第20話 月映え
目の前にあの螢火が飛び交う闇路で出会った巫女姿の小夜里さんがいた。
「あなたは誰なの? ねえ、誰なの?」
小夜里さんは臆する素振りも見せず、シッーと指を曲げた。
「今はとにかく榊の葉を上へ投げてください。しばらくしたら、止まります」
渡された榊の葉を私は思い切り投げ、神頼みでもするようにこの困難な状況に終止符を打とうとした。早く、神様、何でもしますから血の雨を降らせないで下さい。
気を揉むような長い時間が経過し、息切れの波状が少しずつではあるものの、平らになると、何も降ってこなくなった。そして、不可思議なことに私の制服も一滴の赤いインクも付かず、最初から跡形もなくなったように元通りになっている。
「あれは何だったの?」
小夜里さんは無表情のまま、澱みなく話した。
「あなたの大事な人がそれだけ、言葉で傷づいてこられたのですよ。あの夜半の嵐はその象徴です」
「真君はそんなに……」
「たくさん言葉に傷ついてこられたのです。言葉に傷ついたことがない人は言葉を紡ぐ者にはなれませんよ」
「あなたは私が小説を書いているのを知っているの?」
月の頃、小夜里さんは狙い撃ちしたかのようににっこりと微笑んだ。
「もちろんですとも。私はその人の心持ちが見えるのです」
「神に仕えているから?」
金鏡を砕いたような夜長月の小夜中、小夜里さんは私の質問に返さず、何も言わなかった。
「なぜ、黙るの?」
月映えも秀麗な菊見月の清夜、小夜里さんはそれでも、口を開かない。
「分かった。あなたは不思議な力があるのね。あなたは番人なのね」
「番人とは少し違うと思われますが」
爽秋の菊開月の夜分、小夜里さんはやっと口を開いた。
「あなたは言霊のことはご存知でしょうか」
紅葉且つ散る頃合いの色取月の半夜、私は不本意ながら頷いた。
「太古の昔、人々は言葉には魂が宿ると考えられていたのです。むやみやたらに言葉で人を傷つけるものではありません」
卑屈な廃墟のようなトンネルを歩き続けるとやっとの思いで安心感のため息が出た、と同時に白光をもたらした出口が見えてきた。私の中の恐怖の百物語が氾濫していくようにトンネルも不明な旅路を引き連れていた。
「私が行けるのはここまでです」
「ありがとう。あなたはここぞというときに助けに来てくれるのね」
お礼を言おうと振り返ると木枯らしでも砂塵が飛ばされたように誰もいなかった。
「変なの。誰なんだろう……」
トンネルの果てに薄明かりが控え目に自己主張しながら滲んでくる。私はそのまま、出口へ向かうため、重苦しい足踏みを揃えた。
赤い幻覚を覚えたように前後不覚に鳥肌が立つと、目前には無数の本が鮨詰め状態で、吹き抜け部分のある天井の高さまで並べられていた。もの凄い量の本だ、と感銘を受けるほど、軽く数えて千冊以上はあるんじゃないか、と分析する。
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