第24話 彼女と

 誰かの声がする。


 『――――しろ』


 誰かの声がする。


 『――――しなさい』


 誰かの声がする。


 『――――――するな』


 誰かの声がしてた。


 『―――――――――お願い』





 目を開けると、頭痛がした。


 割れるように、傷むように、ぎりぎりとした耐え難い、そんな痛みが長くとどまった後の残響のようなわずかな痛み。


 暗闇の中、頭を起こすと胸元からするりとシーツらしきものが落ちた。


 どうにも、ここは病室のようだ。


 意識はおぼつかない。足取りも安定しない。


 三半規管が麻痺したみたいに、身体が上手く垂直に保てない。


 それでも、私は、どこかに行かなければいけない気がした。


 どこかへ、大事な約束を守りにいかないといけない、そんな気がしてた。


 シーツから這い出して、軽く視線を周囲に巡らす、眠っている人影が見えたから夜目をこらすと、私の調整をしていた住良木という女の医者の姿が見えた。


 どうやら、ここはもう、組織の研究所じゃないみたいだ。


 私はそれだけ確認すると、音を立てないよう素足のままベッドから降りると、そのままそっと病室のドアから音を立てないよう、身体を滑り出させた。


 ひたひたと、素足が廊下を歩く音がする。


 自分の足から響くその感覚を、リノリウムが足に吸い付く冷たさを感じながら、私は暗闇の廊下を歩きだす。


 頭にはまだ薄い痛みが残っている。


 滲むようなそれを感じながら、未だにふらつく足取りを抱えながら。


 何処に向かうかなんて、よくわかってない。


 でも、それでもなんとなく、どこかに向かいながら、私はふらふらと足を進めた。


 私は一体、どこに行くのだろうか。





 ※





 他の病室のベッドを探したが、彼女はどこにもいなかった。


 ただ、翻ったシーツにまだ少しだけ温もりが残っていたから、そう遠くへは行ってなさそうだ。


 ふらふらと踵を返して私は病院を出て、非常階段に足をかけた。


 気付けば真っ暗だった空が白み始めている。


 ぼんやりとした思考のまま、足を上の階に向ける。


 さっきより、無機質で冷たい感覚が、足の裏から伝わってくる。


 かん、かん、と金属製の非常階段が、私の歩に合わせて音を鳴らす。


 かん、かん、かんと、繰り返し、繰り返し。



 そうして、最後の一段を、かんと、音を立てて昇りきった。



 それから少し視線を回して、ようやく彼女の後姿を見つけられた。


 ゆっくりとその背に近づくと風がぶわっと吹いて、彼女が着ていた青緑色の病衣が少しだけはためいた。


 そしてその隙間から、包帯が覗いているのを見ると、何故だか胸がちくっと傷んだ。



 何て声をかければ、いいのだろう。



 そう湧いてきた疑問に少しだけ違和感があった。


 私は一体何に迷っているのだろう。


 ただ、そんな疑問に整理を付ける間もなく、私の足音に気付いた彼女はそっとこちらを振り返った。



 「おはよ、みつき」



 そう、どこか抑揚を抑えた声で、彼女は私に語り掛けた。


 その表情は、白み始めた空の光が、逆光になってうまく窺えない。


 眩しさを手で抑えながら、私は彼女の近くまで歩き続けた。


 それからその二・三歩手前で、足を止める。



 「………………」



 喉を動かそうとしたが、どうしてか上手く動かない。何度か口を開閉しても、上手く言葉が見つからなくて、音はちっとも私の口からは出てきてくれない。



 「気分は、どう? 頭痛かったりしない?」



 「…………」



 彼女の問いにさえ、返事の一つも湧いてこない。


 そんな私の様子に、彼女は少しだけ首を傾げて、逆光の中、ふっと小さく笑みを浮かべた。


 うまく表情は窺えないけれど、どことなく―――なんというか寂しそうな、そんな表情に見えた、気がした。



 「ごめんね、ちゃんと守ってあげられなくて」



え、と声が零れかけた。零れかけただけだった。



 「でも、心配しないで。今度こそちゃんとみつきが幸せを見つけれるようにするから」



言葉は相変わらず上手く出てきてくれない。そんな私に、構わず彼女は抑揚のない声で語り続ける。



 「南アじゃないけど、実はばばあの手が届かない島があるのは本当なんだ。もしよかったら、そこで暮らす?」



 口がちっとも動いてくれない。



 「海が綺麗なとこだよ、透き通っててさ、美味しい魚が一杯取れるんだ。電波が届かないもんだから、今でもすっごくゆっくり時間が流れる場所なんだよ」



 彼女の言葉を遮ることが、どうしてかできない。



 「私が中学生くらいの頃に、仕事仲間だった人が住んでてさ。ちょーっと気難しいけど、いい人だから。きっとみつき素直だし気に入ってもらえるよ」



 どうして、言葉が伝えられない。



 「あの科学者捕まえたとこだしさ、協力させたら、みつきの身体から薬を抜けるかもしれないし。上位命令じゃない命令は電話でもいいから、時々、島の外に出て、電話だけ受ければ安定するでしょ? ま、薬が身体から抜けたら、今度こそ命令とかいらなくなるかもしれないけどね?」



 日の光がすっとビルの陰に隠れた。



 「だからさ、みつき」



 彼女の顔が、その表情が―――その瞬間、ようやく見えた。



 「どう―――したい?」



 何て、言うのだろう。



 「私はね、みつきの意思が聞きたいな。だって命令はもうなくなったじゃん? 私を守るって命令も半分無効になったわけだし。その……ほら、あとはみつきの自由にしていいんだよ」



 凄く、何かを堪えるような。



 「ほんと! 私のことは気にしちゃダメだよ? 仮にみつきが何か思ってても、それは……あの科学者が言った通り、私の声が造り出した副作用……みたいなもんだからさ。……黙ってて、ごめんね。これ言っちゃうとさ、なんか私が頑張って積み上げてきたことも、なんだ声のせいだったのかって思えちゃうから……嫌でさ。ま、黙ってる方が卑怯なんだけど。たはは」



 まるで、そう。



 「散々引っ張りまわして、今更だけど、私から離れた方がみつきはち、ゃんと幸せになれるかもしんないんだ。だって、そしたら、暴力にも、あのばばあにも、組織にも、もう関わんなくていいからさ」



 泣きそうになっている子どものような。



 「だからね、みつき―――」



 小さな子どもが、最後のお別れを、どうにか気丈に告げようとしてるような――。



 上手く声は響かない。



 なにより、どう返すべきかもわからない。



 私はただの人形で、人のように働く心も、感じる想いも持ち合わせがないのだから。



 わからない、わからないけれど。



 どうしたほうがいいのかは、昔、どこか誰かに教えてもらったような気がした。



 泣いてる誰かがいるときに、何をしてあげればいいか、どう声をかけてあげればいいか。



 そんな、いつかの遠い誰かの言葉。もう形も残っていないその記憶に、背を押されて私はそっと、足を動かした。



 私と彼女の、開いた距離を詰めるように、空いた隙間を埋めるように、深い溝をそと何気なく飛び越すように。



 たった、二・三歩。そっと彼女との距離を詰めた。



 「みつき―――」



 今更気付いたのだけれど、彼女は声の抑揚を、無理矢理抑えているみたいだ。



 意図的に、恐らく、声を調節して、『そういう響き』にならないように調整している。私の心に無理矢理に、語りかけないように、私の決断がその声によって決まってしまわないように。



 そこまで理解してから、私はかかとを中心にかるく身体を回して、彼女に背中を向ける。それからふっと肩の力を抜いて、そのまま彼女にもたれかかった。



 腹部の傷を刺激しないよう、少しだけ身体を傾けて、彼女の手の中に身体を預ける。



 背後で困惑している彼女をしり目に、口を何度か試しに動かす。



 薄く、微かに喉の筋肉が震える感じがある。それを確かめてから、もう一度口を動かした。



 「私は――――」



 私の意思に従って、私の口が確かに動く。そんな、あたりまえの事実を確かめる。



 「私は―――、こんな人形になってから、ずっとずっと痛かったの」



 当たり前に口を動かす。



 「いた……かった?」



 「そう、薬に対する拒否反応が、身体中で起こってるから。何もしなくても腕は痛いし、少し動くだけで心臓が痛いし、深く息を吸うだけで肺は痛いし、少し立っているだけで足は痛いの。おまけに、内臓のあちこちが傷むから。こんな造り変えられた脳みそじゃなかったら、とっくに耐えられなかったくらい、ずっと痛いの」



 「………………」



 自分の意思で口を動かす。ということを、よくよく考えれば、私は初めてしているのかもしれない。



 「ただ、命令を聞いてる間だけは別で、スイッチが切り替わったみたいに頭の中が熱くなって、苦しいこと、痛いこと全部全部忘れていられるの。それを何度も何度も繰り返したら、身体と脳がそのことを段々と覚えていくの。早く命令を、何か命令を、そうでないと、痛く痛くて耐えられないって」


 「………………」



 今まで口にした言葉は、結局のところ、命令の遂行の延長線でしかなかった。



 「私はね、もう、組織に攫われる前の、普通の子どもの頃の記憶はもう全くないからわからないけど。普通はそうじゃないんでしょ?」


 「………………」



 でも、いつか。もう忘れてしまった遠いいつかに、こうやって誰かと言葉を交わしていた気がする。



 「普通の子どもは痛かったら泣いちゃうんだって。苦しかったら泣いて、辛かったら泣いて、時々、怒って。組織のライブラリで見た、子どもの動画でね、膝をすりむいたら泣いちゃう子が一杯いるの。変なのって、それくらいの痛み、薬の副作用に比べればなんてこともないのに、変なのって。でも、それが普通の子どもだったから、擬態するために、そういう反応をする訓練とかもしたんだよ」


 「…………」



 胸が暖かくなるはずの記憶の残滓、もう何一つも想いだせないはずの、どこかの誰かとの滲んだ憧憬。



 「痛みはずっと一緒にあって。それが当たり前だって思ってた。拷問を耐える訓練とかもあったけど、それも副作用に比べたらどうでもなくて。命令が来ないのが、一番つらい罰だった」


 「………………」



 そうした回帰は殺しの人形としては、故障バグもいいとこなわけだけど。



 「ねえ、主人」


 「………………なに?」



 どうしてか、今、この時だけはそれで構わないと思っていた。



 「何か言って? 主人の声が聞きたいから」


 「…………それは命令が欲しいってこと?」



 私はその言葉に、ゆっくりと首を横に振った。


 命令でない言葉を聞く意義は人形の私には存在しない。


 それでも、彼女声を聞いてみたかった。



 「……ううん。何でもいい、声が聞きたい」


 「なんでもいい……?」



 泣きそうな顔をしていた彼女は、余計に顔をぐしゃぐしゃに歪めて、声を滲ませている。



 「主人の声を聞くと、少しだけ痛いのがなくなる」


 「…………そっか。それって、私の声がその……変……だから?」



 彼女の声は震えて、不安そうで、そうすると、私の胸のまで何故だか痛くなる。


 昔、いつか昔、こんな風に誰かの言葉を聞いていた気がしてた。



 「……わからない」


 「…………そっか」



 私がそういうと、彼女はちょっと困ったように、泣きながら笑みを浮かべていた。



 「なんでかはよくわからない、でも主人の声を聴くと、胸の痛みが少しだけ薄くなる」


 「……うん」



 でも、どうしようもない。


 今、私の事実はそれだけだから。



 「主人の顔を見ると、頭が痛いのが少しだけ忘れられる」


 「…………ううむ」



 それだけを伝えるしかできないから。



 「主人の手を握ってると、少しだけ身体の力が抜ける」


 「……そっか。それは大丈夫な感覚?」



 少し垂らされた彼女の手をそっと握った。 



 「さあ、わからない。……わからないけど、拒否感はない」


 「……そか」



 この想いが仮に造られたものだろうか。まあ、どうせ私はとっくの昔になにもかもが、誰かに造られたもので出来ている。



 「だから、私は主人の傍にいると、胸が軽くなる、頭が痛くなくなる、身体の力が抜けて、身体を預けたくなる」


 「…………」



 だから、その程度今更、一つくらい増えたところで気にもしない。今はそう思っている。



 「これ、何て言うの?」


 「………………なんだろ……安心かな」


 「安心?」


 「んーと、多分、ね?」



 安心、そっか、安心。


 ライブラリーでしか認識していなかった言葉が、今、確かに、実際に自分の中にある、それが少しだけくすぐったかった。


 人形として造られた時点で、私の心は、恐怖も、感動も、不安も、喜びも、悲しみも、電子上のデータと何も変わらなかったというのに。



 「そう、安心。じゃあ、主人の傍にいると安心する。今のところ、これは主人といる時しか感じない」


 「………………そう」



 誰かの胸の中には確かにあるけど、私には永遠に与えられることなどないものだった、そんな想いを抱きながら。



 「だから、私は主人と離れるととても困る。命の危機は、どこに逃げても結局同じだと想う。だから、私はいるのなら主人の傍がいい」


 「……………………」



 伝えた言葉は誰に既定されたものでもない。命令に従った言葉でもない。状況に対応する言葉でもない。


 そうやって出てきた言葉のことを、一体何と言うんだったろうか。


 そこまで思考して、なんでか胸の奥がじわりと痛くなった。ついで、フラッシュバックのように、数時間前の光景が視界に明滅し始めた。


 その光景について、言及をするのは何故かはばかられてしまうけど。


 ………………でも、これは、確認の必要がある内容には違いなかった。



 「……ただ、私は主人を一度……刺してるから。その、防衛上の問題は感じて当然と……想う」



 ……他の主人に命令されたこととはいえ、一度、実際に刃向かった人形を傍に置いておく理由が、彼女にはもしかしたらないのかもしれない。


 そう考えると、額から冷たい汗が流れ始めていた。これもまた、あまり感じたことのない感覚だ。



 「…………みつき、今、身体どんな感じ?」


 「…………少しだけ、心臓が細かく脈打ってる。この事実を伝える時、のどが絞まって、胸が痛くなった」



 薬の副作用や、命令の競合ともまた違う、言い知れない感覚に身体が少しだけ震えだす。


 …………もしかして、彼女の傍にいると安心できる、だけではないのだろうか?



 「…………はは、それをねえ『罪悪感』というのだ。私も今、絶賛満喫中」



 そんな私に、主人は袖で涙を吹きながら、少しおかしそうに笑いだした。



 「…………主人が罪悪感を感じる理由があるの?」


 「ふふ、あるんだよ。……いたいけな少女を洗脳してるっていう、たいへーんな負い目があるのですよ」



 その言葉に、私は首を傾げる。



 「…………? 洗脳なら、人形になるときに、もう受けてる。主人といる時だけ、洗脳が解けてるんじゃないの」


 「………………そかあ、そかあ? そういう見方もあるのかな……?」



 主人はそう言って、しばらく首を傾げてから、諦めたように私の身体にすっと手を回した。



 「……やっぱり、私を傍に置いておくのは不安?」



 私の問いに主人はゆっくりと首を横に振る。



 「……いや、そこに関しては、むしろ第二主人を排除出来たから不安は減ったよ」


 「そう……でも、別の主人の襲撃は予想できていなかった。対応マニュアルも不十分だった。今後はそれも踏まえて対応を組む」


 「いや、うーん、そうだけど。なんていうか……」


 「………………? 主人には何か納得できていないことがある?」



 視線を上に上げて、彼女の顔を見る相変わらず逆光で表情は読みにくいけど、その涙にぬれた口角が、少しだけ上がっているのは見えた。



 「いや、そういうわけじゃないんだけどね。……私の……自分の不甲斐なさを感じてたの。なんか、みつきが真っすぐ返してくれたから、余計に、自分の逃げが直視できちゃったかな……」


 「…………不明瞭」



 自分の声が、少し不満げにとがっているのを感じる。……なんで私はこんなまるで、感情があるみたいな挙動をしているのだろう。それすらも余計不可解で、ますます口はとがっていく。



 「……そだね。はっきり言わないと、わかんないよね。……言うかあ、はっきり」


 「うん、それがいい」



 彼女が諦めたように息を吐いたから、私もそれに合わせて力強く頷いておいた。


 根拠はないが、ハッキリ言うのはいいいことだ。恐らく、多分。



 「ね、みつき」



 彼女の声が響く。



 「何、主人?」



 眼を閉じる。その声を一欠けらも聞き漏らさぬように。



 「辛い想いさせちゃったし、黙ってたこともあって、申し訳ないんだけど」



 彼女の声が響く。



 「うん」



 背中の方からごうっと風が吹いていた。でも、風の大半は彼女の身体が遮っているから、私はちっとも寒くない。



 「それでも、まだ、私の傍にいてくれる?」



 あなたの声が響いてた。



 すっと一つ息を吸った。



 「うん、私は主人の傍にいる」



 そしてゆっくり声を一つ、吐き出した。



 胸の奥がすっと軽くなる。



 「ねえ、主人」



 言葉を紡ぐと、頭の中の痛みがするすると、和らぐように解けてく。



 「なーに、みつき」



 眼を閉じたまま、あなたとの言葉を交わしていく。



 「今、私の第四主人からの命令は、半分不履行状態なの。だから、主人を守るためにちゃんとした言葉が欲しい」



 そう告げた。彼女は少しだけ気まずそうに押し黙った。



 「……それは、私が上位命令をかけるってこと?」



 私を包む、彼女の腕が暖かかった。それを心地よく受け容れる機能は、もむ私の脳から削ぎ落されているはずだけど。



 「………………ううん」



 その手の温かさに触れている間は少し、鳴り止むことのなかった痛みたちが眠るよう静かになる。



 「……?」


 

 その時間を、なんでか今は、少しだけ伸ばしたくなる。



 「命令、じゃなくていい。お願いで、構わない。だから、私に言って? 主人の言葉なら、私、ちゃんと聞けるから」



 この時間が、少しでも永く続くように身体が、口が、言葉が、自然とあるべきほうへ動いてく。



 「そっか、いいの? 命令じゃなくて」



 それが造られたものでも構わない、どうせ、私の身体の反応は―――薬への中毒症状も、鳴りやまない頭痛も、命令に対する欲求も、もうとっくに大半が造られたものなのだから。今更、一つ増えたところで、仔細はない。



 「うん、大丈夫。あなたなら、大丈夫」



 瞳を上げて、彼女の顔をじっと見た。少しだけ涙が滲んだ、その瞳に私の瞳をじっと映し返した。



 「……そっか。じゃ、みつき、お願いね」



 風の音が響いてる。



 「うん」



 朝焼けの中の彼女の、寂しそうで、悲しそうで、それなのにどこか嬉しそうな、そんな不思議な表情をじっと見つめ続けた。





 「【これからも、私のことを、ちゃんと守って】」





 透明な湖に雫が一つ落ちるような。



 森が優しくざわめいて、その中で小鳥が一つ囀るような。



 朝焼けの中、吹く風に乗せて少女が、ちっぽけな願いを告げるような。



 そんなあなたの声を聴いていた。



 「うん、私はこれからも、あなたのことをちゃんと守る」



 そんなあなたの声に一つ、応えた。



 命令でもない、契約でもない。



 果たす義務もなく、それを縛る薬もありはしない。



 それでも私は、あなたの言葉に、小さく応えた。



 守られる保証は何処にもない。



 造られた反応もありはしない。



 殺しの人形にお願いなど、人の真似事は似合わない。



 それでも私は頷いた。



 あやふやで、頼りないそんなあなたのお願いに、私はそれでも、そっと頷いた。



 どうかこの小さな約束が、確かに守れていくように。



 そっと朝焼けの中、あなたの声を聴いていた。

 









 ※

















 「……でも、死んじゃ―――ダメだよ?」


 それから、あなたはそう言って、私の身体をぎゅっと抱きしめた。


 「……………………」


 なんでか、その問いだけ、は少しだけ胸の奥が弱く細やかに痛んでた。


 これは既に死んだ命令が、私の何かに反応しているからなのか。


 それとも、この痛みの渦の中に見つけた些細な平穏を、私の身体が惜しんでいるからなのか。


 その意味をうまく掴めぬまま。


 すっと、薄く目を開けた。


 朝焼けが照らした街が、ゆっくりと白色を帯びていく。


 その向こう、まだ日の光が届いていない、遠く向こうの薄い闇が眼の奥に滲んていく。


 朝が来る。


 街に残した小さな影を忘れさせる。


 そんな朝がやってくる。


 


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