベーターを出る。

 三日後には失われてしまうとわかっている人が目の前にいるということは、何度経験しても時折ひどく落ち着かない気分になる。


「あ、こっちです」


 場所がわからなくて歩みが遅くなっていると思われたのだろう。由梨が振り返って歩調を合わせてくれる。

 売店は玄関の横で、入ってくるときに通る位置にあるので場所がわからないことは無い。それでも、特に意識していなければ目に入らない人もいるかもしれない。


「放っといてくれって言ってるだろ。俺たちの問題なんだから!」


 ロビーへの廊下を曲がる前に、ロビーで誰かが声を荒げているのが聞こえてきた。由梨の歩調が速くなる。和季も慌てて小走りになった。


「別に婚姻届は出さなければいいだけの話なんだ」

「お母さんもその方がいいと思うよ。なにも結婚式を中止にするとは言ってないんだから」

「だからっ! それが余計なお世話だって。こんなことになってるのに、なんでそんなこと言えるんだよ」


 早足になっていた由梨の足が止まる。話の流れからそうではないかと思いつつ、声で確信が持てなかった和季にもさすがにわかった。

 由梨は和季から顔を背けるように俯いてしまった。

 ほとんど人気の無いロビーに、荒げた声とそれをなだめる様な声が響き続けている。当事者ではない和季ですら耳をふさぎたくなる。

 由梨には部屋で待っていてもらって、一人で買いに来ればよかったと後悔する。各階にある自販機を利用しておけばよかったのかもしれない。そうすれば、こんな場面は見せずに済んだ。


「あの……」


 今からでも見なかったフリして引き返した方がいいのではないかと、部屋に帰るよう促そうとした、その時、


「大丈夫です」


 由梨が呟いた。小さな声だった。けれど、しっかりとした声だった。

 けれど、


「いい加減にしてくれませんか!」


 新たな声に、由梨がはっと顔を上げる。


「うちの娘が死んだっていうときにするような話ですか!?」


 年配と思われる男性の声だ。


「お父さん!」


 小さく叫んで、由梨は走り出す。

 どこか由梨に似た面影を持っている夫婦が、汰一の両親と思われる夫婦と対峙していた。


「由梨!」


 父親らしき男性が、顔をくしゃくしゃにしながら叫ぶ。母親の方は言葉さえも出ないような様子だ。

 由梨が駆け寄って、子どものように両親の腕に飛び込んでいく。


「……ごめんね、ごめんね」


 両親よりも先に死んでしまったことに対しての謝罪の言葉だろうか。由梨が何度もごめんねを繰り返す。

 生き返ってもすぐに別れは訪れる。

 汰一も汰一の両親も口論を止めて、親子の再会をただ見ている。

 由梨くらいの年齢ならば普段ならばきっと気恥ずかしくて、両親になんかすがりついたりできない。和季が自分のことに置き換えて考えるとわかる。両親から見ても同じことに違いない。けれど、今は短すぎる時間が彼らに躊躇いを捨てさせている。

 由梨の父親が顔を上げた。そのまま汰一の両親を睨みつける。


「うちの娘はやれません」


 涙に曇った声で、しかし、彼ははっきりと告げた。


「こちらから願い下げです」


 由梨の目が悲しげな光を宿すのを、和季は見た。


「どうしてですか!?」


 汰一の悲痛な声がロビーに響く。

 先程のやり取りを聞いていたのなら仕方がないと思えてしまうのは、和季だけではないと思う。ただ、汰一が悪いわけでは決してない。彼の両親だって、彼のことを考えていたからこその発言だということはわかる。

 誰も、誰かを傷つけたいわけなんかじゃない。誰もが大切な人を守ろうとしている。

 だからこそ、見ているのが辛い。


「娘はうちに連れて帰ります」

「……待って!」


 父親の声に割って入ったのは由梨だった。


「早く荷物をまとめて行こう」

「だから、待ってってば!」


 悲痛な声。


「別に婚姻届なんか無理に出さなくてもいいよ。結婚式だけでもしちゃいけないの?」

「由梨、いつから聞いて……」

「ごめん、たっくん。私、出てきていいのかわからなくて」

「俺は、結婚式もやるし、ちゃんと婚姻届も出す。そうしたい」

「だめだ! すぐに帰ろう」


 由梨の父の声が再び響く。母親はその後ろで不安そうに由梨のことをじっと見ている。

 これだけの騒ぎを起こしているのだ。この時間のロビーに人が少ないと言っても、さすがに注目を集めている。売店からも人がのぞいているし、受付の人もどう対処すればいいのかという様子でこちらを見ている。

 せめて場所を移した方がいいかもしれない。幸い、由梨の病室は個室だ。

 声を掛けようと、和季はすっと息を吸い込む。こんな状況に割って入るのは無粋だとわかっているが、なんとか出来る人間は和季しかいない。

 足を踏み出そうとしたとき、


「ね、せめて場所移そう。病院で騒いでたら迷惑だよ」


 先に提案をしたのは由梨だった。

 由梨は哀しげな声に、彼女を取り巻く一同はほんの少しだけ我に返ったような顔をしていた。

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