第25話 断章

 夜明けまで、まだ少し時間のある暁の頃。


 暗闇の中で、老婆はとあるビルの中を闊歩していた。


 そこは、つい数十分前まで、羽樹里たちと組織が抗争を行っていた、戦場の跡。


 羽樹里の読み通り―――よりも、ほんの少しだけ早く、老婆の部隊は現場に突入制圧を完了していた。


 といっても、組織の大半の人間は先の襲撃の際に離脱しており、僅かな痕跡を残すばかりだ。


逃げ遅れた――というよりは、撤退する際に、意図的に見捨てられた数名の構成員が存在していたが、彼らは既に老婆の部隊によって収容されている。


 既に全ての処理は終了している。戦争は終わり、残ったものは何もない。


 そんな暴力と闘争の名残を愉しむように、老婆は側近数名と共にビル内部を歩いて居た。


 そうして彼女たちは、一つの研究室に辿り着く。


 内部はとことんに荒らされて、窓ガラスは内側へと散乱している。薬剤は雑多に引っ掻き回され、部屋の中央には、滲むような血痕が確かにあった。


 恐らく、この跡地に残された中で、最も大きいその血痕を眺めながら、老婆は何かを慈しむように、その口角を釣りあげた。



 そうして、老婆は何気なく、その研究室へと一歩踏み出した。



 まるで己が命を天秤にかけて、弄ぶように。



 



 次いで、窓ガラスが二度目の破砕を引き起こし、老婆の脇にあった試験官と点滴の群れが悲鳴のような音を立てて飛び散った。



 後には依然健在なまま、相も変わらず何かを愉しむように笑みを浮かべる老婆と、軍用ナイフを振り切って自身のスーツで老婆に破片が飛び散らぬよう守る側近の女の姿があった。


 「狙撃班」


 老婆の声に、彼女の背後にいた数人が即座に狙撃銃を構えて備え付けの机に構えると、そのまま窓の外に向けて発砲を開始した。


 当然、さらに窓ガラスが弾け飛ぶ中を、老婆は悠々と歩いていく。


 まるで、午後の穏やかな街並みを歩くかのように。致死の弾丸と、爆音が響く中を何かを愉しむように歩いていく。


 そして依然、彼女の側近が傍につき、ナイフを窓の外へと向けている。


 「取締役、御戯れはご遠慮ください。さっきの狙撃が、対物ライフルなら危険でした」 


 ナイフで狙撃を弾いた側近の息に乱れはなく、狙撃があると同時に即座に戦闘態勢に移った他の側近たちも淡々と状況への対応をこなしている。


 そんな様子を端目で眺めながら、老婆は依然、近場の雑貨店の品揃えを眺めるかのように自然体に、戦場跡の研究室を眺めている。


 「ふふふ、鏑木、お前ならあの程度、造作もなく防ぐでしょう? それに、ここで使われていた銃は、窓ガラスの飛び散り具合から、対物などではなかった。二丁目を隠し持っている可能性もなきにしもあらずですが……仮にそうであれば防げない……とお前が言うのですか?」


 老婆は床に落ちている破砕した銃の欠片を愉し気に眺めながら、側近を揶揄う様に笑っている。


 その姿に、彼女の側近は、少しだけ肩をすくめた。


 「また無茶をおっしゃいます」


 「まあ、それで死ぬならそこまでの命ということです。どうせ老い先短いのです、今更惜しむほどでもありません」


 そう言って、愉しそうに老婆が嗤っているうちに、気付けば銃撃は止んでいた。


 「状況は?」


 老婆の端的な問いに、周囲に展開していた部隊を含め、伝令が飛び交い始める。


 「南方、ビル屋上から狙撃。距離はおおよそ一キロ程です」


 「対象、既に逃亡。初弾を外した時点で諦めたかと。地上の制圧班に追撃させます」


 「此方、損害なし。施設内はクリアです」


 側近の端的な報告に老婆は満足げに表情を歪めた。


 「いいでしょう。地上班の片桐に連絡なさい、索敵ミスですよ、と」


 「承知しました。片桐の処分は如何ほどになさいますか?」


 鏑木と呼ばれた側近の問いに、老婆はくっくっくと渇いた笑い声を上げる。


 「ふふふ、それは些か可哀そうです。何せ向こうも随分手練れでしょう? ……確か、あの子の傍にいた組織テナントの諜報員でしたか。なので責めはしません、私も少しばかり侮っていましたしね」


 「承知しました」


 「追撃班、目的地に到達―――敵、残影なし」


 追跡失敗の報を聞きながら、尚、老婆は笑みを崩さない。


 ゆらりゆらりと、戦場跡を歩いて行く。


 「此度は、随分と機嫌がいいのです。責は問いません。代わりに部隊の再編を急がせなさい。次の戦争が待っています」


 そう指示を飛ばしながら、彼女はどこか満足げに、研究室の真ん中で微笑んだ。


 その異様に、側近の鏑木は少しだけ胸の奥が冷えるのを感じながら、数瞬後に意識を切り替えると周囲に指示を出し始めた。


 報告と、指示が忙しなく飛び交う中を、老婆は妖し気に目を細める。




 裏社会の王にして、暴君たる彼女は、他数多いる人類と一体何が違うだろう。


 行ってしまえば彼女も、最初は戦争で荒れた国の片隅で、親もなく這いずり回る孤児の一人にすぎなかった。



 そんな彼女が、何が違えば、裏社会の王として昇り詰めるほどに至るのか。



 その解答は無数にある。


 例えば、彼女が成り上がるうえで最も重要だったのは、産まれ持った、人を自然と畏怖させる声と振る舞いであり。


 そして、それと同等なまでに重要だったのはためらいを―――人が持つべき当たり前のためらいを、だけ持っていなかった、ことだった。


 例えば、隣人から金を盗むことが悪と知って尚、彼女は生きるために他人から金を盗んだ。


 そこで抱くためらいが、数多の人より彼女は、ほんの少しだけ少なかった。


 必要であればその声を使い、人を組織し自身の敵となるものを容赦なく叩き潰す際にも。


 戦後の混乱に乗じて、違法な薬物が出回れば、それを利用し莫大な権力と資産を確立していく際にあっても。


 その行いの一つ一つが悪であると、彼女は紛れもなく知っていた。


 そこで得た力も金も、無辜のいたいけな誰かを、理不尽に犠牲にしたものとを知っていた。


 悪と知るからこそ、そこに含まれるリスクを彼女は、知っていた。


 それでも合理的に考えた時、悪を為す方が生き残るのに有利であれば、彼女はそれを迷いなく実行できた。


 その行いに彼女は、人より少しだけ、ためらうことをしなかった。


 強いて言えば、ただそれだけ。


 必要だと思ったから、事を成した。


 利用できると思ったから、徹頭徹尾利用した。


 ただ合理的に、ただ機械的に。



 決断してこわして決断してふみにじって決断したころしつくした



 そうやって、ただひたすらに力と金を貪るように求め続けた。


 幼少期の戦後の最中、孤児として、弱者として、人に虐げられ、踏みにじられた経験が、彼女の心のタガのような何かを壊していた。


 より力を、より金を、ただそれが必要であるが故に。


 それはあたかも、孔の空いた水瓶に水を注ぐようなもので。いくら満たしても、いくら求めても、彼女の飢えにも似た感情が治まることは到底なかった。



 ただ、彼女はそんな自分自身さえも、何処までも合理的かつ客観的に眺め続けた。



 飢えるなら、満たせぬままに、果てなく貪り続ければいい。


 孔が空いているというのなら、孔の開いたまま水を流し続ければいい。


 そうしている間は、すくなくとも、彼女の力と金は、無尽蔵に際限なく増え続けていくのだから。



 ただただ、己が飢えの赴くままに。



 そうして、裏社会の全てを手に入れて尚、彼女の力は再現なく積み上がり続けていく。



 果てもなく、終着もない。



 それでも老婆は嗤っていた。



 求める幸福シアワセなど、最初から、何処にもないことを知りながら。



 それでも老婆は貪り続けた。



 ただ合理的に、ただ淡々と。



 己が抱く人間性が、もはや人とすら呼べぬ代物に成り下がり、まるで怪物のようになり果てている。そんなことすら、理解しながら。




 それでも老婆は戦場の中、暁に背を向けながら、嗤っていた。



















 第一部 閉幕

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私と殺し屋少女のシアワセのみつけかた キノハタ @kinohata

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